第2部 血まみれの愛 22
「くそおっ」
ヌシがアグノーをドアにぶつけた。しかし、ドアは全体がへこんだだけで外れない。逆に引きはがすと、金色のアグノーで満たされた階段が見えた。
「地下室ごと押しつぶす気かよ。でもな、簡単に死なないぞ」
ヌシが天井へ向かって力を放つ。穴を開けて逃げるつもりだ。
「そうはさせないぞ」
優介の周囲でアグノーが輝き始め、ヌシを覆い尽くそうとする。ヌシも抵抗するが、優介の力に圧倒されていた。
「こんな狭い場所だと逃げる場所がないからね、技術より力の強さが物をいう。昔から君は僕と相撲をしても勝てなかっただろう。アグノーは鍛えて伸ばすなんてできないからな」
「馬鹿野郎、このままだとお前だって死んじまうじゃないか」
「そのとおりだよ」優介は頷く。「ねえ香織、一緒に死のうよ。その方が君のためだ。この建物は千トンあるから、仮に押しつぶされなかったとしても、自力じゃ出られない。救助されるまでに窒息死するだろう」
「ふざけたこと言ってんじゃねえ。俊、こいつを潰せ」
「俊君、君はどう思うんだ」
「どうって……」
ヌシを見つめたまま問いかける優介に、俊は止まった。
「どうして生きているんだ? 君は多くの人を殺し、自らも死の恐怖にさらされている。それがどんなに苦しいかは、自分自身よくわかっているはずじゃないか。今からすべてを清算したとして、誰も文句は言わないはずだ」
特別取締官となって一年あまり、これまで俊は四人の規格外JSを殺処分している。そこには正義もなく、ただ、やらなければ自分が殺されるという思いだけで行動してきた。
苦しみで顔をゆがめながら、断末魔の叫びを上げる男。死を意識して、悲嘆にくれた顔。脳裏には自分が殺した規格外JSの表情が次々とよぎっていく。
優介の言うとおりだ。あきらめれば、こんな殺し合いの世界から逃れられるんだ。いいチャンスなのかも知れない。
頭上からゴゴッと音が響いた。
天井から一抱えもあるコンクリートの塊が、地響きを立てて俊の傍らに落ちた。千切れた配管から水道水が噴き出してくる。
「早くしろっ。こいつの戯言に付き合っちゃいられないんだよ」
「そういう君はどうなんだい。こんな世界とおさらばしたいと思わないのか?」
「うるさいっ、あたしは生きていたいんだよ」
「どうしてさ。こんな世の中に、生きる価値なんてあるのかい」
部屋の中央にある柱が音を立てて弾けた。むき出しになった鉄骨が、ぐにゃりと曲がっていく。
「由衣や浜口君だって、この世界に絶望したからあんな行動を起こしたんじゃないのかい?」
「あたしはあの子たちと同じじゃない。生きる価値なんて、どうだっていい」
「それなら仕方ない。でもね、君が生きている限り、多くの仲間が殺されていくんだ。だったら僕と一緒に死んでしまった方がためになる」
優介の力場から、紐状の力が分化して、身動きのできないヌシへ向かっていく。
先端は、錐のように尖っている。
「香織、僕が楽にさせてあげるよ」
優介のアグノーが、ヌシの力場を切り裂き、侵入しようとしていた。
「俊、助けて」
ヌシの悲鳴のような声で、俊は初めて自分が呪縛を受けていたのに気づいた。
「優介、よすんだ」
俊がアグノーを放ち、優介は飛ばされて壁に叩きつけられた。
優介が起き上がろうとする瞬間、ヌシがアグノーを打ち込んだ。
尖ったアグノーが優介の力場を切り裂き、体内へ侵入していく。
強ばった表情の優介と、闘犬のような目をしながら、口元に笑みを浮かべているヌシ。勝負は決していた。
「幼なじみのよしみだ。楽に死なせてあげるよ」
「お前に殺されるとは思ってもみなかった」
優介が苦笑いを浮かべた刹那、体が痙攣したように震え、前のめりに倒れた。
優介が死んだ。
あまりのあっけなさに、呆然としている俊へ、ヌシが掴みかかった。
「ぼけっとしてんじゃねえ、ここから逃げるんだよ」
四隅の柱も割れ、鉄骨がむき出しになる。
天井がバリバリと音を立て、がれきとなって落ちてくる。
「アグノーだ」
ヌシが天井に手のひらを向けた。俊も考える暇なく、同じように手をかざす。
二人のアグノーが黄色く輝き、がれきへ向かった。しかし、奔流は止まらない。アグノーごと押しつぶしてくる。
立っていられず、床にたたきつけられた。
地鳴りのような轟音が響き渡る。
がれきが一挙に襲いかかってくる。
俊の中で、本能が爆発した。
自我が吹き飛ばされ、圧倒的な生命力が、意識の底から噴き出してくる。
「うわぁっ」
叫びと共に、今まで感じたこともない力が噴き出す。
目の前が真っ白になり、一瞬意識を失った。
気づいたとき、目の前に真っ暗な闇が広がっていた。手は伸ばしたままだ。
生きている。そう思ってほっと息を吐いた。
ゆっくりと手を下ろす。既にアグノーによって周囲は固められているようで、がれきが崩れてくることはなかった。足は動かそうとしたが、がれきに埋まっていて、筋肉だけでは動かせない。アグノーを使えばどうにかなるのだろうが、下手に動かすと、上半身の空間も崩れてくる恐れがあるので、やめることにした。痛みもないし、位置情報はジェネレータでわかるはずだから、このまま救助を待っていればいい。
埋まった下半身から、冷たさが染み渡り、土の匂いがする。そうだ、ヌシはどうなったのだろう。
「ヌシ、生きているのか」
「ここにいるわ」
すぐ横で、ヌシの声が聞こえてきた。アグノーを拡張させていくと、光でヌシの顔が浮かび上がっていく。
「怪我はないか?」
「大丈夫。お前はどうだ」
「特に痛みはないよ」
「そりゃよかったと言いたいところだがな。甘いぞ」
ヌシの顔が鋭さを増したかと思ったとき、いきなり内臓に異物を感じた。
腸の間を、そろりと蠢きだす。
「お前がもたもたしなかったら、こんな状態にはならなかったんだ。落とし前を付けさせてもらう」
「よせよ……本気か」
「お前みたいな柔な奴じゃあ、足手まといだ。今日はどうにかなったが、次もうまくいくとは限らない。もうすぐ下の世代が取締官になるからいい機会だろ。交代してもらう」
異物が、腹から胸へと移動していく。
頭の芯から恐怖が発生し、全身を貫いた。
アグノーを維持する力がなくなる。がれきの中にある空間は、ヌシのアグノーだけが、鬼火のようにゆらゆらと瞬いていた。
優介をあっさり殺した女だ。いくら仲間だとしても、殺すのにためらいはしないはずだ。
「怖いのかよ。心臓がどきどきしているぞ」
押し殺したような笑い声が聞こえてくる。
「柔らかくて弾力がある。いい心臓だわ。潰すのがもったいないくらい」
胸が締め付けられる感覚に襲われる。目の前に火花が散り、意識が飛んでいった。
まぶしくて、思わず目を瞬かせた。天井に、柔らかく調光したLEDライトが光っており、暖かな毛布が肩まで掛けられている。俊はいつの間にか、ベッドに寝ていた。
ゆっくりと上半身を起こしてみる。白い壁の殺風景な部屋で、窓からは隣のビルが見えるだけだ。どうやらここは病室のようだった。左肘の内側がむずがゆいので目をやると、点滴の針が抜けているところだった。針は床に落ち、異常を知らせる信号が鳴り始める。
「起きたのね」
ドアが開き、妙子が入ってきた。彼女は点滴のチューブをまとめると、俊をベッドの縁に座らせ、簡単な検査を行った。
「異常はないようね。本当は精密検査をしなくちゃいけないんだけどここじゃだめみたい。みんなJSを怖がっちゃってね、機器を操作する人がいないのよ。東京へ戻ったら防衛医大へ予約を取ってあるから、すぐに行きましょう」
「ヌシはどうしてる」
「あの子は元気よ。他の二人と一緒に東京へ戻ったわ」
「俺、あいつに殺されそうになったんだ」
妙子が眉根を寄せた。「それ、どういうことなの?」
「俺の心臓を潰そうしたんだ」
「まさか。あの子はあなたが埋まっている間、ずっと意識を失っていたと言っていたけど」
「嘘だ。こんなになったのはお前のせいだって、あいつは俺を殺そうとしたんだよ。結果的に殺さなかったらしいけど、俺を脅かしたのは確かさ」
「あの子もずいぶん変わったけど、そんなまねするなんて、正直信じられないわ」
「本当さ。今もあいつのアグノーが体を這い回っている感覚を思い出すよ。あいつは俺の心臓を締めて、気絶させたんだ」
「でも、なんでそんなことをしたのかしら」
「俺がもたもたしてたんで、頭にきたんだろ。優介をためらいもなく殺したんだぜ。俺を生かしたのも、後々面倒になると思ったからじゃないのかな。誰も気にとめないなら、今頃殺されてるよ」
「やっぱり、優介君を殺したのはあの子なのね」
「死体は見たの?」
「検死はあたしがしたわ。心臓だけ、きれいに潰れていた。仕方なかったとはいえ、あんなに親しかった人を殺せるなんてねえ」
「ひどいもんさ。ためらいもせず、一発で殺しやがった」
「どうしてあんな風になっちゃったんだろう」
「きっと館野の影響だよ。あんなのと付き合うからさ」
「でも不思議よね。そもそも、どうしてあの子は館野君と付き合うようなったのかしら」
「そんなの俺に聞いたってわかるかよ。当人に聞いてくれ」
俊は再びベッドへ潜り込み、毛布を頭まで引き上げた。「疲れた。ちょっと寝させてくれ。まだここにいられるのか」
「大丈夫。今日は遅いから、明日の朝、退院の手続きをしておくわ」
ドアの閉まる音がした。
あいつ、どこまで変わっちまうんだろうか。
かつて、強い愛情を抱いた女だった。
いやが上にも、過去と今の彼女を比べてしまう。
目をつぶると悔しさと悲しさが入り交じり、目頭が熱くなっていった。




