第60話 因島の夜と、ほどけていく時間
民宿に入ると、
木の匂いと、どこか懐かしい夕飯の香りが漂っていた。
ひよりが思わず声を上げる。
「……あったかい匂いする……!」
悠斗が笑う。
「うわ、腹減ってきたわ。
今日めっちゃ走ったしな」
すずは静かに言った。
「……安心する匂い」
湊は靴を脱ぎながら思った。
(旅の終わりの匂いだ……
今日一日、やっと終わったんだ)
部屋に荷物を置くと、
四人は畳の上にそのまま倒れ込んだ。
ひよりが天井を見ながら言う。
「畳って……なんでこんなに落ち着くんだろ」
悠斗が笑う。
「ベッドより畳の方が“旅してる感”あるよな」
すずは静かに目を閉じた。
「……音がない」
湊はその言葉に耳を澄ませた。
(確かに……
外の波の音も、風の音も遠い)
民宿の静けさは、
今日の疲れをそっと包み込んでくれるようだった。
夕食の時間になると、
大きなテーブルに島の料理が並んだ。
ひよりが目を輝かせる。
「わ……!
お刺身に、煮魚に、レモンのサラダまで……!」
悠斗が箸を持ちながら言う。
「島のご飯って感じやな。
めっちゃうまそうやん!」
すずは静かに呟いた。
「……光、あったかい」
湊はその言葉に頷いた。
(蛍光灯じゃなくて、
オレンジ色の光が料理を照らしている)
加藤先生が言う。
「今日はよく頑張ったな。
しまなみ海道の“本気の一日”を走り切ったぞ」
ひよりが笑う。
「ほんとに……
朝からずっと走ってた気がする」
悠斗が言う。
「でも、全部楽しかったわ。
橋も島も、ぜんぶ違うんやもん」
すずは静かに言った。
「……海の色、いっぱい見た」
湊は胸の奥がじんわり温かくなる。
(今日の景色……
全部、忘れたくない)
夕食のあと、
四人は順番にお風呂に入った。
湊が湯船に浸かると、
脚の疲れがじわっと溶けていく。
(あ……
生き返る……)
湯気の向こうで、
悠斗が肩を回している。
「湊、お前ほんま頑張ったな。
坂も橋も、全部ついてきたやん」
「悠斗こそ……
ずっと前で引っ張ってくれてたじゃん」
「まぁな。
でも明日も頼むで」
湊は笑った。
「うん。
明日も一緒に走ろう」
部屋に戻ると、
ひよりとすずが布団を敷いていた。
ひよりが言う。
「明日、尾道だね」
すずは静かに頷く。
「……終わるの、ちょっと寂しい」
悠斗が笑う。
「まだ終わってへんで。
明日も島ひとつあるしな」
湊は窓の外を見た。
(夜の海……
真っ暗だけど、どこか優しい)
加藤先生が言う。
「明日は“向島”を越えて、
いよいよ尾道だ。
今日より距離は短いが、
最後の橋は気持ちがこもるぞ」
ひよりが布団に潜り込みながら言う。
「楽しみ……
でも、ちょっとドキドキする」
悠斗が笑う。
「ゴールって、そういうもんや」
すずは静かに言った。
「……明日の光、どんな色かな」
湊は布団に入りながら思った。
(明日……
しまなみ海道の最後の道を走るんだ)
四人はゆっくりと目を閉じた。
因島の静かな夜が、
旅の疲れをそっと包み込んでいた。




