第一話
――天正十年 阿曾城内大広間――
「みな、聞いてくれ。」
としゃがれた声で話すのは阿曾城将の金子美濃守泰清である。倉内城めがけて五千の北条軍が来襲しているというのに鎧どころか太刀すら佩かず、手には軍配ではなく扇が握られていた。その顔はやけに赤ら顔で吐息は酒臭い。
それでいて、城内にいる五百人の親玉であるのだから城兵からすれば、昼間から飲んだくれている大将なんぞたまったものではない。
大広間に集められた諸将はいつものたわごとかと思って話半分に聞いている。
「この乱世、神様や俺が信じてる愛宕権現にお祈りする暇もないし、してもやれ槍だの刀だのもって殺し合いの毎日じゃ、実に虚しいとは思わんか」
と近くに侍っていた妹婿の大渕勘助に問う。
「義兄上の申される通り、確かに虚しく思いまする。」
「そうであろう、そこでな今夜は二十三夜だんべ?そこでさ」
と一呼吸おいてこういった。
「みんなで酒飲んで神様に平和な世が来るように祈ろうで!」
開いた口が塞がらないといった様子で諸将は呆けていた。
「「は?」」
「何をおっしゃってるのか…わかりませぬが…」
と冷静に口を開いたのは星野図書という男である。まじめな男で兵たちに慕われていた。というか、泰清以外はみな一騎当千の兵であり、勇猛果敢、不身惜命といった感じの猛者ぞろいであった。そんな猛者の中にあってこの男は智謀の士として知られていた。
「いやさぁ、みんながんばってんじゃん?だからちっとんべぇならええかなと思ってよぉ」
「殿!何をおっしゃっているのです!もう北条勢が近くまで来ているのですぞ!」
と声を荒げたのは三橋甚太郎である。この男、もとは泰清の甥の沼田平八郎景義の小姓として仕えていたが故あって泰清の与力として仕えている。
「じゃぁさ、お前らちゃんと兵どもの様子みてるの?」
「見ているに決まってるではござらんか、皆、意気軒昂でござる。」
「馬鹿言ってんじゃねーよ、お甚殿よぉ。みんな十倍の敵に恐れおののいてすぐにでも逃げてぇような顔してるじゃねーのさ。んなこともわかんねーの?」
とこれまで目の焦点があってなかったのに、途端に焦点が定まり、場の空気が水を打ったように静まった。
「そ、それは…」
と甚太郎が何か言おうとしても二の句が継げなかった。そうなのだ。通常、城攻めというのは守勢に対して攻勢が大体三倍ほどが適正であるとされる。まれに十倍に比しても落ちないという城もあるがそんなものは天下無双の要害でしかない。
阿曾城が要害の地にあるとはいえ、せいぜいが倉内城の支城群の一つでしかないのである。
であるならば、寄せ手が千五百程度が好ましい。いや、それでも多いくらいなのだがギリギリ持ちこたえるにはこの程度が精いっぱいであるということだ。
その手の常識というのはここにいる誰もが知り抜いているし、足軽どころかそこら辺の百姓でも知っている常識である。それなのに寄せ手は二千、三千ともいう。
「勝てるはずがない。」
というある種、厭戦気分が城内に漂っていた。そしてそれは兵たちと身近に接する諸将は痛いほどわかっていた。だから「そんなことはない、皆北条勢と戦いたがっている。」などといってもただの強がりだと馬鹿にされるだけなのだ。
「だからさ…」
といって間を開けて
「今日くらいは酒飲んでもいいじゃね?」
みんなわかっていた。泰清もわかっていたし、図書も甚太郎も勘助も、居並ぶ諸将みなわかっている。こんな時に酒を飲むのは愚行の極みでしかないと。酒を飲んで油断して城を落とされた話は古今東西、枚挙にいとまがない。油断が落城を招き、ひいてはお家の滅亡につながる。だから酒などもってのほかである。当然だ。全く持って正論である。だがここに居並ぶものは誰一人としてその正論を泰清に言わなかった。いや、言えなかったのである。
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
という言葉があるが、まさに城内の空気を表すにピッタリであろう。みな恐れていた。上州の片田舎に自らの十倍に比する大軍、いやそもそも千や二千といった華々しい戦いを経験したものがどれほどいるだろうか?
二十五年前、関東管領上杉憲政の号令の下に軍神とよばれた越後の龍・上杉不識庵謙信(当時は長尾景虎)の指揮で小田原城を十重二十重に囲んだものもいるのかもしれない。だが、それは自らが大軍なのであって大軍に囲まれるということを経験したものがどれほどいるのか?
とてもそんな経験豊かな将がこんな辺鄙な城にいるとは思えない。そんな将がいるのならとっくに大本営である沼田に詰めているべきであり、いわば捨て石の阿曾城などにかまっている暇はないのである。
事実、阿曾城と並び立つ支城の一つの森下城ではつい先日、城主の加藤丹波守が壮絶な最後を遂げたばかりであった。かの城には援兵一つなかった。完全な捨て石である。
いや、仕方のない部分もあった。森下城攻めの前に矢沢勢と北条勢がぶつかって総大将の矢沢薩摩守頼綱が自ら名槍・小松明をふるって北条兵を蹴散らし、奮闘の末、矢沢勢が勝利したが多勢に無勢で勝ち戦とはいえ甚大な被害があった。
そのため森下城に援兵が出せず結果として加藤丹波守以下城兵600余が玉砕している。
逃げ延びた兵は阿曾城の前の道を通って沼田へ逃れたがそれがとどめとなって阿曾城兵の士気が砕けた。さらにいえば、地理的に森下城と阿曾城は目と鼻の先にあり、森下城の惨状を阿曾城兵はその眼でしかとみることができている。
そんな状態なのに戦えるはずもない。せめて酒に頼って、おぼれて、酒に呑まれて、この無情な世の中を忘れたかった。酔いたかったのではない。元気が欲しかった。生きる勇気が欲しかった。
そんな阿曾城兵を見ていた大広間の指揮官はそんな彼らを厳しく律することなどできなかった。律することが彼らのためであるとはいえ、死にゆく彼らに何を言えばいいのか。なんと元気づければいいのか。
そんなことを思いながらただ押し黙っていた。




