思わぬ訪問者
今夜の寝室を決める間、ブラストはなるべく多くを語らないように心がけ、エレネーゼの意見に耳を傾けることにした。
泣き脅しに屈したわけではないが、今夜を本気で特別な夜にしたがっている彼女の気持ちに寄り添うためには、その意に従おうと考えたからだった。
…形式など気にするな!と、パルシャなら一笑に伏すだろう。
半ば強奪の勢いでアイリを妻を迎えた彼の行動力と決断力は素晴らしいと思う。エレネーゼの愛も、きっとそれに近しいものなのだろう。
「このお部屋はどう?」
すっかり機嫌を直したエレネーゼが尋ねた。
「どのお部屋も素敵...迷ってしまうわ。」
君の好きな部屋を…と言うのは禁句だと学んだばかり。ここは慎重に答えるべきところだ。
「良いと思う。他の部屋より広いし、眺めもなかなかだ。」
エレネーぜは頷き、幸せそうに微笑んだ。部屋に入り、二人で閉じられたカーテンを開いて景色を眺める。陽光が差し込み、美しいメーヴェの山々が、視界いっぱいに広がった。
「神秘的な景色だわ。」
エレネーゼは瞳を輝かせて言った。
「不思議…なぜか懐かしいと感じる…あの場所に行ったこともないのに。」
…記憶の断片に触れている?
ブラストはエレネーゼの横顔を見つめた。エレネーゼには記憶の断片が残されている…自分にはないと言うのに…
「今のうちに暖炉に火を入れておこう。夜は特に冷えるからね。」
「私はここに居ても構わない?」
「もちろんだ。私は種火と薪を取りに行って来る。」
エレネーゼを寝室に残し、ブラストは階下の広間に戻るために階段を降りた。こんな場所でボルドーでの騎士修行が身の助けになる...料理の才は今ひとつだが、火おこしなら問題なくこなせるはずだ。
一階に降り、広間に向かう廊下を歩いていると、ふと違和感を感じて足を止めた。このまま奥に進めば広間の入り口だが、右に折れた先はエントランスであり、そこに何かの気配を感じたからだ。
…セネバではない。
それは確かだった。セネバであれば、違和感など覚えるはずがない。
「...誰だ。」
全くの丸腰だったが、ブラストはエントランスに足を向けた。誰もいないはずの城に、何者かが訪れたのは間違いない。上階にいるエレネーゼの安全のためにも、来訪者なら迎え出て然りだろう。
「何者だ。」
ブラストは鎧戸の小窓を開いて言った。視界に入った二人の人影、フードを身につけた男女の姿だった。
「驚かせてすまない。」
男は静かに告げた。
「我ら二人、話さねばならない事があって参った。」
「話?」
「大切な話だ。そなたの未来のために。」
「私の?」
「そうよ。」
若い女も頷き、そっとフードを取り去る。銀の髪と青い瞳が美しい、母によく似た少女だった。
「困っているのでしょう?あの子は本当に愚かだから...」
「…あの子とは?」
「エレネーゼのことよ。情熱が過ぎて暴走している…だから抑えに来たの。」
「不憫だと思ったのだ。不審を抱いたままでは、せっかくの苦労も報われぬ。王女が妨げとなっているなら、いっそ、真実を伝えるべきと判断した。」
言い終わると、男も被っていたフードを取り去った。口角を上げて笑顔を浮かべる... ごく若い青年で、サンザス人特有の碧い眼をしていた。
「君たちはいったい..,」
ブラストは困惑し、青年を瞠目した。相手は自分を知っているようだが、こちらは全く知らない人物だった。
「…とにかく中へ。」
ブラストが導き、二人が中に足を踏み入れると、少女が手を差し伸べてブラストの身体に身を寄せた。
「これが人間?」
「そうだよ。父上の力を受け継ぎし、オーガナイトの末裔だ。」
青年も歩み寄り、ブラストの腕に手を添える…その手の甲には黒い模様が浮かんでいた。よく見れば、頸部にも同じ模様が覗いるのだった。
「影の証...」
ブラストは目を見開いた。
「まさか...」
「そうだ、若き継承者よ。」
青年は自分と同色の瞳をじっと覗きながら告げた。
「私はエーガ…オーガナイトの祖、この世界を統べる「影の王」だ。」
「遅いわ...」
エレネーゼは首を回して扉を見つめた。景色を眺めるのもそろそろ飽きて、ブラストが恋しくなってきたところだった。
「召使いがいれば、王子が仕事をする必要はないのに。」
どんな場所であっても、ブラストは身を惜しまずに働く。メルトワでは騎士として戦ったし、ボルドーの医師としても有能だ。
「試練は、王子として結婚するための責務だったけれど、真っ黒な太陽は予想外だと国王陛下も仰られていた...なぜ彼ばかりがそんな目に遭うのかしら。」
不平を漏らしながら部屋の中を見て回り、隣室のベッドの様子を確かめて見る。セネバの言う通り、寝具も手入れが行き届いていて、とても清潔で、柔らかな感触だった。
「もうすぐ、ここでブラストの妻になるのね。」
少し強引だったが、ブラストも承諾してくれた。日暮まで部屋を暖めて、夜には寝室に入るのだ。
「早く夜にならないかしら。」
“はしたない”のは重々承知だ。父母に聞かれたら、酷く叱られるに違いない。
…それでもいいの。
身体が熱を帯び、胸の高鳴りを抑えられなかった。切なさに身体を丸め、ブラストの情熱的な抱擁を想像して顔が熱くなる…
「やっぱり、全ての記憶を消し去ることは出来なかったのね。」
不意に耳元で囁かれ、エレネーゼは悲鳴をあげて飛び起きた。上体を起こした先に見知らぬ顔が見える…二度驚いて、ベッドから転げ落ちそうになった。
「誰...⁉︎」
「分からない?」
「知らないわ。」
「人間の姿で会うのは初めてだから、無理はないけれど...」
「人の姿?」
t銀の髪の少女は、麗しい笑みを浮かべて頷いた。輝きを放つ銀糸の髪、透けるような肌…その美しさは人間離れしていて、まるで舞い降りた光の様だった。
「声に…聞き覚えがあるわ。」
エレネーゼは目を凝らして言った。
「もしかして...マージ?」
「あたり。」
マージはベッドに腰を下ろして口角を上げた。肩を並べて座り、顔を寄せて視線を合わせる。
「人間って、温かくて心地良い…黄金の光は、こんなにも生物を変えたのね。」
エレネーゼの指先に触れ、マージは目を細めた。反対にマージの体温は感じられない。ほっそりとした指はひんやりとしていて、実体すら薄いのだった。
「これは現実?」
エレネーゼは尋ねた。
「マージはこの世界の創造主で、伝説の中の存在でしょう?」
「現実よ。今ならあなたをつねることだってできるわ。」
「ちょっと...痛い」
マージが指で頬を摘んだので、避けながら文句を言った。
「何のつもりなの?急に現れたと思ったら、いきなり他人をつねるなんて!」
「夢じゃない証明には、これが一番でしょ?」
「ただの意地悪だわ。」
エレネーゼが訴えると、マージはさも可笑しそうに笑った。
「俗世は楽しい。今まで、エーガの他にはお父さまとお母さまとしか話をしたことがなかったの…エレネーゼが初めての話し相手よ。」
「初めての?」
「ブラストとエレネーゼが身を賭してくれたから、私は身体を実体化できるようになった。同じ目線で話しができるなんて、本当に夢の様よ。」
マージは嬉しそうでも、エレネーゼは今ひとつ実感がつかめなかった。自分がいったい何をしたのか、全く憶えていないのだから。
「じゃあ、質問に答えてちょうだい。」
マージの瞳を覗きながら尋ねた。
「今朝、私とブラストはこのお城近くの森で倒れていたのだそうよ。服も着ず眠っていたところを、セネバが見つけて助けてくれた…ブラストは試練の記憶を失くしていて、全て夢だと言うけれど、私には一つだけ憶えていることがある。」
「どんなこと?」
「私はブラストとは結ばれた...別の世界で、愛を誓った…それは真実?」
マージはその問いかけを、真摯に受け止めていた。
「黄金の王女」と「影の王」
その記憶は、人間にとって不要なもの。
消し去らねばならない真実なのだ。
「それを知っても、すぐに忘れてしまう。」
「忘れる?」
「それでも、大切な記憶として心に刻まれる━━それが真実よ。」
「解りにくいわ…つまり、真実なの?」
マージは答えなかった。その代わりに、エレネーゼの額を指先で撫でつつ、囁くように小声で告げた。
「最後に、もう一度、素敵な夢を見せてあげる…夢は幻となって消えるけれど、あなたが知りたがっていた真実がきっと見えるわ。」
マージは悪戯っぽく微笑むと、エレネーゼの瞼を閉じさせた。
意識が遠のき、深い眠りの中に吸い込まれる...
エレネーゼがベッドへと倒れ込み、マージは寝顔を覗き込んだ。
「黄金の王女よ…そなたの献身を、私は決して忘れない。」
エレネーゼの上に毛布を掛けると、マージは光となって姿を消した。
夕暮れの空に、メーヴェの山々が紅く染まり始めていた。
「そなたの記憶を甦らせる。」
大広間の暖炉の炎を見つめながらエーガは言った。
「その身に起きた事実を知らねば、己の価値が実感できぬだろう?」
…そのとおりだ。
その事に全く異論はなかった。
結婚のための「禊」の件は納得できる…しかし、現実世界で起きた『蝕』という事変について、皆にどう説明すれば良いのだろうか?
「そなたの貢献は、我のみならず、この世界をも救った。影は黄金の光と融合を果たし、互いの存在を認め合った…これも全て、そなたの犠牲の上にある。」
「…犠牲?」
「罰を背負った我が身では、罪を滅する事は出来なかった...悲願を成し遂げるためには、我が力を受け止めるだけの強靭な「器」が必要だった。」
「では、試練とはそのための...」
「そのとおりだ。」
エーガは深く頷いた。
「されど、相応の者は現れなかった..希望が消え、私は闇に堕ちた。業火に身体を焼かれながら、世界を滅ぼすことのみを願う様になったのだ。」
「猊下...」
ブラストは、信じられない思いでエーガを見つめた。目の前にいるのは伝説の人物──「影の王」なのだ。
「記憶は真実を物語る...」
エーガは短く答え、慈しむ様にブラストを見やった。
「我が待ち望んだ希望──運命の子──
そなたの誕生から成長を見守り、慈しんできた...その身の痛みを共有し、来るべき運命の日を心待ちに待った。そして、とうとうそなたは成し得たのだ...オーガの大罪、忌むべき影の伝説を打ち破り、世界を救う英雄となった。」
エーガは歩み寄って、ブラストの肩に手を置いた。
「我が父の罪を滅してくれたこと、本当に感謝している。」
「本当にありがとう...ブラスト。」
いつの間にかマージが戻り、エーガの隣に立っていた。屈託のない笑顔を浮かべ、ブラストの頬にキスをする...
「明日はいよいよ結婚式ね。エレナは無知で愚かだけれど、正しく導いてあげれば将来は有望よ。」
「妃とともに、サンザスを繁栄に導いてくれ、ブラスト。」
──崇めるべき、尊い存在──
「もちろんです。」
祝福の言葉が、記憶に刻まれる...
エーガは「試練の記憶」を全てブラストに与えた。
その中には、エレネーゼの記憶もあった。「黄金の王女」の犠牲と貢献──
消滅と再生の軌跡が、二人をこの世界に引き戻した。
ブラストは知った。
抱き合ったのは真実。
しかし、その身体は炎に焼かれ、光となって消えてしまったということを…。
最終話につづく




