プロローグ
初めての投稿となります。つたない文章ですがぜひ見てやってください。
天正十年、第六天魔王と呼ばれた前右府織田信長が本能寺に散った。滅ぼされて織田の支配下になったばかりの甲州や信州は大名たちの草刈り場となり、地獄の様相となった。世にいう天正壬午の乱であるが、その乱世の中でひときわ光を放つ将がいた。
真田安房守昌幸である。彼は武田時代から支配していた信州小県郡と上州吾妻郡、そして上州沼田を拠点に一定の勢力を保ち、外敵をよく防ぎ領地を守った。
その昌幸を支えた功臣に矢沢薩摩守頼綱という人物がいる。真田を代表する軍神である。
兄・真田一徳斎幸綱に従い上州経略に大きく貢献し、兄の亡きあとはその後を継いだ甥の信綱、そして信綱が長篠に散った後は信綱の弟にして幸綱の三男、昌幸をよく支えた。
だが、真田の一門家臣はみな勇猛果敢で忠義にあふれていたかといえばそうとは言えない。例えば金子美濃守泰清という男がいる。一言で言えば奸臣であるが、この男は天正年間から真田家に仕えている。そして先ほど挙げた矢沢薩州の筆頭与力といっても過言ではない権勢を誇ったが天正十八年以降、疎まれて真田家から放逐された。
放逐された理由は数あれど、その一端となったであろう阿曾城の一件について迫っていきたいと思う。
参考文献:https://enjuhime-kawada.jimdofree.com/%E5%8A%A0%E6%B2%A2%E5%B9%B3%E6%AC%A1%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E8%A6%9A%E6%9B%B8/%E5%8A%A0%E6%B2%A2%E8%A8%98-%E5%86%85%E5%AE%B9%E7%B4%B9%E4%BB%8B/%E9%95%B7%E4%BA%95%E5%9D%82%E9%8E%8C%E7%94%B0%E9%98%BF%E6%9B%BD%E5%90%88%E6%88%A6%E9%87%91%E5%AD%90%E7%BE%8E%E6%BF%83%E5%AE%88%E6%95%97%E5%8C%97%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BA%8B%E4%B8%A6%E6%84%9B%E5%AE%95%E5%88%A9%E7%94%9F%E4%B9%8B%E4%BA%8B/
川田地区地域資源活用研究会様




