弐拾陸の9 取り締まりや武器の所持
当時三十七歳の宅間守(二〇〇四年死刑執行)が大阪教育大附属池田小学校(大阪府池田市)に侵入し児童八人を出刃包丁で刺殺したほか教職員と児童十五人に重軽傷を負わせた二〇〇一(平成十三)年六月の「附属池田小事件」は、全国の教育・保育施設で安全対策を根本的に見直すための大きな契機となった。
原則常時開放だった校門は、原則常時閉鎖された。不審者侵入に備える防犯カメラなど監視機材設置や、侵入した不審者と対峙するためのサスマタ、襲われ受傷した場合の救命具などハード面の装備と、関係機関との情報共有などソフト面の構築強化の必要に迫られた。
学校管理下で事故が発生した際、的確に判断し円滑に対応できるよう教職員の役割を明確にし、児童生徒の安全を確保する体制を確立するために必要な事項を全教職員が共通に理解する目的で文部科学省は「附属池田小事件」の翌二〇〇二(平成十四)年、『学校への不審者侵入時の危機管理マニュアル』を作成。本マニュアルを参考に各学校の実情に合わせそれぞれでマニュアルを策定するよう、自治体を通じ通知した。
文部科学省による指南書や学校ごとのマニュアルは逐次更新されている。国と自治体は学校に対し、訓練などの結果を踏まえた検証・見直しを求める。
二〇一八(平成三十)年の文部科学省『学校の危機管理マニュアル作成の手引』のうち、《不審者の侵入への対応》の項には、こんな書きぶりがある。
《児童生徒等の安全を守る
児童生徒等に危害が及ぶおそれがある事態では、大切な児童生徒等の生命や安全を守るために極めて迅速な対応が必要です。不審者の確保は警察に任せるべきであり、警察が到着するまでの時間を稼ぐことを優先します。
このとき、応援を求め、必ずほかの教職員と協力して組織的に行動することを心掛けます。2~3人の教職員では、刃物を持っている不審者を抑止し、移動を阻止することは極めて困難です。多くの教職員が、防御に役立つものを持って取り囲み、組織的に児童生徒等の安全を守るように心掛けます。
また、こうした事態に備えて、さすまた等については、使用方法を全教職員が理解しておく必要があります》
《防御(暴力の抑止と被害の防止)する。
対峙した教職員は、児童生徒等から注意をそらさせ、不審者を児童生徒等に近づけないようにすることで、被害(の拡大)を防止しながら、警察の到着を待つ必要があります。教職員の応援を求める際には、警報装置、通報機器防犯ブザー、校内放送等が考えられます。
なお、応援に駆けつける場合は、必ず防御に役立つものを持っていくようにしましょう》
《防御に役立つもの》として、図説入りで防具やにわか防具を紹介する。
《(例)さすまた/催涙スプレー/机・椅子/消火器/ネットランチャー/長いものさし/傘》
「警棒」の記述は見当たらない。
脅迫状を受け取った熊本県八代市、私立・秀岳館高校教職員の警棒(おそらく伸縮式特殊警棒)による武装について文部科学省の見解を尋ねようと試みる。国としては関知しておらず監督官庁の熊本県に聴けと拒否されるのは眼に見えているので、文部科学省が著した『学校の危機管理マニュアル作成の手引』から切り崩す。
こう尋ねた。
「マニュアルで《さすまた》や《催涙スプレー》を《防御に役立つもの》として挙げていることに関連し、あるいは関連せずとも、学校安全にまつわり警棒(伸縮式のものでもそうでなくても)について言及する、貴省が作成に携わった資料をリスクアップしてほしい」
文部科学省の対応は早い。
〈一件だけ見つかりました〉
担当者が発掘してきたのは、二〇二一(令和三)年同省発行『やってみよう/登下校見守り活動ハンドブック』だ。主に小学生児童が登下校中に犯罪の被害に見舞われるのを抑止するための、防犯ボランティア活動者の心得が記される。
《以下の行為はやめましょう》の項に、こんな禁止行為が挙げられている。
《警察が実施するような取り締まりや警棒等の武器の所持》
禁止行為にはこのほか、《子供との過度なコミュニケーション(過度な接触、あめ・ガム等を含む飲食物の提供、自家用車や私有地への招待、連絡先の交換等)》《子供を叱る、しつけようとする行為(子供の安全を守るための指導は可)》などが並ぶ。
逆に、ベスト・ジャンパー、帽子、タスキ・腕章、名札、横断旗、携帯電話、ペン・メモ帳、懐中電灯、笛・防犯ブザーを、《活動時の持ち物やあると便利なもの》として例示する。
「登下校見守り活動っていうのは、校外者によるものですね?」
〈そうです。地域ごとに、住民の方にボランティアなどで協力いただいてます〉
「ということは、学校内部の教職員向けではない。教職員のために作られた冊子ではない」
〈そういうことになります〉
「教職員向けには、警棒の所持や使用について言及した文書は存在しないんですか?」
〈見つかりませんでした。学校の安全にかかわることで全方位に範囲を拡大して、見つかったのがこれです〉
「学校内での警棒の所持、使用について文部科学省では想定していなかったし現在も想定していないと受け止めていいですか?」
〈なんとも言えません。さすまたや催涙スプレーについて、防御に役立つと例示しているのはご案内の通りです〉
鎌倉仏教、浄土真宗の開祖、親鸞(一一七三-一二六二)による、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とする悪人正機説を頭に描いた。その説法をではない。構文をだ。
「犯罪にさらされるリスクの高い登下校を見守る校外ボランティアの活動に対してでさえ、警棒などの武器の使用を禁止している。いわんや、同僚が複数いるはずの校内の教職員に対して物騒な物の使用を禁止することは、なおさら必要ではないですか」
〈なんとも言えません〉
「あまりに当然のこと過ぎて、文部科学省には、禁止事項として挙げる発想さえない、ということでしょうか」
〈学校内での教職員による安全活動と、登下校見守り活動は、区別して考えています。もちろんお互いに連携や情報交換は必要ですが。今回は、学校安全にまつわることすべてという森さんのリクエストでしたから、登下校見守り活動まで対象を拡大して探索しました〉
確かに、教職員向け『学校の危機管理マニュアル作成の手引』で防御に役立つとして挙げる、さすまた、催涙スプレーに関する言及が、『やってみよう/登下校見守り活動ハンドブック』にはない。
学校内の教職員による警棒など武器の使用は想定されておらず、逆に、防犯ボランティア活動者によるさすまた、催涙スプレーの使用も想定されていないということのようだ。
『やってみよう/登下校見守り活動ハンドブック』には、あめ・ガムなど飲食物の提供、自家用車や私有地への招待、連絡先の交換などを含む子どもとの過度なコミュニケーションを禁じている。禁じなければ悪意なく、あるいは悪意を伴い敢行する防犯ボランティア活動者が存在し得るということだ。
千葉県松戸市で二〇一七(平成二十九)年三月、小学三年女児を強制わいせつの末、殺害し死体を遺棄したとして逮捕、起訴され無期懲役が確定した男はこの活動に参加していた。殺された女児を含む児童との「過度のコミュニケーション」が確認されている。
わざわざ禁じなくても良くないことと分かっていながら、これらで教え子を手なずけようとする教員が少なくないのもまた事実だ。
つまり、明文で禁じられていないからという社会では通用しない解釈で秀岳館高校は警棒を買いそろえ振り回し、生徒を威嚇することにも「目的外使用」したのではないか。
秀岳館高校の警棒は、生徒を守るためではない。脅迫状を送ってきたなにものかを迎え撃つためだ。
そして、「なにものか」である被告人、高橋の狙いは、あくまでも体罰を容認し率先し隠ぺいを試みた教職員。
だから、教職員の警棒は生徒にも向く。脅しの道具にする。体罰の凶器とする。
文部科学省は、秀岳館高校の脅迫状や警棒の事実関係を把握していないという。
〈そういうことは、地方に聴いてもらわないと〉
「地方とは?」
〈今回の場合、熊本県〉
「そうですね」
学校と監督官庁である県への取材をおれは、もちろん続ける。
(「弐拾陸の10 わたしの名前を出すんですか?」に続く)




