弐拾弐の1 売り上げは立っているか
団地のおれが住む棟一階集合ポストのおれの郵便受けは、投入口からはみ出るほど中身がいっぱいに詰められていた。それをすべて、リュックではなく容量に余裕がある厚手で白い透明度の低い袋に移し、エレベーターで八階に向かった。
鍵を使って玄関扉を開ける。三週間ぶりのわが家だ。壁の天井付近にある配電盤のブレーカーに手を伸ばし、ぱちんぱちんとレバー三本とも押し上げた。
室内はおれが通常逮捕され連行された時のままだ。誰かが侵入したような形跡もない。
キッチン流し台の排水口ネットにたまった少量の残飯に、カビが生えている。
バッテリーが落ちているらしい携帯電話「赤色一号機」を、充電器のケーブルにつないだ。バッテリー残量が少ないスマートフォン「青色二号機」も、別の充電器につなぐ。
たまっていた郵便物を確認する。どうでもいい物ばかりだ。叔母が送ったが保管期間が過ぎたと妹がLINEでメッセージを寄越した通り、日本郵便の「ゆうパック」の不在連絡票が確かにある。
《UR都市機構受託事業者/株式会社URコミュニティ/神奈川西住まいセンター》とその電話番号、ファクシミリ番号など活字が表面下四分の一ほどに印字された、定型「長形3号」の茶封筒がある。おれの宛て先も活字で打たれている。八月二十一日付け藤沢郵便局の消印で、「特定記録」郵便であることが赤いスタンプで示されている。
開封してみた。
《 令和5年8月21日
奈良北団地2号棟805号室
森様
(株)URコミュニティ
神奈川西住まいセンター
8月2日にお送りいただきました書面にあるような手続きを取る予定はございません。
今後、貴殿から同様の問い合わせがありました際には対応いたしかねますのでお知らせします。
なお、お送りいただきました切手はお返しします。 以上》
団地管理サービス事務所管理主任、田代修の凶行、田代が所属するJS日本総合住生活社長、伊藤治の責任放棄、URコミュニティ、松縄による脅迫などおれが受けた一連の被害を、URコミュニティ顧客相談対応担当課長、神田裕治らがまったく解決できないから、やり取りしていた文書への回答のようだ。
八月一日にJS日本総合住生活から、今回と同じように木で鼻をくくったような文書を受け取っており、それに対し翌二日、田代がにおわせるおれの団地からの退去手続きと、それを追認する神田の真意を尋ねるため、両社に文書を郵送している。
URコミュニティ宛てに同封した額面八十四円の郵便切手も、確かに入っていた。
それ以外に、大した重要な郵便物はなかった。バッテリーが復活した携帯電話「赤色一号機」への着信やメッセージも同様だ。
横浜簡易裁判所による罰金の略式命令をおれは拒否し、刑事訴訟法四五六条に基づき横浜地方裁判所で公判を開いてもらわなければならない。そのための申し出は、命令の翌日から十四日以内。タイムリミットは九月十三日だ。それまでに、おれにとって有利な証拠を収集しなければならない。
もちろん、すぐに公判の審理が始まるわけではないから、申し出をした後でもその関連の活動はできる。しかし、申し出をするか否かの最終的な決断をする前に、可能な限りの勝てる材料をそろえておきたい。そうでないと、申し出自体が及び腰になってしまう。
有利な証拠を収集するために官民の事業所にアクセスできるのは、土曜、日曜や夜間を除いた平日の昼間のみ。土曜、日曜を差し引くと、実質十日間しかない。
官民の事業所が開いている時間帯は、最大限そのために使う。だから、それ以外のデスクワークなど私的な作業は、夜間と土日に集中させることにした。
身柄を釈放され帰宅したのは夕刻。その日はもう、対外的には動けない。旧知の現役弁護士や、URコミュニティ神田がいうところの神奈川県警内部のお友だちらに当て一方的に電子メールや携帯電話のショートメッセージを送信した。
《逮捕、勾留されててさっき帰宅した。時間が空いたら連絡くれ》
文面はこれだけ。第三者の目に触れても問題がないように、というのは大した理由ではない。相手の手が完全に空くタイミングを待つためだ。
細切れで情報を小出しすると、相手も細切れで対応せざるを得なくなってしまう。それを避ける。
そして、デスクワークに入る。三和とのやり取りなどを綴じてある複数のファイルを開く。取材メモと照らし合わせる。
二月四日に当時の店長、ヤスダが現金を持ってきた際の定型「長方4号」封筒と中身のレシートが見つかった。前の日に買おうとした五品目と代金などが打たれている。
《山崎ピザパン》
《ランチパックハム&マヨ》
《サントリーペプシ》
ここまでは、青葉署刑事課強行犯係巡査長、ピロシキ田中の取り調べで覚えていて回答したのと合致する。
《おいしいメグミルク》
牛乳は、覚えていなかった。ピロシキ田中に言われ、そうかもしれないと思った。
《十勝大福オハギ 粒ア》
「粒ア」で尻切れだが、「粒あん」のことだろう。そういう甘い物は好んで食べないはずだと取調室では言ったし実際にそうなのだが、レシートには確かに、その商品名が打たれている。
合計六百八十一円。それを、VISAブランドのクレジットカードで支払ったことになっている。
カード番号は、こうだ。
《489788XXXXXX4924》
不正利用防止のためであろう、数字の一部が《X》で伏せ字にされている。そのこと自体は、どんな事業所でも似たようなものだから、問題にはしない。
青葉署の取調室で確認させられた防犯カメラの映像では、おれがレジカウンターの天板に打ち付けたように見えるのは、所有する複数のカードのうち「楽天カード」のようだった。楽天のVISAブランドのクレジットカードは、確かに契約、所有している。しかし、警察も検察も、クレジットカードではなくデビットカードにこだわっていた。
おれは、日常的に使っていない物も含め、契約する全クレジットカード、デビットカード、さらに国際ブランドのプリペイドカードを家中から探し集め、照合してみる。しかし、どのカードとも番号が一致しない。
つまり、この番号のカードをおれは所有していない。ヤスダが現金を持ってきた後、一通り目を通したクレジットカード、デビットカードの利用明細から、二月三日のスーパー三和での買い物の履歴を見つけられなかった。やはり、おれは間違っていなかった。
レシートに打たれている番号から、どこの会社が発行したカードなのかをインターネット検索し、すぐにヒットした。首都圏を中心にファッションビルを展開する割賦販売の草分け「丸井」グループの「エポスカード」だ。
おれは、エポスカードを持っていない。そして、金融機関ではない丸井は、あるいはエポスカードは、口座即引き落としのデビットカードを発行できない。
面白いことになってきた。幸先が良い。
その日はそこまでで、睡眠導入剤を飲んで布団に入った。身柄釈放後の最初の晩は、気持ちよく寝入ることができた。
翌三十一日は木曜。平日だから、官民の事業所は開いている。エポスカード、丸井、業界団体の「一般社団法人日本クレジット協会」、監督官庁の経済産業省、どこから攻めるべきか。上から行くか、下からか、事案の概要を熟考し判断する。
「上から」だ。経済産業省の代表番号に架電した。担当部署に回してもらった。
〈売り上げが、立ってるってことですか?〉
「そうですね。支払いは、成立したことになってます」
「売り上げが立つ」という女声担当者の専門用語におれはなじみがないから、試しに別の表現を使ってみたら、それで話は通った。
「不正使用ということでしょうか」
〈なんとも言えません〉
「店舗従業員の誰かのカードを使って架空の取り引き操作をしたか、レシートに架空の番号を表示させたかだと思うんですよ」
〈その可能性はありますね〉
事情はかいつまんで最初に説明してある。担当者の求めに応じ、スーパー三和の事業所名や場所、発生日時のほか、レシートに記されている暗号のような数字、記号を一通り読み上げるなどして示した。
正義感によるものでも、密告により三和の立場を危うくさせるためでもない。おれの問い合わせに、つまり取材に応じてもらったことへの謝礼だ。この程度のことを明かしても、取材継続になんら悪影響は及ぼすまい。
そして、日本クレジット協会、丸井、エポスカードと階段を降りるように順番に問い合わせたが、最初の経済産業省以外、すべて対応を拒絶された。
だから、おれからも彼ら「拒絶組」にはなんら情報を提供しない。
(「弐拾弐の2 四、五年前から狙われる」に続く)




