第12話 遠い過去の記憶
その日ミモザは夢を見た。
遠い昔の記憶だ。
まだミモザが十三になったばかりの頃、父の仕事に付き添って訪れた王城でのこと。
庭の草花に見とれていると、いつの間にか父とはぐれてしまっていた。
大人にとっても大きな王城は子供のミモザには迷路のようなもので、気がつけば全く見覚えのない場所にまで来てしまっていた。完全に迷子である。
途方にくれ歩いていると、どこからか嗅ぎなれた甘い香りが微かに漂ってきた。その香りに誘われるように歩いていくと、小さな温室があった。
この香りはと、ドアをあけると、むんっとするほどの甘いバラの香りが鼻腔に広がった。
まるでその温室が一つのブーケのように、綺麗に咲き誇っているバラを前にミモザは心を躍らせた。
父親とはぐれて心細かったのもつかの間、バラの香りに心が落ち着く。バラの香りにはリラックス効果があると、以前母から聞いていたが本当のようだ。
中に進むと、バラに囲まれるように小さな噴水がこしらえてある。その淵に一人の少女が座っていた。
人に会えたことに喜んで近づくと、少女は、ハッと顔を上げてミモザを見た。
さらりとした銀髪がふわっとなびく。
「誰?」
ソプラノの声でそう問われる。
目が合った少女は吸い込まれそうなほど深い、紅色の瞳をしていて、それはまるでナナカマドの実のようだった。
驚くほどにきれいな顔をしている少女に、ミモザは思わず見とれてしまいそうになる。
少女の瞳の紅が濃く、鋭くなる。
「ここは立ち入り禁止だよ」
「あ、ごめんなさい。私迷子になってしまって。……もしかして泣いていらっしゃるの?」
よく見ると少女の瞳は濡れていて、表面張力ギリギリで零れずに保っていた。
少女はとっさに服の袖で目を拭う。
「泣いてなんていない。泣いちゃだめだから、泣くわけない」
「なんで泣いちゃだめなの?」
「それは……父様が言っていたから。涙は見せてはいけないって」
ミモザは一歩ずつ少女に近づく。
「人に見せてはいけないってことなら、今は誰もいないから泣いていいよ。だってあなたが泣かなければ、あなたの中の悲しい気持ちはいつまでだって晴れないでしょう。ほら、泣くなら今ですよ」
ミモザは少女のすぐ隣に腰かけた。少女はミモザから距離をとるように、横にずれて座る。
「あんたがいなくなれば泣ける」
どこかに行ってくれと言外に告げられているのには、気づかないふりをした。
「私のことは気にしないで。透明人間とでも思ってもらえれば。さぁおもいっきり泣いて。そして、良ければそのあと道案内をして欲しいのだけど」
そう言ってミモザは少女に一歩近づいた。少女はまた一歩横にずれる。
「……そんな近くに居られたら泣けない」
「でも私は透明人間だから。それに、一人で無くよりも誰か人に聞いてもらったほうがすっきりすることってあると思うの。私に全部ぶつけてどうぞ」
「透明人間なんじゃなかったっけ?」
「透明人間も人間じゃない」
そう言って微笑むと、ミモザはまた少女に一歩近づいて腰かけた。
少女はもう横にはずれなかった。ミモザの横に座ったまま呆れたように苦笑する。
「変な人」
変な人と呼ばれ、ミモザは唇を尖らせた。
「私、変? よく言われるのですがなぜでしょう。ただ自分に正直なだけなのに。なくなった母様に、自分に正直に生きなさいってよく言われていて、だからその通りに生きなきゃって思っているだけなのだけど。正直って他人からは受け入れられないものなのですね」
「……お母さん、亡くなっているの?」
「ええ。七年前、私が六歳の頃に」
「……そうなんだ。悲しいね」
少女の表情が曇った。けれどミモザはからりと答えた。
「でも私には花と思い出があるから」
「花と思い出?」
「母様と一緒に育てた花々と、その花を一緒に育てたときの大切な思い出です。思い出って風化するっていうけれども、私は毎日花を見て、そのたびに母様を思い出しています。だから風化なんてしていません。いつも母様のこと、昨日のように思い出せます」
少女はポカンとした表情でミモザを見つめていた。よくこういう顔をさせてしまうのだ。級友たちもよく同じ表情でミモザを見ている。そして続けてこういうのだ。頭がお花畑だと。
きっとこの少女もそう思っているに違いない。
少女は少し黙った後、重々しく口を開いた。
「実は今からここのバラを切り刻んでやるつもりだったんだ。でも、やめた。そうかこれは母様との思い出なんだね」
少女の口からでた言葉に、ミモザは目を瞠った。バラを全部切り刻んむなんて、そんな凄惨な場面に出くわさなくてよかったと肩をなでおろす。
「どうしてそんなことをするつもりだったの?」
恐る恐る訊ねる。
「……母様が亡くなったんだ。母様はこのバラに殺されたんだ。だから、このバラを全部切り刻んでやろうと思った。でもできるわけがなかった。だってこのバラには、思い出がたくさん詰まってるから」
母親がバラのせいで亡くなったとはどういうことなのか、ミモザにはわからなかった。けれど、それ以上、何も訊くことはできなかった。だって、大切な人の死がどれほどつらくて苦しいか、ミモザは知っている。そしてそれに他人が土足で踏み入れてはいけないことも。
「最初はただの風邪だったんだ……」
少女がポツリポツリと話し始める。
「また一緒にいろんな種類のバラを育てようねって言っていたのに……」
真紅の瞳が揺れて、表面張力で保たれていた雫がポロリとこぼれ落ちた。一粒の決壊を皮切りに、堰を切ったように涙と感情が、どんどん溢れていく。
「元気だって言ってたのに。もっと一緒にいてくれるって言ってたのに。死なないよって言ってたのに!」
止まることなく流れ落ちる雫はとても透き通っていて、あまりに無垢だった。
「まだ一緒にいたかった。生きていて欲しかった……!」
少女はそう言うと、嗚咽を交えて泣いた。ミモザはその背中をさすってあげることしかできなかった。
しばらく泣き続けた後に、少女が下げていた顔を上げた。目はぱんぱんに晴れあがり、涙袋がもっこりと浮き上がっている。最初に見たときの可憐な顔つきとは明らかに変わっていたけれど、なんだかすっきりした表情のように見える。
少女は面映ゆそうに顔を歪めると、
「母さんが亡くなって、初めてこんなに声を上げて泣いたよ。少しだけ気持ちが晴れた気がする。あなたのおかげかもしれない」
とぶっきらぼうに言って、小さく微笑んだ。
「私は何も」ミモザは首を横に振る。「それより、たくさん泣いた後はたくさん笑わないと。今頃、お母様が天国できっと心配しているだろうから」
「……うん、そうだね」
少女は笑った。
春風のように穏やかな笑顔だった。見ているこっちの心が温かくなるような。
その後、少女は当初お願いした通り、ミモザを父とはぐれた場所まで連れて行ってくれた。
じゃぁ、と背中を向けて歩き出した少女に手を振っていると、くるりと振り返り訊ねられる。
「名前……教えて。あなたの名前」
「ミモザです。ワートル=ミモザと申します。」
「ミモザ……。うん、あんたに似合った名前だね」
名前が合っているなんて言われるのは、生まれて初めてのことでミモザは目を見開いた。
たいてい、合ってないとか、名前負けしているとか言われるのだ。
似合っている、という言葉に思わず破顔する。とても嬉しい。
少女はミモザの目を見て微笑むと言葉を繋げた。
「ミモザ、ありがとう。僕、少しだけ前に進めそうだ」
そう言って少女は踵を返して去っていった。
少女の口から飛び出した、『僕』という一人称に少し違和感を抱きはしたが、でもそういう人もいるよなと思ったところで、目が覚めた。
何か大切な夢を見た気がする。そう思ったのだが、どんな夢を見たのか、まったくもって思い出せない。夢とはそういうものなのだ。
ただぼんやりとした頭は、ナナカマド、別名ローワンの木のことを思い出していた。
ついに、ローワン王子成人の儀の前日になった。
今朝は早くから、王城全体の生花の飾りつけが庭師総動員で執り行われた。しかし、ただでさえ広い王城だ。そう簡単には終わらない。
ほとんど休みなく働き、終わった頃には夜の0時近くになっていた。今日中に終わっただけでも良かった、とみんなで肩をなでおろす。
来客が通る玄関はもちろん、通路にまで様々な花がいろんな形で飾られている。
式が執り行われる大広間は、特に力が入っており、壁に天井、床が白一色のクラシカルな空間に、黄色のミモザをはじめとする、様々な色の春の花々が装飾されて、ぐんと華やかさが増している。
ここで明日、ローワン王子の成人の儀が執り行われると思うと、ぐっと背筋が伸びる。
無事に間に合ってよかったという安堵感と、朝からぶっ通しで働き続けた疲労感で、今日はぐっする眠れると思っていたが、部屋に戻り、寝間着に着替えてベッドに横たわってみても、なぜかなかなか寝付けない。
かなりのアドレナリンがでていたからか、興奮して眠れないのかもしれない。
ミモザは、壁にかけてある明日着るドレスを眺めた。
ベイルが持って来てくれたそれは、ローワン王子からの贈り物で、ミモザをイメージして職人に作らせたオーダーメイドらしい。
そこまでしていただかなくても、と恐縮しきったが、直属の部下がみすぼらしい恰好では主人に恥をかかせてしまうからとのことだった。
淡黄色のドレスは、胸元にはミモザの花が咲き誇っているかのような小さな刺繍がたくさん入っていて、スカート部分の裾にもミモザ柄のレースが入っているという、派手ではないが細やかなデザインがとてもおしゃれなドレスだった。
このドレスを着れば、いつもはちんちくりんなミモザも少しだけ可愛くなれる気がする。そう錯覚をおこしてしまいそうなほど素敵なドレスだ。
それなのに、一番見せたい人がもう傍にいないことが悲しくてしょうがない。
――ロウィ様に、このドレスを着ているところを見てもらいたかったな。
きっとロウィなら、かわいい、きれいだとお世辞にも褒めてくれただろう。
このドレスの力を借りて、告白は無理でも、ダンスを誘うくらいの勇気が湧いたかもしれない。
瞳を閉じて、ロウィとのダンスを想像する。
後ろで結ばれた長い銀髪がターンのたびにふわりと揺れて、優しい赤色の瞳でミモザに微
笑みかける。ダンスはあまり得意ではないけれど、きっとロウィとなら、楽しいだろう。
けれどもうそれが現実になることはない。
ミモザはゆっくり目を開いた。
再びドレスを目の前にして、明日でこの忙しい生活も終わるのかと、物寂しさを感じた。
そして、同時に怖くもあった。
明日が終われば、これまで通りの温室の業務に戻る。それはそれで忙しいだろうが、ここ数ヶ月の慌ただしさほどではないだろう。
そうなったとき、自分がどうなってしまうのか、ミモザはそれが怖かった。
今までよりも時間ができることで、自分がロウィのことばかり考えてしまうのではないか、そう思ったのだ。今もふとロウィを考えてしまう自分がいる。温室にはただでさえ、ロウィとの思い出がありすぎる。
もう二度と会えない人を想い続けることほど、苦しいものはない。
想像の中のロウィを、ミモザはいつまで思い続けるのだろうか。
ぽっかり空いた心の隙間はほかの何かが埋めてくれるのだろうか。自分はまた誰かを好きになれるのだろうか。
考えてはみたけれど、どうしてもロウィ以上に好きになれる人が現れる気がしない。こんなに人の事を好きになったのは生まれて初めてなのだ。
もし、このまま誰にも恋することがなく、一生この傷を背負って生きていかなければいけないというのであれば、それはつらすぎる。
恋がこんなに苦しいなんて、知らなかった。大好きな小説にも書かれていない。
ロウィに恋をしていると気づき始めたころ、毎日が幸せだった。
誰かを好きになることがこんなに楽しいことだとは思わなかった。毎日会えるのが嬉しくて、地に足がついていないようなふわふわとした多幸感に包まれた。
けれど今はとてもつらい。ロウィを思うだけで、心臓を誰かに握りつぶされそうとしているようにぎゅっと苦しくなるのだ。
苦しいはずなのに、ロウィからもらった感情だと思うと手放すこともできない。それさえ愛しい。
窓から夜空を眺め、一番光る星に願いを込めた。
――ロウィ様にもう一度、会えますように。
そんなこと、無理だと分かっているけど、それでも祈らずにはいられない。一度でいい。もう一度だけでいいから会いたい。会って想いを伝えたい。
両想いなんて贅沢なことは言わない。ただ想いを伝えることができればそれでいい。想いを告げて、きっぱり断られれでもすれば、きっと前に進めるはず。
――ロウィ様にもう一度、会えますように
もう一度、そう願う。
星は何も言わず、ただミモザを見ていた。




