第7頁 旅立ちの日
漂流生活、3度目の桜。
マーレは11歳になり、身長が伸びた。俺の腰辺りから鳩尾くらいに。
好奇心の強い彼女は、俺の知識をぐんぐん吸収し、一緒に始めた魔術と文字の勉強も覚えがとても早く、特に魔術に関しては俺が置いていかれつつある。
俺も20歳を過ぎ、酒を飲める歳になった。記念に、レトロゲームのローポリ葡萄のような紫の実からワインを試作してみたが、渋みがキツかった……とは言っても、船上では酒は保存の効く貴重な飲料水だ。慣れるしかない。
カプラは相変わらずだ。百年以上生きているらしい彼女にとっては、今の状態が最適だということなのだろう。強いて言えば角が大きくなった気がする。
「練習航海、いい調子だな」
昨日、漸く船が完成した。荷物の積み込みを終え、今は試運転に島をぐるっと一周している。帆の張り方を2人にそれを教えていく。
風に逆らって進めるキャラベル船の練習としては、島の周回はもってこいだ。
20分程で砂浜へと戻り、錨を下ろす。
「よし、これならいつでも出発できそうだ」
「なら、早い方がいいだろう。いよいよだな」
話しかけてきたのは帆を畳み終えたカプラ。表情は普段と変わらないが声色からワクワクが伝わってくる。
「じゃあ今日中に出るか」
──その前に墓守に挨拶して行くか……あの人には世話になったから挨拶をしておきたい。
航海、魔術、地理に地政、彼が生涯で培った多くのことを教えてくれた。しかし、昨日行っても墓地に入れなかったし、会う気がないのだろうか……
ふとマーレを見ると、未練を残したような顔をして島を見ていた。
「出発の挨拶、してきたらどうだ?」
「……!少し待っとってくれ!」
* * *
マーレは森の中、洞窟の中──幾度も通ったその場所を駆けて行く。
向かうは、彼女の育ての親たるセレスティオン、そのかつての居処であった泉。
「やはり、居らぬか……」
淡く光る透き通った泉には、波の一つもなく、探し人の影は見当たらない。
マーレは肩を落とし俯き、水面に写る自らの顔を見つめる。
2人を待たせるわけにはいかないと思い、一言、出発を告げてその場を去ろうとした、その時──
水面に波が立つ。
「お嬢さん、誰をお探しかのう」
マーレが振り返ると、オパールのような髪と目をした、男とも女とも見える老人がそこにいた。その者が纏う太陽のように純白なローブは、繊維の方向に沿って虹色に煌めいており、見た者全てにその者が神秘的な存在であるという確信を与えるだろう。
「──セレ!」
マーレはその者に抱きつく。彼女の目は涙を浮かべ、再会に歓喜する。
セレスティオンはそっと抱き寄せ、最後に抱きしめた時との違い──マーレの成長を実感する。
「すまなかったのう。暫く顔を見せなくて」
「よい、よいのじゃ……」
2人が抱き合い、無言の時が少し流れたあと、セレスティオンが口を開く。
「遂に、島を出る時が来たのじゃな」
「そうじゃ……」
「良かったのう……汝は外の話にいたく興味を持っておったから」
微笑みかけるセレスティオン。その目には巣立つ者への純粋な歓喜だけがあった。
だが、マーレにはそれが、未練を隠しているように思えてならなかった。己の寂しさを投影しているだけかもしれない。しかしそれでも、セレスティオンをただ一人此処に残して行きたくないという思いが芽生えた。
「セレ……セレも、共に来ぬか?」
「……我にはすべきことがある。すまないが、汝等の旅路に着いて行くことは出来ぬ」
セレスティオンの申し訳なさに満ちた顔は、それが重大な使命であることを強く表していた。
「そう……か」
マーレは、セレスティオンに触れていた手を離し2歩3歩と、後ろに下がる。
マーレの心に、この島を出て行くことへの躊躇いが生まれる。漸く会えた育ての親と、話したいことが沢山あるのだ。
この島に流れ着き、多くの新しいことで己の寂しさを埋めてくれた男のことを。より親密になれた、寂しがり屋のヤギのことを。
迷いを抱え、再び俯いた小さな少女。その背を押すために、セレスティオンは少女の頭に手を置き、言葉を紡ぐ。
「この島は何処にでも在る。天災の地、亡国の跡、航海の難所──我もまた、そこに居る。次に会うたら、楽しい旅の話を聞かせておくれ」
マーレはその言葉を聞いて、笑顔を浮かべる。
「……分かったのじゃ!」
迷いの晴れたマーレの顔に、セレスティオンは安堵する。
「いってらっしゃい」
「──いってくる!」
船は大きな三角帆を張り、蒼海を進んで行く。
船体の後尾には、何時迄も手を振り続けるマーレ。
砂浜でその姿を見守るセレスティオンは、自身の手の平に息を吹きかける。何もなかった手の平から光の粒子が巻き上がると、彼らの行先を示すように、水平線まで続く光の帯が水面に走った。
帆船は追い風を受けてより速く、進んで行く──
船が水平線に消え、蒼海は再び静寂に戻る。
「彼らは行ったか」
己の肩に掛けていた白いコートに袖を通した墓守が砂浜に現れ、セレスティオンへと語りかける。
「あぁ。じゃが、汝は見送りをしなくてよかったのかのう?」
「ここで死者を見送り続けてきた私には、生者の見送りなどもう出来ないさ」
「面と向かって言うのが恥ずかしいだけじゃろうて……まぁ、船の荷にこっそりと忍ばせたアレも、見送りの形の一つじゃろう。旅立つ者に何の言葉も残さぬ不義理な男ではないものな」
墓守は「どこまで見ているのだこいつは」と心の中でボヤく。男としての格好付けを見透かされたことに大きくため息を吐き、先を案じるような顔で、水平線に目をやる。
「……彼女らの旅は楽しいものになるだろうか」
「あぁ、きっと」
墓守は世界を繋ぐ旅の友、彼らの笑顔を思い出す。道半ばで終わろうとも、彼らは、確かに笑っていたのだ。
「では、刻んでおこう。彼らの旅路を」
滝の裏から続く洞窟の壁には、壁画が刻まれている。墓守がかつて視たヒトの終わりと再生の記憶。そこに1つ、新たな絵が刻まれた。
大海を突き進む、山羊を乗せた一隻の船。




