第13話 儀式の前に(1)
目の前に広がる景色にミモザは開いた口が塞がらなかった。
なぜならあんなに広かった大広間が人、人、人で埋め尽くされていたから。
ミモザの故郷でも、太陽祭は祝うけれど、それはミモザの花で作ったリースを飾り、春野菜を使ったご馳走様を家族で食べるという程度で、至ってシンプルなものだ。
「王城での太陽祭だから、それ相応のものを想像はしていたけれども、ここまで人が多いとは……」
隣にいるマーガレットに囁くように言うと、
「今年はローワン王子の成人の儀も兼ねているので、特に力が入っているようですよ」
とマーガレットが教えてくれた。
昨日、ミモザたちが装飾を施した大広間には、いまやたくさんの貴族が集まっている。
その誰もが、目一杯のおしゃれを身に纏っている。中には、首がもげそうなほど大きな帽子を被っている人や、踏んで躓いてしまいそうなほど裾の長いドレスを着ている人、直視すると目がやられてしまうのではないかと思うほどのギラギラをドレスにつけている人もいて、もはや正装ならぬ、盛装だ。
その姿に、お洒落って奥深いなと感嘆してしまう。
かくいうミモザも、今日は髪の先から、つま先にいたるまで、しっかりと気合を入れてきた。
厳密には、マーガレットに気合を入れられた、という方が正しいだろう。
会場へ向かう二時間前、ミモザはすべての支度を終わらせて、優雅に本を読みながらミントティーを飲んでいた。
支度と言っても、いつもと同じように髪を後ろで一つに結び、いつもと同じように最低限のメイクを施すだけ。
特別なことと言えば、ローワン王子にいただいた素敵なドレスを着ていることくらいで、あとは何もかもいつも通りだった。
トントン、というノックの後に、「マーガレットです」という声が聞こえて、ミモザは自室の扉を開いた。そこにはマーガレットの花の刺繍が施された、薄桃色のドレスを着たマーガレットが立っていた。
「マギー、そのドレスとっても似合っているわ」とミモザが声を出そうとしたとき、その声を制するように、マーガレットがやれやれと大きな溜息をついた。
「やっぱり思った通りでした。もしかして、その出で立ちで式に参加されようとおいでですか?」
「ええ、そうだけれど」
それ以外にどんな出で立ちがあるのだろう、と思いながら告げると、マーガレットはミモザを押しのけるようにして半ば強制的に部屋に入ってきた。
ずかずか、のしのし、どんどん。そんな効果音がピッタリなほどに、大きな足音を鳴らす。
「マギー、そんなに怒ってどうしたって言うの?」
「怒ってはいません。呆れているのです」
マーガレットは手に持っていた大きなポーチを机に広げて、テキパキと何かの準備を始めた。そして、その机の前に椅子を持ってくると、ミモザにここに座ってくださいと言わんばかりに、視線を向けた。
言われるがままならぬ、見つめられるがままに座ると、マーガレットはあれよあれよという間に、ミモザの肌のスキンケアから、メイク、髪のトリートメント、アレンジまで至れり尽くせりすべてをしてくれた。
その手際のよいこと。庭師よりも髪結いに転向したほうが良いのではないかと思ってしまうほどだ。
いや、そもそもマーガレットは庭師ではなく、侍女なのだ。ガーデニングよりこちらが本業だった、と思い出す。
すべての仕上げとでもいうように、最後に口に紅が引かれ、マーガレットは一歩下がってミモザのつま先から頭まで、視線を滑らせる。
「よし、完璧です」
いつになく誇らしげなマーガレットは満足げに笑む。どうやら準備が終わったらしいとミモザは口を開いた。
「ありがとう、マギー。でもどうせ私の事なんて誰も見ていないのだから、いつものままでもよかったのに」
そうポロリとこぼれた言葉に、マーガレットは眉根を寄せた。
「ミモザ様は、負けてもいいんですか?」
「負けるって……誰に?」
鉄仮面をかなぐり捨てて、感情をあらわにするマーガレットにミモザは後ずさりながら訊ねた。
「今日来る令嬢たちに、です!」
「ご令嬢の方々に? えっと……私、何か勝負をしていたかしら」
何のことを言っているのか、本当に皆目見当がつかず、ミモザは、はて、と首を傾いだ。
「本当にわかられていないんですか」
「ごめんなさい。本当に全く分からないの」
マーガレットの圧に、ミモザは思わず謝ってしまう。
その姿にマーガレットは我を取り戻したかのように、はたと動きを止めた。先ほどまでの圧と勢いは霧散し、少し萎れたマーガレットが目を伏せる。
「わたくしこそすみません……。つい感情的になってしまいました」
こんな萎らしいマーガレットなんて一生に一度、お目にかかれるかどうかだ。なんだか良いものを見た気持ちになり、ミモザは口端を上げた。
「いえ謝らないで。きっと私が気に障ることをしてしまったのよね。あなたが感情的になるってことはそれなりの理由があるはずだもの」
いつもは冷静なマーガレットがここまで感情を露わにするとは何かがあるのだろう。そう思っていると、マーガレットは独り言のように、ポツリと呟いた。
「……いえ、ミモザ様が鈍感なのは今に始まったことではないのに、ついやきもきしてしまって」
今、鈍感って言ったかしら、と思っていると、落ち着きを取り戻したマーガレットがミモザをまっすぐ捉えた。
「ミモザ様。私、今日だけは、ミモザ様に目一杯おしゃれをしてパーティーを楽しんでもらいたいのです。後生ですから。じゃないと私、死んでも死にきれません」
「……マギー、あなたどこか体が悪いの」
さっきから、萎れたり、謝ったり、マーガレットにしてはおかしいところばかりだ。病気か何かかもしれないと青ざめる。
「いえ、ミモザ様、今のはただの比喩です。話の腰を折らないでくださいませ」
「比喩ね、良かった。安心したわ」
「とにかく今日はどうしても、この素敵な装いでパーティーに参加してもらいたいのです。ほらとても美人ですよ」
マーガレットはそう言うと、ミモザに手鏡を渡した。
いくら化粧をしても、ドレスで着飾っても、一緒なのに、と思いながら、ミモザはゆっくりと手鏡を覗いた。
そこには自分でも見違えるほどの自分がいた。もちろん一目でミモザとはわかるけれど、いつもとはオーラというか、雰囲気が違うのだ。
くるりと上がった睫毛に縁どられた瞳はいつもよりもはっきりと存在感を放っていて、頬はほんのりと色づいている。ハーフアップにまとめられた髪にはカスミソウやオルタンシア、そしてミモザが生のまま飾られていて、毛先はふわふわときれいな曲線を描いている。
見た目が変わっただけなのに、背筋がすっと伸び、自然と胸が前に出る。
体のどこかから湧き上がってくる高揚感に、思わずスキップを繰り出したくなった。
「なんというか……。変わったのは見た目だけのはずなのに、気持ちまで変わったみたい」
手鏡に映る自分をあらゆる角度から見ながらそう言うと、マーガレットが嬉しそうに微笑んだ。
「お化粧は女性にとって堆肥と同じですから」
堆肥とは、植物を育てるあの堆肥の事だろうか。牛糞や馬糞、鶏糞が混ざってできた、あの。
どこが化粧と一緒なのだろうと頭を悩ませていると、マーガレットは言葉をつづける。
「お花だって普通の土よりも堆肥で育てたほうがきれいな花が咲きますでしょう? 人間も同じです。お化粧をすることで、もっときれいに咲き誇ることができるのです。その人の本来の姿を最大限まで生かしてくれるのです」
「本来の姿……」
「はい。そうです。今ミモザ様が鏡を見られて、ご自身を素敵だと少しでも思われたなら、それは化粧の力ではありません。ミモザご自身のお力です。お化粧はあくまで力を最大限に出せるように手助けをしただけです」
ミモザは再び、手鏡を覗き込んだ。そこには、少しだけ自信を身にまとった自分がいた。これが本当の自分。そう思うと、どこまでも強くなれそうな気がする。
「ミモザ様。これだけは覚えていおいてください。ミモザ様はとても素敵な女性です。優しくて、強くて、可憐で。だから、『自分なんか』と卑下なさらないでください。私の大切なミモザ様の事を、そんな風に悪く言わないでください。今日だけでも、自分のことを……、自分の気持ちを、もっと大切にしてください」
射抜かれるようにまっすぐな瞳と、その言葉がミモザの胸を貫く。
いつだって『自分なんか』と自嘲しては、他人に傷つけられる前に予防線を張っていた。だってそのほうが、傷つかずに済むから。
自分を卑下することはあまりに簡単で、『自分なんか』と唱えるだけで、まるで魔法のように、気持ちが楽になって、あらゆる事柄を諦めることができた。それが魔法ではなく、自分を縛る呪文だとも知らずに。
『どうせ私なんて』
言葉は見えない壁となり、周りの侮蔑からミモザを守ってくれている。そう信じていた。けれど、もしかするとその言葉自体が一番、自分を傷つけていたのかもしれない。
「……そうね。ありがとう。マギーはいつもいろんなことを教えてくれるわね」
そう言いながら、せめて今日くらいは、このドレスを着ている間は、自分に自信が持てるかもしれない。そういう自分でいたいと思った。
そうして今に至るのだが、それにしても、とミモザは思った。
「貴族のパーティーって、こんなにもキラキラしているのね」
自身も侯爵令嬢ではあるわけだが、社交界には昔から興味がなかった。だから、貴族のパーティーがこんなにまぶしいものだとは思っていなかったのだ。
眩しいのは、何も大広間の大きなシャンデリアだけが原因ではない。令嬢たちの華美な装飾品が、シャンデリアの光を反射しているのだろう。
皆それぞれ、眩いばかりの宝石を指輪やネックレス、ブローチを見せびらかすかのように身に着けている。どれも高そうなものばかりだ。実際、とても高いのだろう。
「みなさま、ローワン王子に見初められようと必死なのですよ」
「ローワン王子に?」
マーガレットはこくりと頷いた。
「いくらひきこもり王子と言われ、良くない噂が立っているとは言え、王族ですからね。みんな玉の輿に乗りたくて必死なのですよ」
一八歳とは、普通であれば婚約者がいてもおかしくない年齢である。けれど、ローワン王子は十四歳のころから引きこもりだったこともあり、今に至るまで、婚約者はもちろん、そういった浮ついた話は、塵もないらしい。
「ローワン王子の目に留まろうと、いつも以上に華美な装いをされているのでしょう。富や権力が欲しい人なんてごまんといますからね」
「へぇ」
バツイチで、ローワン王子とは六歳も年が上で、一使用人のミモザには、関係のない話である。
「これまで引きこもっていたローワン王子が公の場に顔を出すということで、王様もここぞとばかりに張り切っていらっしゃるともっぱらの噂です」
「張り切るって……何を?」
「王子の婚約者探しですよ」
「なるほど」
「なんでも、今回の成人の儀の後のパーティーで、絶対に婚約者を見繕うと燃えていらっしゃるとか……」
つい昨日まで三年を超える引きこもり生活を送っていたのに、急に婚約者を、だなんてローワン王子も大変だなとしみじみ思う。
願わくば、素敵なご令嬢とのご縁がありますように。
主の幸せを、直属の庭師として、そして友人として、願わずにはいられない。
「マーガレットさん」
背中越しに慣れた声がして、ミモザとマーガレットは振り返った。
そこには、いつもと同じ服装のベイルが、いつもと同じ険しい表情で立っている。
ベイルはマーガレットの隣にいるミモザを見て、目を瞠った。
「驚いた。今日は何というか、いつもとは違った雰囲気でいらっしゃいますね」
いつもとは違うという言葉が、良い意味とも、悪い意味とも取れて、ミモザは苦笑する。
「はは……ローワン王子からいただいたドレスと、ミモザのメイクのおかげでしょうか」
「なるほど。ミモザさんは、こういった装いが似合われるんですね。いつもは軍手に手ぬぐい姿だったので、なんというかギャップですかね。とてもお似合いでございます」
ベイルはミモザに軽く頭を下げると、本題とでもいうように、マーガレットに向かうと、決して声には出さず、何やら目で合図を送った。
合図を取り合っているなとは分かったが、それがどんな意味なのかは分からず、ミモザは二人を交互に見つめる。言葉はないが、何やら緊張感が走る。
「ミモザ様、ちょっとこちらで待っていてくださいませ」
ミモザには聞かれて困る話なのか、マーガレットはそう言うと、ミモザから離れ、部屋の端に移動し、ベイルとこそこそと話をした。
何かあったのだろうかと心配しているが、わざわざ移動してまで自分の前では話をしないのだ。ここは首を突っ込まないほうが良いだろう。
しばらくすると、話を終えたマーガレットが、すーっと、ミモザのほうまでやってきた。
「ミモザ様。大変申し訳ないのですが、ちょっとわたくし急用ができまして、少しだけ席を外させていただきます」
「何かトラブル?」
庭師の仕事であれば自分だって手伝いができる。そう思って訊ねたが、
「いえ……。プ、プライベートなことです」
と何やら絞り出したようにマーガレットは答え、一礼をして、ベイルと大広間から出ていった。
プライベートな用事とは何だろうと思いながらも、今のマーガレットは自分の侍女ではないわけなので、しつこく聞いてはいけないと思い、口を噤む。
成人の儀まではまだもう少しだけ時間があったので、ミモザは外の空気を吸いたくて、バルコニーのほうへ向かった。ギラギラの大広間は、ミモザには少し刺激的すぎる。
歩いていると、知っている顔がチラチラとあったが、特に誰も話しかけてはこない。その代わり、ミモザをこそこそと盗み見ては、何やら面白げに話をしている。その瞳には嘲笑の色がにじんでいた。
きっと、みんな面白おかしく噂をしているのだろう。
侯爵令嬢が、庭師として働いているなど前代未聞だ。
「ほら、あれよ、フランシス家の」
「元フランシス家の、でしょ」
「不倫されたのでしょ、可哀想に」
「先に不倫されるようなことをしたのはミモザ様だそうよ。それもたくさんの殿方と」
「何それ、不潔ね。今は庭師として働かれているとか」
「没落令嬢じゃない」
「ワートル家も落ちぶれたのね」
中にはわざとミモザに聞こえるように話す人々もいて、いつもならば卑下してしまいそうになるが、心を強く持つ。今日の私は違うのよ、と胸を張る。
こちらを見つめる瞳には、以前ミモザと口論になった、あのエミルとユーリもいた。
けれど二人はミモザに近づくことはせず、遠目からこちらを見ているだけだった。
よほどロウィの言葉が効いたのだろう。
歩けど歩けど、人の眼がついてまわって、ミモザは息苦しさに、人気のない方へと足早に向かう。
華やかで囂然たる大広間と違って、バルコニーには人がほとんどおらず、まるで違う空間のようにしんと落ち着いている。
大広間とは酸素の量が違うのか、すこし息が楽になった気がする。
バルコニーの花壇の近くに腰かけて、可憐に咲いている色とりどりのゼラニウムに心を落ち着かせてみる。
パーティーだとか、社交界だとかはやっぱり苦手だ。どうしても人の目が気になってしまう。
あと少しの辛抱。そう自分に言い聞かせていた時、前から声が聞こえた。
「ミモザ様」
凛として、透き通るように滑らかなその声をたよりに、視線を向けるとそこには、リリアがいた。
白百合の君、という通り名に思わず納得してしまうほど美しい彼女は、体のラインがきれいにわかる白のドレスを纏い、左耳に百合の花を飾っている。
手にワイングラスを持った彼女は、ミモザにゆっくりと近づいてくる。
「お久しぶりでございます」
アデスと別れてから、初めてリリアに会うわけで、少しの気まずさもないわけではなかったが、リリアのほうは、依然と変わらぬ様子だった。
相手がさほど気にしてない様子に、少し違和感を抱きつつも、ミモザはその場に立ち上がった。
「リリア様。お久しぶりですわ。今日は一段とお美しいですわね」
リリアはありがとうございます、と微笑む。
「今日は旦那様と……、アデス様と一緒に参りましたの。ちょっと今向こうで挨拶に回っているので、また後で、ミモザ様にもご挨拶させていただきますね」
リリアはそう言うと、左手を顔の右側に持って行き、垂れてきた髪を右耳にかけた。その時、キラン光るものが薬指に見えた。結婚指輪だろう。
ミモザがアデスと結婚していた時にもらっていたような、形だけのただのシルバーリングとは違い、煌めくダイヤが施された素敵な指輪。
ミモザは笑んだ。
「ご挨拶だなんて大丈夫ですよ。それより、アデス様とリリア様がお幸せになられて、私もとても嬉しいです。幸せな気持ちにさせていただきありがとうございます」
心の底からの言葉だった。自分のせいで、一時は遠回りをさせてしまったけれど、アデスにも、リリアにも本当に好きな人と結婚してもらいたいものだ。
幸せそうなリリアをみて、ほほえましく思っていると、リリアが笑みを浮かべたままミモザにしか聞こえないほど小さな言葉で呟いた。
「……いつまでぶってんだよ」
「え?」
笑顔のまま吐き出された言葉は、リリアの口調とは思えないほど棘があり、ミモザは耳を疑った。
「だから、いつまで良い子ぶってるのって言ってるの」
依然として、聖人のような清い笑顔を張り付けたまま、でも今度ははっきりとした悪意を向けてリリアが話す。
いつもなら高くて可愛らしいリリアの声が、心なしか濁って凄んで聞こえた。
「リリア様……?」
何が起こったかわからず、ミモザは目を見開いた。




