弐拾の2 村木厚子とカルロス・ゴーン
すでに二回、起訴を重ねているという四十番の男、野村は、次に追起訴されれば保釈申請が受理され釈放されるのだという根拠の薄弱な期待を抱いていた。
しかしおれは、その考えは甘いと捉えた。それについて本人には、話していない。
日本の刑事訴訟制度は「人質司法」だと、世界の先進国から批判されている。
罪状を否認したり黙秘を続けたりする被疑者(起訴されれば被告人)を、刑事訴訟法に基づき長期間、身柄を拘束し、自白を強要する。
厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(当時)村木厚子(一九五五-)は二〇〇九(平成二十一)年六月、それより前の社会・援護局障害保健福祉部企画課長時代に、障害者団体の郵便料金が割引される制度悪用の片棒を担いだとして、大阪地検特捜部から虚偽公文書作成・同行使の容疑で逮捕、勾留されるが、身に覚えのないことだから特捜部検事の取り調べに対し否認を貫く。
この事件に警察は関与していない。汚職事件を扱う地検特捜部の独自案件で、勾留も法務省が所管する拘置所だ。
同七月、大阪地検は大阪地裁に村木を起訴。弁護人が大阪地裁に保釈請求するものの、地裁は却下。これを二回繰り返す。
同十月、三度目の保釈請求を地裁は容認。しかし、地検が地裁に対し、それを阻止するため準抗告。地裁は地検になびき、保釈は取り消された。
同十一月、四度目の保釈請求を地裁は容認。地検の準抗告を棄却し、村木はついに保釈された。勾留は半年近い百六十四日に及んだ。千五百万円の保釈保証金は、同僚である夫と積み立てていたいくつかの定期預金を解約するなどして工面したという。
翌二〇一〇(平成二十二)年一月に大阪地裁で初公判。主任検事、前田恒彦(一九六七-)による証拠改竄など地検特捜部のずさんさが浮き彫りになり、同九月、地裁は村木に無罪を言い渡した。
検察側は大阪高裁への控訴どころか、最高検察庁が自ら証拠隠滅容疑で大阪地検を対象に捜査。証拠偽造罪の疑いで、前田ら現職検事三人を逮捕、起訴した。
前田は大阪地裁で実刑判決を受け確定、事件当時の上司に当たる元特捜部長、元特捜部副部長の二人は執行猶予判決を受けた。有罪確定で、三人とも懲戒免職処分となった。
野村が保釈請求を甘く考えているのは、警察、検察という捜査側と、接見に来てもらうのに三十五万円を請求されるという私選弁護人の京都の弁護士の双方に問題がある。
捜査機関は取り調べの機会を通じ、被疑者に対し早期釈放の可能性をチラつかせる。野村がおれに話してくれた通り三人の共犯者が全員、否認しているのだとすれば捜査機関は、おまえが認めれば、おまえだけは特別扱いだと甘言を弄する。
半面、否認したり黙秘したり虚偽の供述をしたりすると、それだけ罪が重くなるのはもとより、追起訴が続くと脅す。最終的な起訴で捜査が終結しても、勾留が解かれないと迫る。「アメとムチ」の使い分けだ。
一方、私選弁護人は、「私選」という商売柄、必ず保釈を勝ち取る、裁判所に早期の保釈を認めさせる、検察に追起訴も重ねさせないと、空虚な営業トークを展開する。
被疑者かつすでに起訴を経由しているのだから被告人でもある野村は、事件の全貌はすでにほぼ供述しており、捜査機関はもう自分には用がないはずだと勘違いする。捜査機関の甘言に乗る。私選弁護人の営業トークに転がされる。本人によれば三億円もの大金を動かしたという詐欺師なのに、刑事訴訟手続きで飯を食っている専門家から、食い物にされる。
捜査機関の請求に基づき裁判所が逮捕令状を発付するのは、被疑者による逃亡、証拠隠滅、自殺の恐れがあるという大義名分からで、それを阻止するために、身柄の拘束を認める。
この考え方は、検察の請求による延長を含め原則最長二十日の勾留も、起訴後の勾留も同様だ。
野村は接見禁止処分に付されているという。容疑を認めていても共犯者が存在する場合はよくあることだと、すでに書いた。
四人の共同正犯による犯罪事実のうち野村に関わることのみ野村本人が供述してすっきりしたつもりでも、捜査機関は、司法機関は、野村を野に放つとは考えにくい。野村はあまりにも楽観的だ。
野村が楽観的なのは、刑事訴訟制度を野村自身がよく分かっていないからという事情もあろう。野村に限らない。たいがいの犯罪者は、犯罪者なのに、と言うべきか、犯罪者だから、なのか、警察と検察の役割分担や力関係、双方の思惑に考えが至らない。
理由の一つは、用語の紛らわしさだ。
二〇二五(令和七)年六月施行の改正刑法で「懲役」「禁固」に代わり導入された「拘禁」は、現行刑事訴訟法上の「勾留」と混同してしまうと、すでに書いた。また、勾留と同じ読みで、短期収容の刑罰である「拘留」が別に存在する。
保釈と混同しやすいのは、「仮釈放」だ。後者は、刑務所など刑事施設に収容される者が、刑期満了前に釈放されることを指す。
逮捕の二日後おれは、身柄を検察庁に送られるに当たり、どこの検察かと尋ねたら、青葉署員が「地検の横浜支部」と大真面目に答えずっこけさせられ、送られた先でその話をして若くて美しい清楚な横浜地検「日直」女性検事をずっこけさせたエピソードをすでに書いた。
地検の横浜支部という日本には存在しない官庁名らしき謎の機関を挙げた署員は、おれをけむに巻こうとしたのではない。本当に知らないのだ。
新聞記者として警察の取材を担当し始めたばかりのころ、違和感を覚えたことがある。一線署で報道対応に当たる副署長が、容疑者の身柄を検察庁に送る際、「勾留請求に行く」という表現をさかんに使う。
慣用句だろうと受け止めていた。しかしその副署長は、勾留請求を検察がするものだと知らなかった。警察が、自分の部下である捜査員が、検察だか裁判所だかに対し勾留請求の手続きをするものだと誤認していた。
おれの指摘を受け入れないまま、つまり、勾留請求を警察がするものだと信じ切ったまま、正論を説いたおれを逆恨みし、「森の取材は受けない。森の会社の取材も受けない。ここに残る者にも、受けさせない」と言い残し定年退官した。警視の階級での卒業だから、元警察幹部だ。
保釈について、もう一つの例を述べる。
国内メーカー「日産自動車」社長などを務めたブラジル出身の実業家、カルロス・ゴーン(一九五四-)は二〇一八(平成三十)年十一月、金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕され、翌二〇一九(平成三十一)年一月には、特別背任罪でも起訴された。
同三月、東京地裁がカルロス・ゴーンの保釈を決定。東京地検は準抗告したが棄却。十億円の保釈保証金を納め、ゴーンは保釈された。
同四月、東京地検特捜部による再逮捕、追起訴、東京地裁による再保釈を経て、ゴーンは一度も公判が開かれず保釈の身のまま、同十二月、日本を密出国し逃亡した。
「それ見たことか」というのが、検察側の感触だ。だから検察はこの事件を奇貨とし、起訴後の被告人による裁判所への保釈請求に、従来よりもずっと厳しく対峙することになった。
おれの事件に関しては、保釈請求しようにも近隣に身元引受人がおらず、よって制限住居地を設定できず、ありがたくも取り引き先出版社が身元引受人に名乗りを挙げたり保釈保証金を積んだりすれば、イコール事件の顛末を上梓することにほかならないから、ゴーンの事件があってもなくても、保釈は著しく困難だ。
「兄いより、わいの方が先にシャバに出られるかもしれんな」
そんなおれの境遇を知ってか知らずか、野村は申し訳なさそうに言う。
なにしろおれは、国家権力を敵に回し、天下の警視庁に再逮捕される可能性を帯びる得体の知れない、野村に言わせれば、「パパラッチ」か「フリーの芸能リポーター」のようなものなのだ。
(「弐拾の3 凶悪な犯行で結果は甚大」に続く)




