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阿曾城始末  作者: 花丸くん


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3/9

第二話

昨日に続きまして二話目となります。

初投稿でしたが拙作を読まれているという方がいてとてもビックリ致しました。

読んでくださいました方、まことにありがとうございます。感謝カンゲキ雨嵐でございます。

引き続き、拙作をお読みいただけますと何よりでございます。

結局阿曾城の将官たちは城の酒蔵を開けるという決断をした。兵たちのためと言い訳をしたがいざ酒蔵を開けさせて、ただようアルコールのにおいと次々と目の前を通る酒樽。そしてそれらを嬉々として運ぶ足軽たちをみると確実に間違った判断であるのにこれが正しく思えてきた。そしてなんといっても自分もやっぱり飲みたかったのだと思った。


泰清は城兵を全員収容できるだけの広さがある二の丸に集めると

「みなを集めたのはほかでもない。来る北条軍と対する我ら、いつ死ぬかわからぬ。」

といきなり兵の士気をそぐようなことを言った。普通は死ぬとかなんとか言わないものだ。

「だが、貴殿らが何の楽しみのなく死ぬはこの泰清、まこと心苦しく思う。」

といって少し間を開けて

「幸いなことに今夜は二十三夜である。まだ昼ゆえ、お天道様がおられるがそのうちお月様が見えるだろう。お月様を拝んで我ら、酒宴を催しひと時、戦を忘れて楽しもうではないか。」

 

「「「オォォ!!!」」」

身分の上下なく、五百人の歓声が上がった。いつぶりの酒かもはやわからぬくらいには酒を飲んでいない。そしてその分だけ楽しいことがなかったということである。

楽しいことはないのに怖いことやつらいことばかり。だから「流れた」のである。

いや、自ら流されに行ったという方が正しいだろう。彼らは怖かった。怖かったからそれを忘れるために将来の自分が絶対に困ることになるであろう飲酒という選択をしたのだ。

死にたくない。生きたい。ただそれだけだった。生き物なのに生きることができず、半ば自殺に等しい戦いを彼らは強いられる。


そんな彼らがたった一つ、今生で望んだ飲酒という行為を誰が咎められようか。

星野図書か、大渕勘助か、三橋甚太郎か、はたまた沼田に詰める矢沢薩摩守頼綱か、さらにその上の真田安房守昌幸か?

誰も咎められはしない。だれにも止められない。せめてもの情け、存分に飲めというしかなかっただろう。この点でいえば泰清は情け深い人物であるといえる。


やっていることは集団自殺のようなものなのだが、どうせ死ぬなら楽しく死のうという狂った価値観がその場にはあった。

いや、彼らは狂っていない。まともであった。まともであったがゆえに狂わないとやっていられなかったのである。矢鱈と酒を飲んだ。下戸も上戸も関係なく酒樽に頭を突っ込んでバカ騒ぎをやった。やるしかなかった。


真昼間から始まった宴はすでに夕刻を迎えていたがなおもその熱が収まることはなかった。

あるものは頭から酒樽に突っ込んだはいいものの、そのまま体勢を崩して酒樽ごと倒れたり、中途半端に残った酒を全部飲み干すとか言ってまた酒樽に頭から入って倒したり、こぼれた酒をなめようとして土が口に入ったのか、ペッと唾を吐きだすやつがいたりと様々だった。だが誰もかれもが楽しそうである。


一応月を祝う日ということで夕暮れの空にぼんやりと浮かぶお月様をたたえて即興の唄を作る器用な足軽や、月をたたえて裸踊りするものなどさまざまなものがいた。門番ですらその有様だったが、ただ一人、彼らを止めるでもなく櫓門に上って森下城の方角を見つめるものがいた。


大渕勘助である。彼は猛将と皆から慕われ、頼られ、調子のいい足軽からは大渕の親父などと言われていた。親父である勘助は子供のような足軽たちを守るため、また親父の背中を見せるために独りで櫓に上ってずっと見張りを続けていたのである。

それに感化されて数人の足軽は途中で酒を飲むのをやめて自然と剽悍な顔つきになったがやはり死ぬのは怖いのか、たまに酒を飲む程度に酒量が抑えられただけである


――森下城・本丸館――

ここでも森下城を攻め落としたことを祝って酒宴が開かれていた。

「富永様」

「どうした、十兵衛。何かあったか?」

「はっ、阿曾城の明かりが普段より異様に多く高橋主馬(たかはししゅめ)様に富永様からお下知を頂戴せよとの命を受けましてはせ参じました。」

「阿曾城の明かりが多いだと。そりゃ明るくてもよいではないか。」とのんきに答える。

「主馬様曰く、敵将は金子美濃ゆえなんぞ謀があるやもしれず、物見の兵をだすべしとのことにござります。」

「ふむ、物見か…よき策じゃ。よかろうず、七左衛門!」

「はっ」

「槍足軽二十と弓足軽を…そうだな十でよいだろう。それらを連れて阿曾城の様子探ってまいれ。」

「畏まりました。」


この富永と呼ばれた人物はのちに、名胡桃城事件(なくるみじょうじけん)を引き起こし、北条家を滅亡に追いやっため「知恵分別なき田舎武者」とこき下ろされることになる猪俣能登守(いのまたのとのかみ)邦憲(くにのり)である。もとは富永氏の出であったが天正十一年ごろに猪俣家に養子に入り、北条安房守氏邦から偏諱をうけて邦憲を名乗った。そのためこのころは富永又七郎(とみながまたしちろう)助盛(すけもり)という。兵二千を率いて森下城を落としたばかりだった。

この富永又七郎という男は主君・北条(ほうじょう)安房守氏邦(あわのかみうじくに)の命を受け兵二千を引き連れて先刻、森下城に拠る城主、加藤丹波守以下六百余名を血祭りにあげたばかりである。

加藤丹波守は富永勢をあまた相手にしてこれをよく防いだが多勢に無勢。城は落城し、生き残ったわずかばかりの兵を連れ城外の山のふもとに逃れて陣を張り、最後の決戦に臨んだが北条勢に押しつぶされて加藤丹波守は介錯もなく路傍にあった石に腰かけて腹十文字に掻っ捌いて死んだ。


加藤丹波守が果てた後、生き残った敗残兵たちは血まみれで命からがら逃走し、阿曾城の城兵たちはその惨状を目の当たりにすることとなった。 味方が目と鼻の先で散っていくのを、彼らはただ見ていることしかできなかった。否、一兵たりとも援軍を出せなかったのである。

なぜ、動けなかったのか。


実のところ、森下城の片翼である阿曾城の周囲には、剣豪・上泉主水(かみいずみもんど)難波田(なんばだ)主税介(ちからのすけ)といった将が同じく二千余の兵をもって十重二十重に陣を敷いていたのである。 だが、近隣に智謀の将として名轟く金子美濃守泰清を前に、北条軍はその名を恐れて消極策をとっていた。阿曾城兵がどれほど挑発しようとまるで意に介さず、主将である両名が蛤のごとく自陣に閉じこもったため、阿曾城側も容易に兵を動かすことができず、結果として森下城を見殺しにする形となってしまったのだ。


その消極策が数日続き、阿曾城の諸将はやれ北条勢は腰抜けよ、臆病者よ、我ら四倍の兵を比しても見事善戦しておる。これは勝ち戦ぞと兵を激励した。

兵たちは彼ら武将が自らを励ますためにわざと敵を落としているということはわかっていた。わかり切っていた。しかし、何度も言われればそれが常識のようになってきて、幸か不幸か「北条勢は腰抜け」というかれらの思い込み、いや半ば常識が彼らの徳利の中身を減らすスピードを加速させた。


そして、誰も気が付かなかった。山のふもとからやってくるわずか三十ばかりの死神に


北条家の武将について


ここに登場させました、富永又七郎助盛、高橋主馬、藤江七左衛門(のちのお話で活躍します。)、(永田)十兵衛(もう出てきません(´;ω;`))について少しお話させていただきます。


富永助盛の通称といたしました「又七郎」というのは筆者の完全な創作です。浅学にして名乗りがわからずゴロが良いとおもった又七郎と名付けました。なのでもし猪俣邦憲の通称をご存じの方いましたら教えていただけると何よりでございます。


また、高橋、藤江、永田の三名は筆者の完全オリジナル武将となっています。予めご了承ください。

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