兄の仕事─後編─
「オイ、地獄さ来たんだぞ」
大嵐に浮かぶ船の上で、荒々しい男の声が十夜にかけられる。振り返ると、漁師のような格好をした男が目を見開き立っていた。その手には棍棒を握っている。
船の広いデッキの上、客船かとも思ったが、どうも漁船の方、しかもかなり巨大なトロール漁船のようだ。
そんなものが、空に浮いているという異常。網のように白いものが、地上に向かって垂れている。
「……アレで引き上げられたって事ね、これガチ漁なんだ」
「オイクソ!」
男は棍棒で床を叩き、唾を飛ばしながら十夜に怒鳴る。
「オメが邪魔しやがったか!? あんだけいたのにオメみてぇなクソ1匹しか獲れなんだ!」
「やっぱりあそこにいた観光客全員狙ってたのか……早めに気付けて良かった」
風で荒れる髪を手で押さえながら、十夜は男に言う。
「君だね? 北部の方であった超大量失踪事件の犯人」
呉からの依頼書。そこに書いてあった情報のひとつ、というか、その事件をキッカケにこの怪異の存在が確認されたのだ。何せ小さな村ひとつ、およそ800人が消えたのだから大騒ぎになった。集団夜逃げ説や隠蔽説など様々な憶測が飛び交ったが、結局未解決の難事件のままだった。
しかしその実態は、怪異による誘拐事件というわけだ。目の前にいるこの男、姿はまだ人間のままだが『蟹』と呼ばれている存在。
「アア? 超大漁? そんな立派な事ここ最近一回だってねぇだ!」
男は棍棒で何度も床を叩きつけながら、怒声をあげる。
「この前だってたかだか50トン弱しか獲れてねぇ! あんなもんカス程度の利益にしかならねんだぞ! 穀潰しどもに喝入れて、今日こそは倍獲るぞと張り切ってたんだ! なのにオメが邪魔した! オメみてぇなクソが!」
「……人を数じゃなくて重さで見てる辺り、まともな話はしてくれそうにないね。でも一応聞いておくよ、君の目的は?」
「なんでオメにそんな事教えなきゃいけねんだ! これから這いつくばって死ぬような奴に!」
「だよねー、じゃあ仕方ないか、本当はもっとちゃんと聞きたい事が沢山あるんだけど、これでも僕ら忙しくてさ」
十夜は、そう言ってポケットから小さな指輪を取り出して、右手の人差し指にはめる。
「喋る気無いなら早めに終わらすね」
「生意気な事あんまり言うでね! このおれの能力を使ったらオメみてなクソの方がさっさと死ぬ!」
男は声を荒げながら、何度も床を棍棒で叩く、叩いて叩いて、飛び散る水飛沫が、なんだかだんだん大きくなる。まるで海に大きな石を投げ込んだ時みたいに、高く舞い上がる水飛沫になって、ついには男の体を全て包んで、再びその姿を現す頃には、それはもう人の姿をしていなかった。
赤い殻で身を包み、巨大なハサミが付いた腕を4本生やした人型の怪物。情報通り、見た目の印象は『蟹』そのものだ。握っていた棍棒はいつの間にか刺股のような武器に変わり、こちらに向けている。
「最初に言ったんだよ、オメは地獄に来たんだってな! ここはおれの作った場所だ! おれの思い通りになる!」
「この空飛ぶ船も君の能力なのか……空間を作り出すなんて」
まるで『猿』みたいだな、と、言いかけたところで強制的に止められる。足元に違和感を覚え、咄嗟に飛び退いた直後、そこから泡で出来た柱が立ち昇った。
泡、一見するとなんの殺傷能力もなさそうだが、敵の能力で作られた空間での出来事に、何も無いなんてあるわけが無い。十夜は気持ち多めに距離を取り、蟹の様子を確認する。
「あれ?」
しかし、さっきまでいた蟹の姿がどこにも無い。そこまで素早いようには見えなかったが、あの一瞬で影も形も無くなってしまった、あるのは、ブクブクと床に広がる泡だけ。
「アレは……ああ、いやそういう事か」
言って、咄嗟に十夜はその場でしゃがむ。直後、彼の頭があった場所を、刺股が突いた。泡の柱から現れた刺股は、攻撃が外れたと分かるやすぐに泡の中に引っ込んでいく。
「やっぱり、見た目以上に強いぞ」
ブクブクと泡が広がり、十夜を囲むように、次々と泡の柱が噴き出した。
そのうちの一つに、偶然、袖が触れてしまった。ただほんのちょっと、掠っただけ、しかし、たったそれだけで袖部分は千切れ飛んでしまった。
直撃すれば、体をズタズタにされるだろう。
「ん、オイオイオイ、マジかよ」
更に、袖の千切れた部分から、どんどん服がボロボロとまるで腐っていくように崩れ落ちていく。高出力の放出による威力に加え、腐食性まで持った泡。
しかも、本体はその影響を全く受けず、泡の中を武器を持って瞬間移動してくる。
「これは、なんていうか、思ってた100倍は強敵だ」
「今更後悔しても遅えんだぞ! おれの能力は無敵だ! 弱点もねぇ! おれに突き殺されるのが先か! 溶けて無くなっちまうのが先か! いずれにしてもオメは死ぬしかねえんだ! 更に!」
四方の泡から、蟹のハサミがそれぞれ飛び出す。泡の中であれば、体の分離まで出来るようだ。
本当に、思った以上の強敵だ。これは、いくら怪異退治のスペシャリスト達とはいえ、彼らに任せていたら大勢の犠牲が出ていただろう。
「エンコウのボンクラだっておれに勝つことはできねんだぞ! その気になったら九尾狐だって『月崎』だってな」
「…………九尾狐に勝つ、ねぇ、ああそれよりも、その名前を出した上でその気なら僕も徹底的にやらせてもらう」
「カッコつけてんじゃねえ! 死ねぇ!」
十夜を囲む泡柱、その全てから、攻撃が降り注ぐ。泡柱そのものもにも殺傷能力があり、逃げ場なんてない。
全ての攻撃が自分に向き、命中確実だと思われるその状況で、それでも十夜は、静かに、どこか優しく、笑っていた。
「なんでオメ──ああっ!?」
十夜に届くはずだった全ての攻撃が、まるで何か強い力に跳ね除けられたように弾かれた。体に触れてすらいない、その直前で、一度に全部が。
奇妙だった。攻撃が弾かれた現象もそうだが、それよりも、十夜の指輪が、青白く瞬いていたのが奇妙だった。
混乱する蟹を他所に、十夜は指輪に耳打ちするように言った。
「少しだけ、力を貸して、ポセイドン」
答えるように指輪が光り、三又の槍が十夜の手の中に現れる。
「トライデント、深圧」
そう言って、彼が槍を天に向かって振り上げる。
蟹の意識はそこで途絶えた。
船は消滅し、嵐さえ何かに吸い込まれるように小さくなって消滅した。
晴れ渡った、雲ひとつない空が広がる。そんな中、足場を失ったにも関わらず、十夜は空中で静止し、小さくため息を吐いた。
「リスク高いから、あんまりなぁ……」
空は青く澄み渡り、穏やかな風が吹いている。
なのに、その日の海だけは、ほんの少し荒れていた。
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「おつかれさまっ」
ユートピアシャトーに帰還して、デスクに付いた十夜は並んで立つロスとベイに笑顔でそう言った。ロスは「大した事では」と言って凛としていたが、ベイは肩をガックリと落としてため息を吐いた。
「マジで疲れたぁ! なんでウチだけあんな遠く離れた場所だったんだよ!」
船も何も見つからなかった彼女は、あろう事か、無人島から泳いで2人に合流したのだ。もちろん怪異の力は使ったが、それでも荒れた海は彼女の体力をゴリゴリ奪っていった。
「主人の前でだらしないわよベイ」
「ロスはいいよねぇ! 唯一あんま場所変わってなくて! でもすっごい高い場所にいたから上るの大変だったし! ダンナに関してはなんでか空にいたから探しまくったし! そら疲れるでしょ!」
「ベイちゃん速いけど持久力無いもんね、ほんとお疲れ様」
この中で、最初に敵を倒したのはベイだったようで、他2人が戦ってる間、ずっと合流を目指して走り回っていたのだ。
「結局温泉入れなかったし! あの蟹ども……攻撃早過ぎんだろうがよ……」
仕事として来ている以上、対象の討伐という任務が達成されたなら、速やかにその場から離れるのが鉄則。当たり前の事だが、それでもベイは悔しそうに両手をワナワナさせる。
「あ、割と旅行気分だったんだ、ごめんね、もうちょいゆっくりしたら良かったね」
慰めるように言う十夜に、ベイはズイッと顔を近付けて言う。
「ん、なら今度はちゃんと旅行しましょうよ、仕事完全に抜きにして」
サラッととんでもない要求をする同僚に、ロスは呆れて首を横に振る。
「ベイ、貴女ね」
「したら、ウチらの私服だって自然に見れるしさ」
「どこいくー? いつにするー? 何泊するー?」
主人は超ノリノリだった。2人を交互に見て目を輝かせている。その様子に、ベイは満足そうに腕組みをして頷いた。
「ダンナがこう言ってんだから、ロスも素直に喜びなよ。本当は一緒に旅行したいっしょ?」
「いや、それは、その」
「一緒に温泉入りたいっしょ? ダンナと」
「貴女ライン超えてふざけてると本当に怒るわよ?」
「割とマジよりの提案なんだけどー? ダンナだってウチらと裸の付き合いを」
「社会的にマジで殺されるからやめてなー? 節度は守ろうね」
「チッ、なんでウチの周りはこう、お堅い人ばっかりなのかね」
「貴女が従者として頭三つ分くらいおかしいだけよ」
ベイが2人に諌められたところで、閑話休題。
「結局のところ、敵の正体はなんだったのですか?」
報告書をまとめながら、ロスは尋ねる。それに対して十夜は「うーん」としばらく考えてから言う。
「ざっくり言っちゃえば、めっちゃ強い下請け業者かな?」
「下請け……と、それは、つまり」
「九尾狐の手下、もっとも、その九尾狐を呼び捨てにしてたし、その気になれば倒せるなんて言ってたあたり、信者ってわけじゃなかったみたい」
「一枚岩じゃない、どころか、仲間とすらお互い思っていなかった、という事ですか? それなら、どうしてあんなに必死に」
「恩を売りたかったんだろうね。逆に九尾狐を利用して、何か企んでいたのかも」
その真意は、本人ごと消し飛んでしまったので定かでは無いが、碌な事では無かったのは事実だろう。
結果オーライだ。
「ダンナの話を聞く感じ、ウチらじゃ太刀打ち出来なかったろうなぁ……ロスなんて特に相性悪くね?」
「……それならそれでやりようはありますけど……厳しそうのは事実ですね」
「なによりマズイのは、そんな強力な奴が、九尾狐にとっては使い捨てのコマでしか無かったって事かな」
場の空気が一気に凍る。それは、恐ろしい事実だった。
天候を操り、自分に有利な空間を作り上げられるほど強力な怪異が、使い捨て。なら、奴が組もうとしている組織は、一体どれだけ強い怪異が集まるのだろう。
個々が超強力な怪異が、組織として集団になる。あまりに恐ろしく、思わず目を背けたくなる現実だ。
果たしてその集団を相手に、勝ち目はあるのだろうか。
「まぁ、でも、大丈夫でしょ」
いつも通りの軽い声で、十夜は言う。
「九尾狐はその力を誇示する事によって、仲間を『集める』事は得意だろうけど、集団を『まとめる』力は低いように思える。最初は些細な綻びだろうけど、組織として完成してしまえば致命的な傷になる、僕らにとって、決定的に突くべき隙にね」
だから大丈夫、と、十夜はまるで言い聞かせるように、呟いた。それは不安がる2人に対してかもしれないし、自分に対してかもしれない。
あるいは、彼の中だけにある、別の何かへの答えだったのかもしれない。
「さぁ、次の仕事だよ!」
支払われた金額を確認してから、十夜は再び書類の山に手を伸ばす。
組織に縛られていては自由に動けず、満足に守れない。例え公に出来ず、どちらの勢力からも煙たがられようとも、彼はこの仕事を続ける。
全ては妹の平和な生活の為に。
怪異専門独立傭兵、それが八雲十夜。
八雲八夜の兄の仕事である。
妹は、まだ何ひとつ知らない。




