第2部 血まみれの愛 21
俊たち特別取締官の四人は、連絡を受けて保護庁庁舎屋上にあるヘリポートへ集合した。円形のスペースに、二つのローターを備えた灰色の機体が待機していた。ティルトローター機のヴェイラーだ。水平になっているローターはすでに回転を始めており、取締班の搭乗を待っていた。これから福岡へ向うのだ。
三日前、福岡県警に脱走JSを目撃したという匿名の通報があった。これを受け、県警のJS捜査課が内偵を進めていた。今回、脱走JSの潜伏が濃厚となったので、取締班へ出動要請となった。
四人が乗り込むと、ヴェイラーはローター音を高め、離陸した。固定翼モードに切り替わり、軽いGを伴って加速していく。
時速五百キロを超えるスピードで飛行したヴェイラーは、二時間弱で福岡県警のヘリポートへ到着した。すぐに福岡県警の職員が運転するワゴン車に乗せられ、郊外の住宅街へ向かった。
「ここがさっきお話ししましたスーパーです」助手席に座っていた捜査班の男性が、やや古ぼけた小型のスーパーを指さした。「防犯カメラの画像が粗いので苦労しましたが、手配になっている杉木怜美を見つけ出しました。この近くにはコンビニもあるんですが、ああいう場所は顔認識システムのある防犯カメラが設置されているのを知っているんでしょうね。一切寄りついていませんでしたよ」
「で、奴の住んでいるマンションは?」
館野は機嫌が悪かった。早朝に塚原から心臓のヴァイブレーションで叩き起こされたせいだ。
「ここから車で三分ほど走った場所にあります」
「了解」
「おい、もう一本タバコを吸ってもいいか?」
森山がそう問いかけながらも既にタバコを取り出している。半年前からタバコを吸うのを覚え、今では一日一箱吸うようになっていた。
「ねえ、あんたたちオマワリなんでしょ。こいつまだ十九なんだから捕まえなさいよ」
ヌシがうんざりした顔でなじるが、前の席にいる捜査班の二人は困ったように顔を見合わせた。
「バカ、俺たちはJSなんだよ。人間の法律は適用されないんだ」
「でも、一応人間と同じ法律が適用されるんでしょ」
「いちいち細かいこと言うんじゃねーよ」
森山はタバコを咥えてライターで火を付けた。
厳密に言えば森山の行為は違法なんだと俊は思う。しかし、前の席にいる捜査官は、咎める勇気など持っていない。森山が一瞬で自分たちを殺害できるのを知っているからだ。そんな危険を冒すより、見ぬふりをしている方がよっぽどいい。
しばらくして助手席の男が建物を指さした。「あの七階です」
築二十年以上は過ぎているだろうか。全体的にやや色あせた印象の、十階建てのマンションだった。エントランスの前には警察車両らしき白いセダンが止まっている。その横を通り過ぎ、更に一区画通り過ぎたところで右折した。駐車場が見えてきて、ワゴン車は中に入っていく。
駐車場内には車が二台止まっており、一見して警察関係者とわかる、いかつい顔をした男たちが出てきた。
「遠方よりご苦労様です」
深々と頭を下げた男たちに、館野はお辞儀を返すこともなく、ちらりとその頭頂部を見やっただけだった。
「対象の状況を説明してくれ」
「現在、杉木怜美はマンションの七一四号室にいることが確認されています。また、ここから二百メートルほど先の空き地には、機動隊員五十人と陸自の福岡駐屯地から派遣された、対戦車ミサイルを搭載した装甲車が待機しています」
「対象は女一人だけか?」
「現状確認できているのはその一人だけです。ただ、これまでの実績から、単独での潜伏は考えにくいと思います。もっとも、今のところ他の規格外患者は確認できていません」
「マンション内の住民には接触していないな」
「ご指示通りにしています。管理人は防犯カメラの映像を提供させた時点で監視対象としてありますので、情報は漏れていません」
館野は緊張で顔の強ばった男の説明を、頷きながら聞いていた。
「まずは対象がいる部屋の両隣をチェックする。俺と香織は七一三、石黒と森山は七一五だ。中にいるのが規格外でなかったら避難させて連絡を入れろ。ビンゴだったら即戦闘だ。これは音でわかるな。
住民の避難が完了したら、四方から取り囲んで一斉に踏み込む。何か質問はあるか」
「大丈夫だ」
「じゃあ、行くぜ」
四人は再びワゴン車に乗って元来た道を戻り、マンションの前で降りた。既にオートロックが解除されているエントランスを抜けて、エレベーターへ乗り込み、七階で降りる。
廊下には誰もいなかった。通信用端末の付いたヘッドセットを装着し、打ち合わせ通り、二手に分かれて担当の部屋の前に立つ。
俊はドアノブを持ち、意識を集中させる。内部からゴキッと鈍い音が響き、ドアが開いた。鍵を壊したのだ。ヌシなら解錠することができるのだが、俊はそこまでのスキルはない。
土足のまま、ためらうことなく部屋へ侵入した。リビングに寝そべってテレビを見ている女と、ベビーベッドにまだ一歳にも満たないような赤ん坊が寝ていた。驚愕の表情を浮かべている女をアグノーで制し、ヘッドセットのカメラで画像を送った。
画像は保護庁のコンピューターへ送られ、脱走JSと比較される。これなら、たとえ整形していても、骨格などの特徴で確認が可能だ。
――彼女はJSではありません――
保護庁の職員から通信が入った。
しかし、協力者かもしれないので、体の自由は解かない。
「他に誰かいるか?」
「わ、私とあっちゃんだけです……」
首は動かないので、女は視線だけをベビーベッドへ向ける。
「本当か」
心持ちアグノーを強める。
「ほ、本当ですったら」
女は目に、ありありと恐怖の色を浮かべ、喘ぎながら喋る。アグノーに拘束されるのは、拳銃を突きつけられ手ているようなものだ。
「大丈夫だ。他には誰もいない」
他の部屋を調べていた森山の言葉に俊は頷き、女を解放した。飛び起きてベビーベッドへ駆け寄り、赤ん坊を抱き上げる。
「突然で済まない。我々はこういう者だ」
俊は特別取締官の手帳を見せた。女は赤ん坊を守るかのように、更に強く抱きしめた。目を覚ましたのか、赤ん坊がぐずり始める。
「隣の部屋の住人が、脱走JSの疑いがある。廊下に警官がいるから、指示に従って避難してくれ」
何度も頷きながら出て行く女を見届けたあと、端末で館野と連絡を取る。「この部屋の住民は無関係だ。そっちはどうだ」
「ここには誰もいなかった。俺は玄関に回るから、森山はベランダに回れ。俊と香織はそこにいろ。俺が合図したら、一斉に突き破れ」
森山が窓を開けて外へ出て行く。俊は脱走犯のいる部屋を隔てる壁に手の平を付けた。全員の準備ができると、館野がカウントを始めた。
「三、二、一――」
アグノーを壁にぶつけた。一面にひびが入ったかと思うと、一瞬でコンクリート片となって四散した。
砂埃が立ちこめる中、人影が二人見えた。やはり単独ではなかったか。そう思いながら顔を確認すると、見覚えのある顔に、俊は声を上げそうになった。
「とうとう来たか」
女はあらかじめ資料で確認した杉木怜美だった。もう一人は男だ。骨の形がわかりそうなほど痩せている。肌の色が白く、相変わらず度のきつそうな眼鏡を掛けていた。厳しい逃亡生活がそうさせたのか、最後に見たときの幼さは消えて、代わりに精悍さが顔に表れていた。
男は片山優介だった。
かつて、福池の挑発を受けて、彼を殺そうとした男だ。
「優介……」
窓から入った森山も、驚愕の表情を浮かべて優介を見ていた。
「久しぶりね」
隣の部屋からヌシが出てきた。俊よりよっぽど親しかったはずだが、動揺した様子はない。含み笑いさえ浮かべている。
「香織、俺たちはこれから殺し合いをしなければいけないのか」
「当たり前でしょ。情にほだされて逃してなんかいられないわ」
「噂には聞いていたが、変わったな」
ヌシは押さえきれなかったように、声を上げて吹き出し笑いを発した。
「あんた、バカじゃないの。四年もすれば何もかも変わるに決まってるでしょ」
「変われなければ由衣みたいに死ぬしかないのか」
「その通りよ」由衣の名前を出されても、ヌシは眉一つ動かさなかった。「あの子はバカだったのよ。戦えば無敵だったはずなのにね」
左奥の壁が爆発するように破壊され、破片が飛び散った場所に、館野が立っていた。
「おいおい、お前ら同窓会でもやってんじゃねえだろうな」
冗談めいた言葉とは裏腹に、その目はわずかな隙も見逃さぬよう、優介と杉木から視線を外さなかった。
「とっとと殺っちまおうぜ」
「お前だけは変わらないようだな」
「そいつは褒め言葉なのか?」
にたりと笑った館野の周囲から、アグノーが湧き起こる。
「待てよ、僕たちは戦いたくない。誰の制約も受けず、ただ静かに生活できればいいんだ。他人に危害を加えるつもりなんかないんだよ」
「だからって、はいそうですかなんてなるわけねえだろ。法律で規格外患者は殺処分てことになってるんだ。戦わなければ、俺たちが使えない奴と言われて殺処分さ」
「つまり、どちらかが死ななければいけないってことか」
「お前の鈍い頭でも、ようやく理解できたようだな」
「俊君、君はこんな状況がおかしいと思わないのか」
優介が俊を見つめる。
その瞳は悲しく澄み渡り、心の底まで見透かされているような気がした。
不意に、塚原へ向かっていった浜口の姿を思い出す。
――こんなのおかしいよ――
苦しげに顔をゆがめてながら叫んでいた浜口の言葉がリフレインし、優介の視線と絡み合う。
確かにおかしい。どうして親しかった人たちが殺し合わなくちゃいけないんだ。
そこまでして、俺は生きていたいのか?
「俊っ」
ヌシから塊となったアグノーが、俊へ殺到した。無防備だったので、もろに力を受けて隣室へ飛ばされた。ベビーベッドに衝突し、更に背後にある壁へめり込む。
「こいつにほだされてんじゃねえよ」
睨みつけるヌシのは目はつり上がり、唇の間からは、噛み締めた歯が覗いていた。鬼のような形相だ。
「そんなわけないさ」
さっきまでベビーベッドだった木の破片を、服から払いながら立ち上がった。
「顔がふやけてんだよ。一人そんな奴がいたら、全員が足を引っ張られる」
「前置きはそこまでにしとけ。俺はとっととこいつらを始末して、豚骨ラーメン食いに行きてえんだ」
「わかった。優介はあたしと俊に任せてちょうだい」
「おいおい、お前はともかく、俊を優介にぶつけるのかよ。大丈夫か?」
「こいつに覚悟を見せてもらうのよ」
ヌシが俊を指さした。
「お前……」
「香織、これほどまでに変わったとは思わなかったよ。同じなのは外側だけだな。館野に感化されたのか」
「あたしたちが付き合ってるのも知ってるのね」
「いろいろ情報は入ってくるんだ」
「出所はジューケイでしょ。あの人と連絡は取れるの?」
「お前も知ってるだろ。あいつからは一方的に海外サーバー経由のメールが来るだけだし、元を辿っても、どうせ偽名で借りたネットカフェに行くだけだ」
「香織、こいつに含みを持たせるような言い方をするなよ。捕まって連絡先を吐いたとしても、最後は実験台で切り刻まれるのがオチなんだからな。だったらここで死んじまった方が、よっぽどいいんじゃねえのか」
「仕方がない。やるか」
優介は杉木と一瞬目を合わせた。彼女が頷く。
「一応言っておくが、俺たちは特別に訓練を受けた身だ。二対一だとしても、あっさり殺されされないぞ」
優介と杉木の体から、黄色のアグノーが湧き始める。それに呼応して、対抗する四人からもアグノーが出始めた。
重く、濃密な空気が漂い始める。
「行くよ」
ヌシのアグノーが伸び、優介を包み込もうとする。優介は粘膜をまとっているかのように、するりとすり抜け、窓の外へ逃げた。杉木も続く。俊たちも彼らを追う。
風圧を受けながら、真っ逆さまに落下していく。
ヌシが優介の頭上へめがけ、槍になったアグノーを向けた。
針のように鋭い。
優介は力場を輝かせ、アグノーを逸らせた。
アスファルトが迫ってきた。
ぶつかる寸前、アグノーに力を込め、衝撃を和らげる。
道路へ着地した瞬間、転倒する。
優介がアグノーを放つ。
糸のように細い。
起き上がったところで、顔面に迫る。
「うぉぉ」
アグノーを切り裂く。防ぎきれない。
再び倒れてよける。
優介が頭上に飛んだ。
強烈なアグノーで押しつぶされる。
動けない。
殺される。
思った瞬間、優介が横に吹き飛ばされた。
「甘いぞ」ヌシが優介を睨めつけながら叫ぶ。「奴が躊躇したからやられずに済んだ」
優介がふわりと浮いた。
目は、相変わらず悲しみの色を浮かべている。
「ああっ……」
いつの間にか、アグノーに取り囲まれていた。
気づかれない程度のアグノーを放ち、いきなり強くしたのだ。
袋になって、二人を、包み込もうとする。
息苦しく、動きが取れない。
明らかに俊の力を上回っている。
見回し、アグノーが薄い部分を探す。
あった。
アグノーを放つ。
袋が破れ、俊は逃れる。
ヌシは逃げ切れない。優介のアグノーに包み込まれた。
地面へたたきつけられる。
腹に響く鈍い音。
アスファルトが割れ、露出した土の中へ陥没する。
「よせっ」
俊が渾身の力を込め、アグノーを発した。
優介が吹っ飛ぶ。フェンスを突き破り、駐車してあったミニバンへ衝突した。ミニバンはボールのように軽々とはじけ飛び、激しい音を立て、マンションの壁に激突した。
ミニバンは原形をとどめないほど大破していた。だが、体を起こした優介から、ダメージを受けている様子は見られない。
訓練をしていると言っていたのは、本当のようだった。
ヌシが網を掛けるように、数十本の紐状になった力をふわりと優介の頭上に飛ばし、収束していく。
捕らえられる寸前、背後にあるマンションの壁が爆発音とともに陥没した。その中に、ミニバンごと優介が吸い込まれていく。
一瞬でマンションに巨大な穴が開いていた。穴の向こうに、ミニバンの残骸が住宅に突っ込んでいるのが見える。散乱するがれきの上を滑るように飛びながら、穴を進んだ。
穴を出た瞬間だった。頭上から板状になったアグノーが落ちてきて、俊を押しつぶした。
「うぐぐっ……」
優介のアグノーはギロチンのように俊の首を押さえつけ、息をするのもままならなかった。
横向きになった顔を無理矢理上に向けると、トンネルの上に浮かんでいる優介が見えた。アグノーがトンネル全体を覆い、ヌシは外へ出られない。
「悪いが、死んでもらうよ」
優介から紐状のアグノーが伸び、俊に向かってきた。対抗しようとしたが、酸欠で意識が朦朧とし始め、うまく防御できない。
先端が針先のように尖り、俊の力場を貫く。
自分の頭へ侵入し、脳をミンチにしてしまう。
俺は死ぬのか。
不意にトンネル上部の壁が破壊され、優介がコンクリート片と一緒に吹き飛ばされる。俊は自由になった。
爆発した場所からヌシが飛び出てきた。
「早く立てっ、奴が逃げていくぞ」
住宅の上を優介が飛んでいく。俊も地面を蹴って浮遊し、優介を追った。
早いな――何度か規格外JSを追いかけたことがあるが、他と比べて着地と跳躍にリズムがあり、滑ってミスをすることもない。
一向に縮まらない距離に、焦りを覚え始めたときだ。屋根の端に着地した優介は庇ごと壊れ、バランスを崩した。一気に距離を縮める。
間合いに入る。アグノーを発した。
道路に落ちた優介はぎりぎりで避けながら、目の前にあった雑居ビルへ逃げ込んだ。
階段を降りていく姿が見えた。彼を追っていく。
突き当たりにあるドアを開けると、コンクリートがむき出しになった部屋があった。
ワンフロアーすべてが一つ部屋になっていた。天井には小さなライトが一つ付いていて、壁際は暗くてうかがい知れない。
冷たくて湿った空気が、そっと頬に触れた。
暗くなった場所から優介が現れた。戦う気がないのか、両腕は力なく垂らしたままだ。殺気は感じられなかった。
「もう逃げられないわ」
「その通りさ。でも、私の言っている意味は違う」
優介は力のない微笑みを浮かべた。
「何?」
突然、空気が重く濃密になっていく。
ヌシも優介も、力を発している気配はない。もちろん俊自身も。
「お前……何をした」
「数日前から警察が動き回っていたのがわかってたからね、罠を仕掛けたんだ。外には四人の仲間がこのビルを丸ごと囲んでいる。もう逃げられないよ」
息苦しくなるほどに圧力は高まっていく。
ピシッ、という音がして、壁に亀裂が入り、天井からコンクリート片が落ち始めた。




