弐拾陸の10 わたしの名前を出すんですか?
熊本県八代市の私立・秀岳館高校からのコールバックがないから、催促の電話をかけてみた。前回とは別の女声が出た。
あいにく分かる者が全員、会議中で、と原稿を読んでいるような前回同様の反応だ。
「じゃ、会議が終わる頃合いを見計らってかけ直します。夕方は何時まで電話、つながりますか?」
前回の電話の後に監督官庁の県私学振興課を突いているから、県庁から学校になんからのアクションはあったはずだ。この電話の女声がそのことを把握しているかどうか、分からない。
〈必ず折り返します〉
そう言うから、尋ねたいことを前回よりやや踏み込んで伝えた。
秀岳館高校に確認しなければならない事実関係は、おおむね以下に集約される。
脅迫状を受け取ったことにより買いそろえた警棒の点数、購入費用、素材や伸縮式か否かなどの仕様。
受け取る前から同様の警棒を配備しているのであれば、それについて。
脅迫状を契機に警棒の配備以外にも迎え撃つための準備をしているのであれば、それについて。
教職員による当該警棒の携帯・装着方法や、非携帯・装着時の保管方法。
脅迫状に記されている内容に対抗する場合の警棒の使用方法。
対抗する以外での警棒の使用目的。
警棒の所持・使用についての警察など関連機関との協議の有無と、協議があるのであればその内容。
電話で回答が得られなければ、郵便か電子メールを使って文書で尋ねるつもりでいた。しかしそれでは、脅迫状を送付し威力業務妨害の罪に問われでいる被告人、高橋の判決期日に間に合わないかもしれない。判決前に片付け、成果をどこかで発表したい。
必ず折り返しますと宣言した女声職員から、確かにその日のうちに、電話はあった。
〈神奈川県警に聴いてください、ということです〉
「どなたがそうおっしゃってるの?」
〈当校の責任者です〉
「学校長という理解でいい?」
〈構いません〉
「あのね、神奈川県警にはぼく、もう十分、取材してるのよ」
〈……〉
本当は、していない。
することは難しくないが、もはや勤め人でなくよって記者クラブ員でもないおれは、前述した通り例えば県警内部の人間ともギブ・アンド・テイクの関係だから、たびたび彼らの手を煩わせるわけにはいかないし、逆に、おれが丸裸にされてしまうリスクを伴う。
また、横浜地方裁判所での公判で横浜地方検察庁の検事が読み上げた冒頭陳述のうち秀岳館高校にまつわる部分は、すべて神奈川県警捜査員が聴取した司法警察員面前調書だ。
スーパー三和奈良北店、穂積恵美を呼んでそうしたような、検察官面前調書は巻いていない。横浜と熊本という距離的な問題もあるし、そもそも検事が被害供述調書を巻くような事件ではない。穂積恵美を聴取したのは、その日程を設定することによりおれの勾留延長を正当化する目的だ。
そして、この女声は、「警察」ではなく「神奈川県警」と言った。これにより、二つのことが推測できる。
まず、脅迫状を受け取ったことに関し、秀岳館高校は、地元の熊本県警に通告していない。メディアで体罰問題が連日報じられたころだから、さまざまなクレームや嫌がらせがあったはず。脅迫状の件も、それらのうちの一つと受け止めた。
だとすると、警棒配備の発端は、高橋による脅迫状だけではないかもしれない。同じような「被害」に遭い、総括的な対策として警棒配備に至ったのかもしれない。
そして、黒岩祐治神奈川県知事への包丁送り付けの余罪捜査のために、神奈川県警が地元の熊本県警に仁義を切らず乗り込んだ。秀岳館高校にとって、神奈川県警の介入は予測していなかった。
二つ目は、このことと関連する。
おれの電話を受けた後、秀岳館高校は、名刺を置いていったであろう神奈川県警捜査員に、善後策について相談した。相談を受けた神奈川県警捜査員は、こう答えた。
ーー神奈川県警に聴けと言えーー
それで解決するとは、神奈川県警捜査一課も思ってはいまい。しかし、秀岳館高校は、その一言で安心した。
おれは続ける。
「神奈川県警が言ってることのみで記事にしていいの?」
〈……〉
「あなた方の、秀岳館高校としての言い分を尋ねるつもりだったんだけど、その機会を、言い分を主張する権利を、あなた方は放棄するってことでいい?」
〈……〉
「いいってことだね。わかった。あなたの肩書きと名前、教えて」
〈…わたしの名前をなにかで出すんですか…〉
悲壮な声色だ。
「あなたの肩書き次第だけど、記事に出すために尋ねてるんじゃないよ。秀岳館高校としての言い分を主張する権利を放棄するってぼくが聴かされたことを担保するため。『そんな取材や申し出は受けてない』とか後になってあなた方が言いだすのを回避するため」
女声は、肩書きと姓を名乗った。悲壮な声色は、変わらない。
しかし、その悲壮感はおそらく演技だ。同情を買わせそれ以上、踏み込ませないための猿芝居だ。
肩書きはともかく、姓は本名ではない。対外用架空名だ。
一連の体罰問題、その刑事事件化で、おれのような報道取材を含む数多のアクセスを電話などで秀岳館高校は受けているはず。だから、会議中なのでうんぬんを含め、対応マニュアルが構築されていると考えるべき。
熊本県私学振興課に連絡を入れた。秀岳館高校からすでに、事情を聴いているようだ。
〈脅迫状とされる文面は見ました。ファクシミリで送信してもらったのかな、内容を確認しました〉
「警棒については?」
〈話には聴いてます〉
「暴力には暴力で応じる」秀岳館高校の姿勢・思想が垣間見える警棒の携帯、使用に対し、熊本県私学振興課が把握した事実関係や、同校に指導などした内容、同校から聴き取った同校の主張、現状での警棒の使用状況に関しおれは尋ねた。これに対し同課は、個人情報保護を盾に、回答を拒む。
熊本には、一度出向かなければならない。八代市の秀岳館高校問題だけではない。それは大して重要ではない。
叔母である中村帝国の女帝、中村由紀子(一九四七-)と、その自慢の長男つまりおれの従弟に当たる帝国の防人で熊本県警(公安・外事専務員)警部、中村宏(一九七五-)母子による、接見交通権侵害などおれの事件への不当介入そのほかについて解決を図らなければならない。
神奈川県知事に包丁と脅迫状を、秀岳館高校に脅迫状を送り付け威力業務妨害の罪に問われ、検察が懲役二年を求刑した被告人、高橋に対する判決公判は、二〇二三(令和五)年十二月二十五日、指定された期日通り横浜地裁であった。おれは傍聴に臨んだ。
「主文ーー。被告人を、懲役二年に処する。未決勾留日数中、六十日を刑に算入する。四年間、刑の執行を猶予する」
刑の執行が猶予されたから高橋は、未決のまま勾留されていた拘置所から釈放され郷里の北海道に帰るのだろう。
『神奈川新聞』電子版が、判決を報じた。逮捕当時の報道では「派遣社員」の肩書きだったものが、「コールセンター従業員」になっている。逮捕当時の実名は、匿名に切り替わっている。判決時の年齢は四十六歳。
地元紙だからか、黒岩知事の事件については、《「直ちに辞職しないとお前を潰す」などと記した文書と血液のようなものが付着したナイフ一本を発送し、業務を妨害した》と詳述する半面、秀岳館高校の事件は、《熊本県内の私立高校の教頭宛てに「教職員を全員殺傷し、職員室を血の海にします」などと書いた文書を発送し、業務を妨害した》と、校名に触れない。
神奈川県警青葉署留置施設で同室だった野村の共犯者で野村ら四人のうち一人だけスケジュールが遅れている中国出身の会社経営者、文強の初公判が、年明け一月十九日に指定されているのを確認した。野村、橋本のそれぞれ二回目、三回目の一月十七日の二日後だ。
(弐拾漆 手持ち豚さん「1 脚線美の誘惑」に続く)




