兄の仕事─中編─
さて、所は兵庫県の城崎郡日和山海岸。リアス式海岸のダイナミックな景観が楽しめる観光スポットで、断崖絶壁と荒波、奇岩が織りなす絶景が見事である。周辺には有名な水族館、また温泉街などもあってなんとも贅沢な場所だ。
そんな見事な観光地なのだから、当然様々な観光客で賑わっているわけなのだが、数多にいる人の中で、それでもやはり、目立つ3人組がいる。
両脇にメイドを連れて歩く男。周囲の目など一切気にせず、十夜達は温泉街を進んでいく。
「……ちなみに他意はないけど、なんで2人ともメイド服のまま?」
その問いに、ベイがポカンとしながら答える。
「だって、これ仕事でしょ? ダンナとプライベートでデートってならウチももっと可愛い服着てくるけど……」
その何気ない答えに、十夜の顔がみるみる青冷めていく。
「うわー……え、マジか、これ休暇って事にすれば良かったか……え、マジで? プライベートなら私服着て来てくれんの? やったわ僕、これはやってるわ」
「ベイ、慎みなさい」
絶望する様子の十夜を見て、ベイは慌てて慰めるように言う。
「そんなしょげなくても! ダンナが一声命令してくれたら、ウチもロスも言われた通りの格好するし!」
「そーゆーのじゃなくてさー、それって『仕事』じゃん、違うじゃん、『プライベート』ってところが良いんじゃん、それに僕、君達をそんな着せ替え人形みたいに扱いたくないしー」
どんどんしょげていく十夜。いやそもそもなんでこんな勝手にダメージを負っているんだと若干思いかけたが、同僚の冷たい視線を感じて、ベイは慌てて話題を変える。
「い、いやー、それにしても、すごい人がいっぱいだなー! こんなところに怪異が、しかも完全体がいるのかなー?」
「それは、いるよ。多分、ここが一番可能性として高い」
一気に仕事モードに切り替えて、十夜はベイに視線だけ向ける。
「高いって……観光でもしてるって?」
「ははは、そうかもね、それだって可能性としてはあるよ」
「なんだってそんな呑気に」
「人目なんか気にする必要が無いからさ」
十夜はまっすぐ前を見たまま言う。
「怪異宿しの状態ならいざ知らず、完全体が人目を避ける必要は無い。その気になれば一瞬で皆殺しに出来る。基本的に、そういう心の余裕が完全体にはあるんだ。身を隠してる完全体がいるとすれば、よっぽど弱いか、それとも、選り好みしてるか──」
言葉を止めて、いきなり十夜は走り出す。その行動の真意が分からず、声をかける事も追いかける事も出来ない2人に、彼は早口で言った。
「ごめん! そっち任せた!」
次の瞬間、どこからともかく現れた大量の泡が十夜を包み、その姿を消してしまった。
「ダンナっ!?」
「ベイ、集中しなさい。どうやら既に、仕掛けられていたようよ」
突然の怪奇現象にパニックを起こし逃げ惑う人々、その中で、慌てず騒がず、2人に近付いてくる2人の男。
「女の子だ、しかも可愛い」
「カントクはあっちでいいのかねぇ? 絶対女の子の方が楽しいけどな」
2人ともレインコートのフードを被って顔は見えないが、チラリと見える口元には、いやらしい笑みをたっぷり浮かべていた。
「なんだアンタら、一体何を……」
ポツリ、ポツリと、さっきまで晴天だった空から、大粒の雫が落ちてくる。一気に暗雲が広がり、昼間だと言うのに、まるで夜のような風景へと変貌した。
「ベイ、気を引き締めなさい。彼ら、強いわよ」
ロスは現れた2人から一切目を離さない。しかし、ベイは未だに空を見上げたままだった。
「……ベイ、貴女いったい」
「……ナァ、アレもアンタらの仕業か?」
空を見上げるベイの目は、驚愕で見開かれていた。異変を察し、ロスもチラリと見上げる。
立ち込める暗雲、光が無いのでよく見えないが、しかし、それでもなおクッキリと、ソレは圧倒的な存在感を放っていた。
空に浮かぶ、巨大な影、形から察するに、それは巨大な船底のようだった。
「アレは……船? あっ」
迂闊だった。当たり前だが、2人とも敵から目を離した、圧倒的で絶対的な隙。そんな好機を、敵が見逃してくれるわけが無かった。
再び降り注ぐ泡。メイド2人を飲み込んで、怪しい2人も飲み込んで、姿を消した。
綺麗で情緒溢れる観光地は、あっという間に戦場になった。
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目の前に広がるのは、岩といくつか建てられた東屋。雨と風に晒されて、ずぶ濡れになりながらベイは辺りを見回す。
「んん? ここは……ダンナが言ってた無人島かな?」
海を挟んで向こう側に大きな施設が見える。アレがここに着いた時に教えてもらった水族館なのだとすれば、位置的に、ここもまた観光スポットの一つである無人島だろう。
さっきまでいた温泉街からそう遠く離れていないが、それでも、一瞬で移動できる距離では無い。
「まいったな、どうやって戻ろう。失敗したな」
「戻る方法なんて考えなくていいさ、お前はここで俺に」
「うるせぇ今考えてんだ話しかけんな」
背後から聞こえた男の声に、ベイは容赦なくそう言い放って攻撃を仕掛けた。彼女から伸びた白い触手が、男の顔面に直撃する。
「ガボッ!」
不意をつこうとした隙を逆につかれ、想定外の攻撃をモロに受けてしまう。男はそのまま突き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「チッ、無駄に硬ぇなテメェ」
白銀の髪を掻き上げ、ベイは鋭く男を睨む。彼女が掻き上げた髪は、どんどん伸びていき、先端から形状を変えていく。地面に垂れてつく頃には髪は触手へと変わり、うねうねと動いていた。
「なんだお前……俺達と同じ……じゃないよな? なんだこの妙な気配……」
ヨロヨロと起き上がった男は顔面から垂れる血を拭いながら、異様なものを見る目をベイに向ける。そんな男の様子に、彼女は呆れたようなため息を吐いた。
「なんだ、お前九尾狐の手下じゃねぇの? それとも手下の更に手下? まぁどっちにしろ、もう用済み確定だから後は倒すだけなんだけどさ」
「なんだと……お前らこそ一体何者なんだ? 討伐組織か、『猿』の使いじゃないのか?」
「知らねぇよ。ウチらだって自分がなんなのか分からなくなっちまってんだ、どれもこれも、全部九尾狐のせいでな……まぁでも、生きてるうちに無駄だと思うけど一応聞くわ」
髪をかき乱しながら、ベイは男を睨みつけて言う。
「九尾狐が今どこで何してるかしらねぇか?」
「……知らねぇなぁ。カントクは何か知ってるみたいだったが、生憎俺達はお前の推察通りただの下っ端なんでね。ほぼ何も知らされてねぇ、けど、下っ端とはいえ完全体、あんまりナメんなよ」
「……この雨も、あの船も、そのカントクって奴の能力か? そいつを叩けば何か分かるって事か」
「……へっ、さぁな、これ以上知りたきゃ、俺を倒し──ぎゃぶっ!」
言い終わる前に、男の顔面に触手が叩き込まれる。今度は余所見していない、なのに見えなかった。一切反応出来なかったというか、そもそも見えなかった。
「な、なんだ……どこから」
「お前、マジで硬ぇな……チッ、しゃあねぇか」
ベイは気怠そうに後頭部を掻いて、周りを見る。周囲に、自分達しかいない事を確認する為に。
「お前さ、ウチがマヌケで罠に嵌めれたと思ってるだろ? 上手く分断できたって」
「ああ? その通りだろうが、集団で行動してるって事は、単独じゃ戦えないって事だろうが、今更負け惜しみを」
「信じる信じないは自由だけど、ひとつ言っておく、罠にかかったのはお前らの方だ」
見られたく無いしな、と言って、ベイはペロリと舌を出し、そしてそのままいつの間にか鋭くギザギザになった歯で思い切り噛み切った。
溢れ出る血を両手で掬いながら、上手く話せないはずなのに、ハッキリと言い放つ。
「『混鮫』」
血がどんどん溢れ出て、それがまるで意思を持ったようにベイの体を包み、そして、その姿を変貌させる。
「……なんじゃあ、そりゃあ」
男の前に現れた怪物は、なんとも奇妙な姿だった。鮫のような頭部を持っているが、しかし、頭髪のように生えているのはまるでイカの触手。
混ざり物の化け物だった。
「……ブサイクだろ? 見せたいか? こんな姿、ましてや……」
言いかけて、怪物は口を閉じる。もう余計な事は喋らない、そういう意思を感じた。
「……気持ち悪い、変な奴だ……いいさ、すぐに力の差を思い知らせてやる、純粋な完全体の方が強いに決まってる!」
そう言い放つ男の姿もあっという間に変貌した。巨大な殻を背負う甲殻類、つまりはヤドカリに似た怪物に変身した。
「先に言っておく! 俺の殻は攻撃を吸収して、何倍にもして返す! 俺にダメージを与えれば与えるほど、お前は自分の首を」
「ああ、そうなのか、わりぃ、もうヤッちまった」
ヤドカリは、奇妙な光景を目にする。いつの間にか自身の目線が遥か下になっているのだ。いつの間にか接近を許してしまった、混ざり物の化け物を見上げている、敵が非常に巨大に見える。
その隣に、もっと奇妙で不気味なものが立っていて、直後、力無くユラユラと揺れて倒れた。
ボタボタと青い液体を撒き散らしながら倒れたソレは、まるで、ヤドカリのような形をしていた。
「アレ……俺?」
ヤドカリの意識はそこで途絶えた、というより、強制的に潰された。触手が握り潰し、海へと放り投げる。残った体もバリバリと噛み砕いて、綺麗に食べてしまった。
「折角の観光地、汚したら悪いもんね……いやしかし」
ベイは変身を解いて、温泉街の方を見ながら言う。
「こんな姿、好きな人には見られたく無いって」
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目の前に広がるのは、街全体を見下ろせる絶景だった。残念ながら暗雲のせいで良く見渡せるとは言い難いが、それでもなお絶景と呼べる風景だった。振り返ってみると、そこには立派な寺があり、近くにはカフェのようなスペースと、下に続くロープウェイも見えた。
つまり、ここは山の上である。
「あらあら……もう、ベイったら、あの子多分わざとね」
頬に手を当てて、呆れたようにロスは言う。色々考える事はあるが、今はとにかく現状の把握だろう。眼下に広がる景色から、先程まで自分達が居た温泉街からそう遠く無い場所だと分かる。つまり、十夜もベイも近からず遠からずの距離にいる可能性が高い。
早く終わらせて、合流しなければ。
「……分断して、不意打ち狙いですか。でしたら最初に現れたのはどういう意味があったんです?」
気配の方を向かず、ロスは言う。
「へっ、鋭いね、もしかしてタダの人じゃない?」
寺の中から、先ほどの男が出て来て言う。その目はとてもいやらしく、嫌悪感を覚えるものだった。
「……仲間が心配なので、早めに終わらせますね」
「言うじゃない、オレそういうの嫌いじゃないよ。強気で澄ましてる女を屈服させるのスゲェ楽しいし!」
男は手を叩き、そのまま姿を変える。赤く、小さな棘が生えた硬そうな殻を持つ、海老に似た怪物。
「カントクにマジで感謝だわ! オレらに女の方くれるなんてさー! オレの相手がアンタって事は、相棒の相手はあの白髪かー! オレの方がアタリだね、アンタの方が乳がデカいから遊び甲斐が」
「不愉快です。それ以上喋らないでください」
丁寧で落ち着いた声のまま、ロスは鋭く海老を睨んで言う。そして、口元を手で押さえ、見えないように舌を噛み切って、静かに言う。
「『混せ』」
「させないよーだっ!」
良からぬ気配を感じたのか、海老が鋭いパンチをロスに繰り出す。その速度と威力は凄まじく、拳はロスの腹を突き破り、貫通してしまった。
「あ! やっべ! これじゃあ死んじゃうじゃん! やっちまった! あーあ、残念、相棒が殺してなきゃいいんだけど」
「……失礼な方ですね。品性があると期待していたわけじゃないんですけど……最低限すら無いなんて」
「……あ? なんで」
腹を貫かれたはずのロスが、顔色ひとつ変えず、心底冷めた目を海老に向けて言う。そのまま自分に突っ込まれた腕を掴んで、再度、静かに言った。
「『混星』」
直後、口から溢れ出る血が透明で透き通ったものに変わり、それが身を包んで、姿を変貌させる。
現れたのは、先程までいた可憐な女性の面影など微塵も残していない、なんとも不気味な怪物だった。頭部はクラゲ、胴体はヒトデ、下半身は蛇に似た、ごちゃ混ぜの怪物だった。
「ひっ……なんだこの化け物! 離せ!」
「本当に失礼ですね。それに、勝手に近づいて来たのは貴方でしょう?」
まるで抱きしめるように、クラゲの触手と、ヒトデの腕で、海老を捕まえて、更に自分の中へと引き寄せる。
「な、なんだ!? し、沈む!」
「ここは観光地、多くの方が来られ、心を癒される場所です。暴れて景観を失わせたくありません。どうか、静かに、逝ってください」
どんどん、ずぶずぶと、海老はごちゃ混ぜの怪物に沈んでいく。
「やめろぉ! 離せぇ! 助けてくれ! 助け──」
とぷんっ、と、海老は完全に飲み込まれ、その場にはロス1人だけとなった。
直後、ヒトデの腕の先が白い粉を噴き出した。サラサラと軽いソレは、宙を漂い、そのまま消えてなくなった。放出が終わったのを確認すると、ロスは変身を解いて、街へ降りる術を淡々と探し始めた。
「こんな姿、見せられませんね……」




