弐拾壱の5 体(カラダ)で納める租庸調
「前科はありますか?」
検察庁舎の二階事務所で通されたカウンターで、後に寺山と名乗る若い男性職員に聴かれた。罰金前科と労役場留置歴を、いつものように答える。
「罰金二十万円を納めていただきます。完納できない場合、労役場留置ということになります。ご経験がおありでしたら、お分かりですね? 納めてください」
「今、勾留が解けたばっかなんだぞ。手持ちの現金がないの、分かるだろ?」
「きょう、納付いただけますか? まだ金融機関の窓口は開いてる時間帯ですよ」
「きょうは払えん」
なぜなら、刑事訴訟法四六五条に基づき公判を開くよう求めるつもりだからだ、とは、おれはその場では言わない。
身柄の拘束が解けたのは一時的で、庁舎の前には再逮捕のために例えば警視庁の捜査員が待ち構えている可能性があるからだ。待ち構えていなくても、捜査機関の意に沿わぬ動きを見せれば、それを阻止するため再び身柄を拘束される恐れが否定できないからだ。
略式起訴をすると検事、大竹将之に言われた日、つまり前日の晩、接見にきた国選弁護人のZ弁護士は、再逮捕のつもりがあるなら検察は処分保留にするはずで、略式起訴の刑事処分を下す以上、再逮捕はないと言っていた。
しかし、油断は禁物だ。この事件は異例続きで進行してきている。敵が、つまり検察が、警察が、三和顧問弁護士が、あるいはUR都市機構が、どんな隠し玉を持っているか、どこから狙っているか、どう撃ってくるか分からない。
「労役を選択しようかと悩んでるんだよ。前回みたいに。お金がないもんで」
公判に持ち込む算段については一切、口に出さない。
「日にちを置けば、お納めいただけますか?」
労役場留置は結局、国の「持ち出し」が多く赤字になるし、費用の問題よりむしろ身柄の移送や労役場の確保のために手間がかかるから、国としては避けたい。
そのことは、前回の労役で、そしてその体験記を上梓してよく分かった。
「分からんね」
「いつお納めいただけるか、分からないということですか?」
「納められるかどうかも分からんのよ。お金を用意できるかどうかが分からんってこと」
「……」
中国の「律令制」を参考にして古代日本は、租、庸、調という三種類の名目で国家が民衆から税を徴収した。
租は、割り当てられた口分田に基づき収穫した米を物納させる。現行の日本語にも「租税」という用語として残っている。
庸は、成人男性(当時は二十一歳以上)に対し、都に上っての労働力提供が課された。歴史教科書では、現行刑法と同じ「労役」の用語を使って説明している。
また、「にんべん」を付け、かつての職業軍人や、現行でも、利害関係のない戦争に金銭を対価として雇われる軍人のことを、「傭兵」と呼ぶ。同様に、現行の「雇用」という漢字は、元来同じ読みと意味合いで、「雇傭」だった。
この庸は、歴史教科書がいう「労役」に代えて布、米、塩などの物納が認められた。国家の財政施策で、庸として納められた物資は、雇役民の賃金や食料に当てられた。
罰金刑を言い渡された者が払わず、あるいは払えず労役場留置を選択する、選択せざるを得ない事態に陥るのは、本人による損得勘定だと、すでに述べた。古の律令時代から、税は労働力提供か物納かという損得勘定が存在したということだ。
三番目の調は、繊維製品や、それを含む各地の特産品などを納めさせた。「調える」「調達する」という後の、あるいは現行の表現に、その意味するところの名残がある。
税である租庸調の「庸」で労役の代わりに物納が認められるように、その逆で、刑である罰金を、身柄を拘束され労働力を提供する労役に代えさせてもらう。
公判を開かせる作戦を口に出せないおれは、当面、それで押し通すことにした。
「この辺りだと、労役場はどこになるの?」
「横浜刑務所です」
面倒くさそうに、寺山は言う。
「拘置所とかその支部とかじゃなく、横浜刑務所なの?」
「そうです」
「横浜市内にあるんだね?」
「はい」
やはり、面倒くさそうだ。
法務省は全国を八つの矯正管区に分け、矯正管区ごとに刑務所、拘置所、少年院などそれぞれ必要な施設を置いている。
おれが労役場留置された埼玉の川越少年刑務所は、東京矯正管区(二〇二五年四月より「関東矯正管区」)管内だ。ゴマキ弟こと後藤祐樹に関する記事が載った週刊誌を持ち込もうとしてページの一部を黒塗りされた雑居房仲間は、その下部施設である「さいたま拘置支所」から移送されてきた。
刑務所には懲役刑、禁固刑(二〇二五年施行の改正刑法で「拘禁刑」に統一)が確定した受刑者が、刑罰を受けるため入る。拘置所には、刑確定前の被告人や被疑者が入る。死刑囚も拘置所に入れられる。刑務所も拘置所も、法務省の施設だ。
だから、警察に逮捕され、身柄を送検されたら、本来なら検察庁と同じ法務省の施設である拘置所に移すべきなのだが、検察が勾留請求しそれを裁判所が認めた後も、ほとんどの事件で取り調べは警察がメインに行うから、警察の留置施設に、文字通り留め置かれる。
捜査機関の都合で一時留め置きのための施設に長期間収容するのは「代用監獄」だと世界の先進国から非難されているが、日本政府は改めない。それどころか、彼らにとって忌むべきであるはずの「代用監獄」という便宜上の用語を、「代用刑事施設」という法律上の正式名称として採用し居直った。
警察がタッチしない検察の独自事件は、最初から警察の留置施設には入らない。冤罪の厚生労働官僚(当時)村木厚子は、一貫して近畿矯正管区の大阪拘置所に収容されていた。
これら収容施設は、縁のない一般人には分かりにくい。わざと分かりにくくしているのではないかと、おれは記者の仕事を始める前からいぶかっている。なにしろ、警察官である、司法警察員である神奈川県警青葉署刑事課強行犯係巡査部長、ジョー松本が、「逮捕されずに刑務所に入るはずがない」とせせら笑うのだ。
おれたち報道業界にも、責任の一端はある。
おれが記者職に就いたころ、「勾」という漢字は新聞記事で使えなかった。だから、「勾留」表記もできない。《こう留》と一部仮名表記にするか、苦し紛れに《拘置》(読みは「こうち」)と書き替える。
それは「苦し紛れ」だけに、「拘置所」の「拘置」と同じ漢字で、前述した「検察庁による勾留請求を裁判所が許可した後の勾留」も「代用監獄」である警察の留置場に留め置かれる、世界の先進国が非難する実態とは矛盾が生じる。結果的に、非難よけにさえなる。
つまり、報道機関自体が刑事訴訟手続き上の問題点をあいまいにし、捜査機関、司法機関による悪辣な人権侵害の片棒を担いできた。
写植が電算化される前は、使える文字に制限があった。画数の多い文字は、実体としての「活字」が作れず、よって、紙面上の文字にもできない。
だから例えば、俳優でミュージシャン、寺尾聰(一九四七-)が、テレビドラマや歌謡番組に連日のように出演していた一九八〇(昭和五十五)年ごろ、新聞のテレビ番組欄では、「聰」の活字がないから出演者名を苦肉の策で、似た漢字を使い《寺尾聡》と書き替えていた。
活字が存在しても使えない用語もあった。例えば、旧刑法で規定される「強姦」。生々しいからとか女性差別だからとか読者に不快感を与えるからとか様々な理由が述べ立てられ、《婦女暴行》などと書き替え。そのことにより、事件の実態、犯罪行為の凶悪性がぼかされた。
「勾留」がなぜ使えないか、人によって説明がまったく異なり、おれも後輩から尋ねられ正確に答えられないまま、いつの間にか使えるようになっていた。通信社などが発行する記者用ハンドブックの改訂版から、書き替え指定が相次いで外れた。
(「弐拾壱の6 家におる?」に続く)




