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弐拾の1 交番の管轄署から住所地特定

 二勾留目に入ってからすぐのことだと記憶している。狭い運動場で、白髪の巡査部長に尋ねてみた。


 ーーJR横浜線の『十日市場(とおかいちば)』の駅の前に、交番がありますねーー

 ーーあるねーー

 ーーあの交番は、青葉署の管轄ですかーー

 ーーいや、あそこは(みどり)署ーー

 ーーということは、あの辺りは緑区なんですねーー

 ーー…そうーー


 市立図書館から借りている本を返しに、近所の市の施設「地区センター」に出掛けようとして、巡査長ピロシキ田中たち青葉署刑事課強行犯係員に家宅捜索を受け通常逮捕されたのだと、すでに書いた。

 返せていない本数冊は、ピロシキ田中が示した、おれの占有を離脱していない押収品とその目録にはなかったから、団地のおれの居宅に残されたままのはず。刑事訴訟法に基づき身柄を拘束されているから返却できない、返却が遅れるのだと、図書館側に知らせなければならない。


 横浜市内には市立図書館が、その拠点である西区の「中央図書館」を含め、全十八区にそれぞれ一カ所ずつ、計十八カ所ある。区の名称がそのまま付く図書館と、そうでない図書館がある。文献を借り出すための利用者カードをおれが最初に作ってもらったのは、「十日市場」駅近く、つまり駅前交番近くにある図書館だ。

 その図書館に、自弁で購入した切手、便箋、封筒を使って、返却が遅れると手紙を書こうと試みた。

 しかし、通っている心療内科医院や、支払いが滞ると利用停止されるのが必至のクレジットカード会社への手紙を出すに当たり、宛て先住所地を調べてもらうような「便宜供与」はできないのだと、白髪の巡査部長からすでに言われている。弁護士に頼めとも言われたが、国選弁護人にはほかに尋ねなければならない事がたくさんあって、短い接見の時間にそこまで話を進展させられない。

「十日市場の駅の近くにある図書館」も「十日市場の駅」も、住所地を知っていたとしても警察側は教えてくれまい。区名でさえもそうかもしれない。

 そんな事情があるから、回りくどく駅前交番の管轄署を尋ね、聴き取りに成功した。

《横浜市緑区十日市場/市立図書館御中》で手紙が届くことに期待を込めた。

 全十八区に市立図書館が設置されているということは、おれの住む青葉区にもあるはず。しかし、どこにあるのか皆目見当が付かない。自分でも記憶がないが、利用者カードを作ってもらう際に、交通の便などを考慮し青葉区のそこは除外したのだろう。


 それとは前後する別の日のことだと思う。やはり運動場で、白髪の巡査部長が交代勤務当番の日だ。おれとは別に二人ほど囚人が同じように運動場に出されていた。

 押収されている携帯電話にどこかの誰かから、重要な連絡が入っているのではないか、ずっと気になっている。三交代のシフトに入っていないポマード巡査長が運動場にいて暇そうだから、尋ねてみた。


 ーー携帯電話ってバッテリーが切れてる状態だと、着信の記録は残らないんでしたっけ?ーー


 電源をオフ状態にして領置しているのかもしれないし、オン状態で倉庫に収めても数日でバッテリー残量がなくなるはず。


 ーーそんなこと、知るかっ!ーー


 ポマード巡査長は吐き捨てる。


 ーーなにも難しいことを聴いてるわけじゃないじゃないっすかーー

 ーー難しいことじゃないなら、自分で考えろーー


「自分で考えろ」ーー。警視庁町田署生活安全課警部補、つるっぱげ浅沼がうちに来た際、「次は逮捕だ」と脅し文句を吐きながら容疑を言えず、尋ねたらこのポマード巡査長と同じ文句で返されたことを思い出す。


 ーー考えても分からないから聴いてるんですーー

 ーー自分で調べろーー

 ーー調べようにも、身柄を拘束されてるんですよ。外部と隔離されて、情報から遮断されてるんですよーー

 ーーなんだとぉーっ!ーー


 別の囚人に構っていた白髪の巡査長がそっちをやめ、おれのポマード巡査長のやり取りに割って入ってきた。


 ーー残るはずだよ。次に電源を入れた時に、ばらばらって一気に表示されるーー

 ーーそうですか。それだと安心なんですがーー

 ーー電話したのにこいつ、返事も寄越さねえってことになると困るもんねーー

 ーーそう思われるのは大した問題じゃないんですけど、商売(ビジネス)の相手から、ぼくには通告済み、返信がないってことは了承済みだって判断されて、ぼくの知らないところで進められていく、事が運ばれていくってのが怖いんですーー


 白髪の巡査部長は、それで納得した。おれの懸念の意図を理解した。おれの素性や個性を知っているからだろう。

 しかし、日常的におれに接してしないポマード巡査長は、そうではない。おれが彼ら留置管理課勤務員に無理難題を吹っ掛け回答できないことを楽しんでいる、挑発しているとでも邪推しているのだ。


 ポマード巡査長とやり取りを、別の囚人が興味深げに見ていた。人懐っこそうな丸顔で、片耳の一部が欠けている。囚人服の襟口、袖口から入れ墨が見える。

 自分も疑問に思っている、または、自分は答えを知っていると、介入したいのだろう。なにか言いたいのだろう。

 しかし、運動場では「私語禁止」。牢番勤務員とのやり取りは見逃されても、囚人同士はおそらく不可能。囚人同士の会話を見たことも聴いたこともない。


 検事、大竹将之の強引な取り調べを終えマイクロバスで青葉署に戻ると、その日の朝、体調を気遣って見送ってくれた顔色の悪い巡査部長が、留置施設のある署庁舎二階から駐車場まで降りてきて、出迎えてくれた。


「きょうは倒れんかったか。具合の悪いところはないか」

「大丈夫です。なんともありません」


 顔色の悪い巡査部長のこの過剰な気遣いの理由は、おれが青葉署を去ってから分かる。


 留置施設に戻り、顔色の悪い巡査部長の相勤員(ペア)、樽の巡査長から身体捜検を受ける。

 壁に両手を着くおれの全身に金属探知機を当てながら、樽の巡査長は言った。


「あしたも、地検に行ってもらうから」

「ああ、そういうことか」

「そういうことって?」

「きょうの取り調べ(しらべ)で一段落付いたんで、処分はいつどういう方法で知らされるのかって検事に聴いてみたんですが、教えてくれなかったんです。あしたってことなんですね」

「そうかな。そうかもね」


 イエスともノーとも、樽の巡査長は言わない。知っていても言えないし、おそらく知らないのだろう。


「お疲れさん。待っとったで」


 同居人の四十番の男、野村に迎えられた。野村は、県警本部から出張ってきた捜査員に一日中、取り調べを受けていたという。


「地検に直行直帰かいな」

「港北署に寄りましたよ」

「港北署? トンネルみたいな駐車場に入ってくとこか?」


 言われてみてば、トンネル状態だった気がしないでもない。

 野村とおれは、観察する対象が異なる。興味の内容も異なる。


(「弐拾の2 村木厚子とカルロス・ゴーン」に続く)

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