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弐拾陸の8 熊本県知事に包丁が?

「横浜市で作家をしております、森と申します。県内の私立高校に関する事務を所管する担当部署にお取り次ぎお願いしたい」


 熊本県庁の代表番号に架電し、そう申し向けた。なんの用件かとは、聴かれない。「作家」で想像できるだろう。「サッカー」と聞き間違えてもいないだろう。


〈私学振興課に代わります〉


 保留の電子オルゴール音の後、私学振興課ですと言って、女声が出た。

 全国の都道府県で、私立高校は立地する都道府県が監督官庁だが、公立小中高校と異なり教育委員会の傘下にない。担当部署も別だ。熊本県の場合、県立高校であれば教育委員会事務局高校教育課が所管するこの手の事務を、私立高校は、同局とは別の「総務部」私学振興課が扱う。


 私立・秀岳館高校サッカー部の体罰問題が表面化した背景の一つに、このことが挙げられる。


 サッカー寮に入る前の入学予定生徒が練習に参加していて、入学し入寮すれば先輩部員かつ寝食を共にすることになる上級生から壮絶ないじめを受け、入学の辞退に追い込まれた。ところが県は、入学を辞退した生徒を救済できない。組織の縦割りで、別の公立高校に受け入れさせるといった手はずが採れない。

 公立ではない秀岳館と同じような別の私立高校には、秀岳館への入学を辞退した生徒を受け入れる義理などない。

 こうして宙ぶらりんになった生徒に関する報道を通じ、同校教員である監督や、職員であるコーチぐるみの組織的な暴力行為やその隠ぺいがあぶり出された。

 コーチによる部員への暴力動画がSNSに投稿され、火消しに回る監督によるメディア行脚ややらせ動画のSNS投稿も発覚。コーチは、熊本県警八代署が暴行容疑で八代区検察庁(くけん)に書類送検、区検が略式起訴している。

 つまり、入学を辞退した生徒を県が別の県立高校に入学させるなどの救済措置を採っていれば、一連の問題は明るみに出なかった可能性もある。


 横浜地方裁判所(ちさい)で公判が開かれている、黒岩祐治神奈川県知事に脅迫状と包丁を送り付けた余罪として秀岳館高校への脅迫状送付が発覚した男の事件について、電話に出てきた私学振興課の女声職員に尋ねた。

 事実関係を一切、知らないと、彼女は言う。

 おれが知りたいのは体罰問題そのものではなく、脅迫状に対抗して警棒で教職員を武装させている件であることを念押しし、改めて架電するので、県としての対応いかんについて聴かせてほしいと依頼した。

 事実関係の確認の手間が必要だろうから、数日待って電話し直すことにした。ところが、数時間後、おれの携帯電話「赤色一号機」が、096から始まる番号の発信者からの受電を知らせた。


〈先ほど、電話を受けたうちの課の別の者から聴いたんですがーー〉

「はい」


 その発信の主も女声だ。


〈ーー包丁が、うちの知事に、うちの県庁舎に送られてきてるってことですかっ?〉

「いや、違うよ。包丁は、こっちの神奈川県庁の神奈川県知事。説明が分かりにくかったかな。混乱させちゃたかな。神奈川県知事の事件捜査の過程で、そっちの秀岳館高校に宛てた脅迫状っていう余罪が浮上してんのよ」

〈……〉

「だから、この件であなた方、熊本県庁に聴きたいのは、秀岳館高校の、その脅迫状に対する防御策だけ」

〈……〉


 捜査や余罪うんぬんは、県庁職員には耳慣れない用語(ワード)だろう。だから、最初に電話を受けた女声職員はおれの説明する二件をごっちゃにして受け止めている。おれに電話をかけてきた別の女声職員も、事態をのみ込めていない。

 こんな状況から、秀岳館高校が受け取った脅迫状や、それに対する警棒による武装などの防御策について、監督官庁の熊本県が事実関係を把握していない、おれが電話をするまで知らなかったという説明に、虚偽はないだろう。


 遠隔地の取材は、隔靴掻痒(かっかそうよう)だ。それでも、手法はいくらでもある。

 県議会の議員に電話でアタックしてみた。

 議会には常任委員会が設置されており、熊本県の場合、総務、厚生、経済環境、農林水産、建設、教育警察ーーの六つある。県議会の定数四十九のうち、委員長を含め八人が総務委員会に名を連ねる。そのうちの一人の、公表されている事務所の番号の電話を鳴らしてみた。


〈議員は今、留守なんだけどさ、そういう問題は、教育警察常人委員会じゃないの?〉


 面倒くさそうに、男声の留守番は言う。

 私立高校関連は県庁の分担と同様、総務常任委員会の所管事務と知らないのが議員本人ではなかったことが、議員の名誉にとってせめてもの救いだ。


 近隣に取材拠点を持つ報道機関にも当たった。


〈あそこは、教員(せんせい)生徒(こどもたち)も、やんちゃだからねえ〉


 ある新聞社の記者が電話口で笑った。脅迫状のことも警棒のことも知らなかったと、おれの情報提供に礼を言った。


 八代市は人口約十二万で、熊本市(約七十四万)に次いで県内二番目。両市の中心地から中心地まで、車で一時間かかる。かつては大手紙の「地方記者」が守る通信部・通信局があったが、業界の斜陽化で、九州ブロック紙『西日本新聞』を含め撤退。県域紙『熊本日日新聞』がかろうじて支社を置くほかは、報道機関の取材は車で一時間かかる熊本市内の拠点がカバーしている。

 彼ら同業者から情報収集する場合、前出の「ある新聞社の記者」が感謝する通り、情報をそのまま相手に手渡す交換条件(ギブ・アンド・テイク)だから、その手法を頻繁に使うわけにはいかない。ネタが奪われる恐れだけでなく、つぶされる可能性だってあり得る。

 これは、例えば警察組織内部の連中との付き合いも同じだ。相手が捜査機関だと、おれ自身の身柄の安全さえ賭すことになる。

 いずれにしても、どこかの誰かを利用しようと思い上がってはいけない。常に利用されているのだと覚悟しなければならない。


 そんなブーツの底から足の裏をくすぐるような取材でも、成果はあった。


 秀岳館高校の教職員は、授業でも部活指導でも生活指導でも、日常的に伸縮式の棒を振り回しているというのだ。教室では教鞭(きょうべん)代わりに、運動場(グランド)体育館(ジム)では、バトン代わりに。

 その伸縮式の棒が、横浜地裁の公判で横浜地方検察庁(ちけん)の検事が陳述した、司法警察員面前(いんめん)調書によるものであろう、脅迫状を受け取ったことで買いそろえたものなのかどうか、厚底ブーツ越しの取材では分からない。いつから伸縮性の棒を振り回しているのかも分からない。振り回している人数や頻度などの規模も分からない。

 ただ、このことは言える。秀岳館高校の教職員は、脅迫状を受け取り、警棒を教室で、運動場で、体育館で、振り回すための大義名分を得た。これで殴るぞと生徒を脅し、実際に殴ることのエクスキューズを手に入れた。刑法(二〇八条三項)が規定する「凶器準備集合及び結集」に近い。


 教職員らによる生徒への体罰問題が発端だというのに、脅迫状事件で秀岳館高校の「やんちゃ」は増強した。暴力教職員は、息を吹き返した。暴力による学校運営が、「やんちゃ」に拍車を駆けて戻ってきた。


(「弐拾陸の9 取り締まりや武器の所持」に続く)

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