弐拾壱の4 水谷豊「火曜サスペンス劇場」シリーズ
きつく縛られた厚手ポリ袋の結び目が解けないから破っていいかと尋ね駄目だというのは、取り出した着替えの残りの荷物を引き続き収納しなければならないからなのだと、「勝手に重ね着」問題がなければ、私服警察官の言い分を理解したところだ。
しかし、この腹の出た中年男も、気分次第で、というか日常的に悪者を痛めつけるのが、趣味であり楽しみであり職務であるのだなと、社会性の欠落した職域の彼らに同情した。
私服に着替えて専用通路を逆に進み、地検に戻る。手錠も腰縄もない。バスにも乗せられない。
「裁判所に向かうのはつながれたままで、検察に戻るのは自由の身でなんですね」
「〈ちぇっ…〉そうだよ…」
面倒くさそうに舌を鳴らしながら、隣を歩く私服警察官は答える。おれの身柄拘束が解けていることが、気に食わないらしい。
地検の庁舎二階にある事務所入り口まで私服警察官は付いてきて、「おれはここまでだから」と、起訴状と略式命令書をおれに乱暴に渡し、あえてそうするように不機嫌な言動を最後まで続け、肩を怒らせ姿を消した。
事務所窓口に用件を伝える前に、手渡された起訴状と略式命令書に再度、眼を通す。
検事、大竹将之の手書き署名がある起訴状の大竹の肩書きは、《横浜区検察庁検察官事務取扱検事》になっている。本来の所属である横浜地方検察庁ではない。
公判請求しない略式起訴は通常、地方裁判所の下位に当たる簡易裁判所に対しするものだから、その主体も、簡易裁判所に並列して置かれる、地方検察庁の下位に当たる区検察庁だ。そして、区検察庁に所属する検察官の多くは、司法試験に合格し法曹資格を得た「検事」ではない。事務官として検察庁に入職した者などが選考試験を経て就く「副検事」だ。
つまり「検察官」には、「検事」と「副検事」の二通りが存在する。
おれが道路交通法違反(酒気帯び運転)で埼玉県警に検挙されいわゆる赤切符を交付され在宅のまま書類送検された先の所沢区検察庁で、おれを隣の所沢簡易裁判所に略式起訴したのは、年配の副検事だった。
大竹将之は、副検事ではなく司法試験の洗礼を受けた横浜地方検察庁の検事であるにも関わらず、相手が簡易裁判所だから、横浜区検察庁の検察官事務取扱検事というややこしい肩書きでおれを略式起訴したのだ。
略式命令書の方を確認する。略式起訴を受け命令を決定したのは、《横浜簡易裁判所裁判官》という肩書きの、《長坂和仁》という人物だ。手書き署名で角印の大竹と異なり、活字に丸い捺印がある。
簡易裁判所の裁判官、つまり「簡裁判事」には、二通りの意味合いがある。一つはそのまま、「簡易裁判所に所属する判事」。ここでは、若くて美しい清楚な日直女性検事の勾留請求を認めた経験の浅いおそらく「特例判事補」や「判事補」の存在は、混乱を招くので考慮しない。
そして、もう一つの意味合い。それは、「簡易裁判所のみでの職務を前提とした、司法試験の洗礼を受けずよって法曹ではなく、裁判所書記官から選考により登用される判事」だ。検察庁における副検事の立場と似ている。
おれが禄を食んだ報道業界で例える。
俳優、水谷豊(一九五二ー)が主役を演じた日本テレビ「火曜サスペンス劇場」シリーズ『地方記者・立花陽介』(一九九三ー二〇〇三、全二十回)は、東京に本社を置く「東洋新聞」の記者として、全国の末端取材拠点である通信部を異動で渡り歩く。
水谷が演じる「地方記者」は、用語のよく似た「地方紙記者」とは異なる。後者は、地方に本社がありその地方でのみ新聞を発行する事業所で働く記者のことだ。
また、東京などに本社を置く全国紙や通信社、公共放送のNHKで、入社後などキャリアの一定期間、地方の取材拠点に配置される記者を、「地方記者」とは呼ばない。
報道機関における「地方記者」とは、本社など中枢で勤務することを想定せずされず、警察官でいえば駐在所のような一人勤務の通信部、大きくても数人規模の支局のみでの異動を半ば強制されている、受忍させられている記者のことだ。
昭和中期に東京、大阪が本陣の大手紙が、北海道から四国、九州まで全国を制覇するに当たり、地元紙との競争のため、エリアごとの地域面を拡充した。その要員として、「地方記者」が大量に採用された。
供給源は、例えば地元紙。そこから優秀な記者を引き抜けば、引き抜かれた地元紙を弱体化させるという「一粒で二度おいしい」効果さえもたらす。
また、新卒採用においても、「記者職」とは別枠の「地方記者職」が、堂々と存在した。「記者職」で漏れた就活受験生が、「地方記者職」を打診され採用されるケースも多くあった。
「地方記者」は差別的な蔑称だという批判をかわすため「朝日新聞社」は昭和末期ごろ、本社など取材・発行拠点での勤務を想定して採用し修行のため地方で勤務させる記者のことを「練習生」と呼び、非練習生への差別だと逆に批判され、短期間でその呼称をやめた。
紙面製作の電算化で写植の技術者が職を失い、労働組合の強い会社では雇用を守るという旗印で「地方記者」に成り代わる例も見られた。キャリアの途中、なんらかの人事施策で地方に出され、さらになんらかの事情でそのまま戻れず人工衛星のように地方ばかりを回らされる「地方記者」もいれば、ヘマをしでかし懲罰で地方に飛ばされる記者もいた。
もちろん、家庭の事情などで「地方記者」への転属を願い出る記者がいるのは、後述する全国規模の異動を避けたい判事と同じだ。
業界の斜陽化で新聞社は地方の取材拠点の統合・廃止を進めており、「地方記者」の生息域は減少してきている。
このように、「地方記者」は「地方紙記者」とは異なるし、「地方記者」にもさまざまなバックボーンが存在する。
「簡易裁判所に所属しそこで働く判事」と「簡易裁判所で働くことのみを想定された書記官上がりの判事」の場合、後者の集団はほぼ前者の集団に含まれる。逆に、全国規模の異動を避けたいとか、裁判所の定年退官後に定年年齢が遅い簡裁判事となる、「後者」ではない、つまり法曹の「前者」も存在する。
労役場留置の原因である罰金命令を出した所沢簡易裁判所の簡裁判事は、後者だった。横浜簡易裁判所の長坂和仁も後者だろうと、その時は思ったし、後で調べたら実際にそうだった。
家宅捜索を受け通常逮捕された日の青葉署刑事課強行犯係警部補、グランパ石場によれば、令状を発付したのは神奈川簡易裁判所だと、すでに書いた。
警察が令状請求する裁判所の選択には、たいがいの場合、深い意味というか、たいした理由はない。近場の裁判所で取る。実際に青葉署やおれの居住地を管轄するのは、エリア的に神奈川簡裁だ。
意味、理由が存在することもある。おれの場合に当てはめて検討する。
まず、逮捕令状に慎重な判事がまれにいる。そういう判事がいる裁判所に、その判事が令状当番の日には、警察は令状請求しない。
令状に慎重は判事は、事件の性質にこだわることもある。おれの事件では令状が降りないと、県警青葉署が、というより事件の端緒であるはずの横浜地検が危惧したのかもしれない。
簡裁判事は、上で述べた一部の例外を除き法曹ではないから、逮捕令状の発付に慎重という価値観は持ち得ず、持ったとしても職責上、行動には移せない。請求に法曹である横浜地検検事の息がかかっていれば、なおさらだ。
逮捕令状の請求先と勾留請求先を別にしたのだとも考えられる。どちらも横浜地裁に請求すると、逮捕のいきさつや必要性が不自然であるなどの理由で、引き続きの勾留が不許可になりがちだ。四十八時間プラス二十四時間の身柄拘束を認める逮捕より、長期にわたる十日間プラス十日間の勾留の方が、被疑者にとって負担が重い。
しかし、青葉署の請求により逮捕令状を出したのが神奈川簡裁であれば、横浜地検の請求で勾留状を出すに当たり横浜地裁は、簡裁とは別の視点で事件を見るべきだという力学が働きがち。そういう価値観に傾きがち。
おれの事件に関するこれらのベクトルはもちろん、いずれも想像の域を脱しない。
「隣の裁判所で、略式命令を受けましたよ」
そう言っておれは、検察庁窓口職員に、私服警察官から手渡された起訴状と命令書を提出した。
(「弐拾壱の5 体で納める租庸調」に続く)




