弐拾壱の6 家におる?
金融機関窓口で使える振り替え用紙を郵送するのでそれに従い納入するように、遅れそうだったら電話で連絡を寄越すようにと、十五年前の所沢区検察庁と同じようなことを言われ、横浜地方検察庁舎を解放された。
「こっから自宅まで、自力で帰るの?」
「基本的にはそうですね」
やはり面倒くさそうに、寺山は答える。
おれの質問には、二つの意味がある。
一つは、捜査機関の都合で自宅から青葉署に連行され、青葉署から地検まで護送されたのに、そこで放たれるのか。連れて帰ってくれるとか、交通費を支給してくれるとかのシステムは存在しないのか、という疑問と、そうしてくれというアピール。
基本的には、と寺山が言うからには、例外として、前述したような交通費の支給といったなんらかの便宜的措置があるということだ。
労役場留置された川越少年刑務所を満期出所した際には、埼玉県川越市の辺ぴな田園地帯から、電車を乗り継ぎ自費で、当時住んでいた都内のアパートに帰宅した。
寺山は、おれがこちらだけのことを尋ねていると認識したであろう。それはそれで構わない。むしろ、そっちの方がいい。もう一方のおれの疑念にまで気を回されると、おれの動きが読まれてしまう。
寺山に尋ねた二つ目の意味。
それはもちろん、帰宅できず家に到着する前に警視庁などから再び身柄を押さえられる恐れ。おれにとっては、こっちの方が重大な関心事だ。
寺山の表情と口調からは、その可能性は読み取れない。
もっとも、警視庁の思惑など検察事務官の寺山は知らないのかもしれない。おれに悟られぬよう、おれと接触する可能性がある人物、例えば寺山には、そういう捜査機関の方針が伝わっていないのかもしれない。
「敵を騙すにはまず味方から」ということわざがある。東京地検が、警視庁が、横浜地検を、神奈川県警を「味方」と認識しているか否かは別問題。ただ、彼らにとっておれは共通の敵であり標的であることは間違いない。
横浜地方検察庁舎は、玄関フロアが「中二階」のような高さの位置にある。その下の「半地下」のような場所に待機室が設けられ、その下が地下駐車場だろう。女性の囚人はおれたち男とは同じフロアに置かないはずだから、待機室は別の階かもしれない。心臓病を抱える青葉署の留置施設で同室だった四十番の男、野村が放り込まれる個室も、別の階かもしれない。
寺山から解放され、白い透明度の低いポリ袋を担ぎ、階段でワンフロア降り、中二階の玄関から庁舎の外をうかがう。庁舎は大きな通りが交差する角地にあり、対角線上の角には大きな郵便局がある。
交差点付近は、車や人の流れが激しい。おれを待ち構える者は、追っ手はいなさそうだ。
目の前に、というか足の下に、地下鉄みなとみらい線「日本大通り」駅がある。ここからだと、おれの自宅最寄り駅までに二回、乗り換えなければならない。前述通り、うちは東京の新宿、渋谷と直結しているから、横浜市内の官庁街との行き来は不便だ。
少し歩いて別の路線の駅から乗れば、低廉かつ容易に帰れる。しかし、勾留が解けたばかりで心身の健康が不安だったのと、警視庁を含むどこか良からぬ機関からの再逮捕リスクに備えるため、体をさらして歩く道のりを極力、省く方法を選んだ。
地下鉄駅に入る前、地上で、荷物を検める。
携帯電話を取り出す。メインの二つ折り型「赤色一号」は、電源が入らない。バッテリーが落ちているようだ。
スマートフォン「青色二号」は、電源が入った。しかし、バッテリー残量はわずか。
二台を見分するに当たり巡査長、ピロシキ田中たち青葉署刑事課強行犯係捜査員は、それを終えスマートフォンの電源をオフにしたものの、二つ折りのいわゆるガラケーは年齢的に扱い慣れないため、電源オフの操作方法が分からなかったのではあるまいか。
電源が入る「青色二号」は、液晶画面上方に航空機を象ったピクトグラムが浮かぶ。機内モードであることを表す。外部からの遠隔操作を含めなんらかの電波を受け情報が書き替わらぬよう、見分前にこのモードに切り替え、それを戻していないのだ。
「赤色一号」は点検できない。「青色二号」はサブ機だから、大した用件のメッセージは入っていない。その「青色二号」で、LINEアプリのアカウントにアクセスしてみた。
《こんばんは。今、家におる?》
福岡に住む実妹からメッセージが入っていた。八月二十四日の夜の打刻。六日前、つまり逮捕から二週間後、勾留が延長されて四日目のことになる。
同じ晩に、妹からLINEの音声通話を受電している。実妹からのLINEによるメッセージは、それで途絶えている。
《勾留されてた》
《電話は070-××××-××××へ》
それだけ送信した。バッテリー残量が心もとないからだ。同じ理由で、それぞれ短文だ。
サンタクロースの担ぐような大きなポリ袋から押収品の一つであるリュックを取り出し、書類など重要なものをそのリュックに移し替えている際に、「青色二号」がLINEメッセージの受信を告げた。
妹からだ。
《そうだってね。もう帰ってきた? 身体、大丈夫?》
ポリ袋の荷物は、全部はリュックに収まらない。収まらない分は、ポリ袋に残ったままの状態で持ち帰る。
検察庁の建物を背景に、スマートフォンのカメラ機能を使って記念にセルフィーで自身の容姿を自撮りした。相変わらずの長髪、ひげ面だ。
《やっぱ連絡が行ったか》
《裁判所から帰宅するとこ》
《身体は分からん》
駅改札に向かう階段を降りながら、妹宛てのメッセージを連打する。
青葉署、横浜地検、横浜地裁、国選弁護人弁護士のいずれかから、なにかの照会のために親族である妹に連絡が行ったのだろうと思った。それはそれで仕方のないことだ。
《取材妨害する企業の顧問弁護士をつついてたら、法曹つながりで検察、裁判所から総攻撃を受けた。神奈川県警は全容を把握してない。警視庁から再逮捕されるかもしれん》
車両はすいている。座席に腰を落ち着かせ、やや長めの文で、それでもかいつまんで状況を打ち込んだ。
《お疲れさまでした。
高倉のおばさんが梨を送ったけど、郵便局から「不在で、荷物の保管期間が今日まで」という連絡があったんだって。おばさん達から着信がいっぱい入ってるだろうけど、連絡がつかんからで騒ぎになってね。
怒るかもしれんけど、青葉警察署に安否確認をして、分かった。詳しいことは言えませんが、安全は確保されてますって聞いた》
《まあ、そうなるわな。ヒロシが熊本県警だから、おばはんらは警察だよりだ》
ヒロシというのは、いずれも母方叔母であるうちの「高倉」ではない方の息子で、おれの従弟に当たる。警察官として熊本県警に入職したところまでは知っているが、付き合いがないから、その後のことは知らない。そもそも、当該ヒロシとは彼が小学校に上がるか上がらないかの時分に会ったのが最後だ。
なぜなら、高倉ら親族からおれは生来、ひどい目に遭わされ続けており、それは、おれの元妻やその親族、おれたち夫婦の一人っ子である娘まで波及。この叔母二人は、おれたちの離婚の大きな原因を作出した張本人でもあるから。
接見の国選弁護人、Z弁護士に尋ねられ話した通り、家庭の都合で妹とも十五年以上にわたって会わなかった時期がある家庭の事情は、このことと同根だ。
親族との「骨肉の争い」については章を改め詳述する。
(弐拾弐 勝算「1 売り上げは立っているか」に続く)




