拾玖の8 専門家のわたしがそう言ってる
検事、オオタケの「口授」は続く。能面の事務官がパソコンのキーをたたく。
オオタケは時おり、手元のメモに眼を落とす。
「ーーですから、この防犯カメラを見ると、わたし自身やりすぎたと思っていますし、わたしの行為によって、店の営業が妨害されたというふうに受け取られても仕方ないと思いますーー」
「ーーちょっと待ってください」
「なんだよ」
「店の営業が妨害されたというふうに受け取られても仕方ないなんて言ってませんし、そんなこと思ってもいません」
「三和の営業が妨害されたんだよ」
「どんなふうにですか」
「あんたがたたいて落下したかごやら商品やらの後片付けだよ」
「落下したかごは空の状態です。なにも入ってません。ぼくが手で払ったかごに入ってたぼくが買おうとした商品はどうなったのかってさっき尋ねたら、検事さん、そんなことは知らん、どっかその辺に散らばったんだろっておっしゃったじゃないですか」
前回の検事、鈴木陽子による取り調べで、こんなやり取りをしたのを思い出した。
ーー自身の行為が、威力業務妨害罪に当たると思いますか?ーー
ーー思いませんーー
ーーでは、どんな罪状なら該当すると考えますか?ーー
刑法二〇八条の暴行罪が、おれの頭に浮かんだ。法律を知らない間抜けなスーパー三和の前店長が、けがでもしたら暴行罪だと息巻いていた暴行罪だ。けがをしたらそれは暴行罪より重い傷害罪が取りざたされるべきで、前店長の無知ぶりに、おれはあきれたものだ。
検事、鈴木陽子の問いに、暴行罪の罪名を挙げるべきかどうか、おれは迷った。暴行罪の法定刑は、二年以下の懲役(当時)もしくは三十万円以下の罰金または拘留もしく科料で、威力業務妨害罪より軽い。しかし、挙げない方をおれは選んだ。理由は二つある。
無罪を主張するに当たり、自ら暴行罪だと首を差し出すわけにはいかない。
もう一つ。
鈴木陽子の取り調べでは、二月三日のスーパー三和の一件より時計の針がずっと進んで、三和顧問弁護士との文書のやり取りや、顧問弁護士からの通信が途絶えた時期のことまで先のことを聴かれている。それらの余罪、あるいは別件、彼ら法曹にとってはおそらく本丸である「本件」を、立件されないようおれは細心の注意を払わなければならない。
――見当が付きません――
そう答え、おれはごまかしたのだ。
「あんたの行為は、営業の妨害に当たる。威力業務妨害だ。法律の専門家のわたしが、そう言ってる。それについて、あんたはどう受け止める?」
「法律の解釈について法律の専門家がおっしゃることには、ぼくら専門家でない人間は、首肯せざるを得ませんね」
「だろ? 続ける。ーーわたしの行為によって店の営業が妨害されたというふうに捉えられても仕方ないと思いますーー」
「……」
「騒乱」や「喧噪」の事実を否認しているのだから「静かにしろ」という表現を「黙れ」に、また、消費者として関わる事業者とのトラブルの発生について「頻繁に」を「まれに」に、オオタケはおれの主張を受け入れ直している。
しかし、罪状に直接関係するからであろう部分については、譲らない。頑強だ。
オオタケのこれら聴取、調書作成に関する硬軟の使い分けが、オオタケ本来の通常のやり方なのか、被疑者であるおれの、素性を含む個性に依存するものなのか、青葉署刑事課強行犯係巡査長ピロシキ田中も存在を認める三和顧問弁護士である法曹仲間を標的にした「事件の続き」に起因するのか、おれには分からない。そのいずれかを含む複数の要因だろう。
「ーー四。わたしは、今年四月上旬に、三和奈良北店の店長から直接、もう店には来ないでほしいと言われました。わたしはそれ以降、店には行っていません。今後も、三和とは関わりを持たないようにします」
ここでオオタケは、大きく息を吸った。勾留請求の日の若くて美しい清楚な「日直」女性検事、調書を巻かなかった鈴木陽子検事によるそれまでの二回の聴取同様、録音、録画しているのだと、オオタケも最初に言った。
自身の声を確実に録音データに残す目的であろう、注意を払うような口ぶりで、オオタケはそれまでに増して明朗に続ける。
〈また、わたしがした行為に関して、レジ係の女性に対しては、怖い思いをさせたと反省しています。体格もわたしの方が大きいですし、相手は女性ですので、このような暴力的な行為をしてしまい、怖がらせてしまい、申し訳ないと思っています〉
ゆっくりとした口調だ。この一文の口授の間オオタケは、手元のメモにも、キーボードをたたく事務官にも、事務官の打鍵内容が映し出される液晶画面にも、眼をくれない。じっとこちらを、おれの眼をにらんでいる。
おれもオオタケの眼から視線をそらさない。
「署名、指印をしてもらう」
そこまでで口授は終わる。オオタケの口調は、元に戻る。
事務官が刷り出しておれの眼の前に持ってきた調書は、A4版縦置き横書き五枚。五枚目は最初の一行しか文字が入っていないから、実質四枚。青葉署の調書のような一枚目の「頭出し」のためのマークのようなものは、見当たらない。
一枚目の三分の一の行を使って、おれの職業を《無職》と変更した理由がつらつら記されている。
おれは調書にサインし、右手人差し指で捺印した。
オオタケのフルネームは、《大竹将之》と分かった。聴取の開始から終了までに約一時間半。いずれも四十五分ほどだった勾留請求の若くて美しい清楚な「日直」女性検事、調書を巻かなかった鈴木陽子検事の二倍だ。
「刑事処分は、どうなりますか」
パイプいすとつながっている手錠を、検事の部屋まで連行してきた制服警察官二人によって両手にはめ直されながら、おれは大竹将之に尋ねた。
「これまでの証拠を精査し、これから検討する」
「その結果は、いつ、どんな形でぼくに知らされますか」
起訴され別件、法曹である大竹たちにとっては「本件」で、再逮捕されるのか。それはおれの国選弁護人弁護士が危惧する通り、神奈川県警ではなく警視庁によってなのか。
おれは、探らなければならない。延長され2クール目の勾留期限が、あと二日で切れるからだ。
「しかるべき時期に、しかるべき方法で」
今上天皇の実妹で紀宮内親王(皇籍離脱)清子(一九六九-)と二〇〇五(平成十七)年、皇族や旧華族出身者でない史上初の人物として皇女と婚姻するに当たり、東京都職員、黒田慶樹(一九六五-)はその婚約報道で、清子内親王との連絡方法について、「それ相応の通信手段を用いまして…」と取材の記者団に答えている。
学習院時代の学友でもある、清子内親王の兄、秋篠宮文仁親王(一九六五-)は後に記者会見で、「最初二人が会うきっかけを作ったのはわたくしでありますし、それから、二人が会ったうちの何回か、場所を提供したのも事実であります」などと逸話を語った。黒田が言う「それ相応の通信手段」とは電子メールや手紙のことで、手紙は文仁親王が双方に届けたこともあるという。
「郵便かなにかで?」
起訴も別件再逮捕もできないまま勾留期限を迎え釈放される可能性についても、おれは探ってみた。
「しかるべき方法で」
検事、大竹将之の回答は変わらない。
再び待機室に放り込まれ、夕方になって「電車ごっこ」状態でマイクロバスに乗せられ、青葉署に戻る。
前回の地検詣での帰り、バスの中で気を失う前に見た記憶のある自動車メーカー「MAZDA」の看板を、同じように車窓から遠くに見た。
前回は青かったはずだが、くすんだ灰色に見える。空の色を反射しているのかもしれない。
(弐拾 起訴と保釈と処分保留「1 交番の管轄署から住所地特定」に続く)




