【十三話】焼け、燃やせ、なにも残すな
バクは船乗りだった。
「おい、バク」
「まだ休憩中っすけど」
「口答えしてねぇで、さっさと出てこい」
「あぎゃ」
先輩に連れられて甲板に出ると、そこは観光客でいっぱいになっていた。
なにがあったのかと目を凝らしてみると、火山灰が高く舞い上がっているではないか。
こんなものをありがたがって、写真まで撮っているなんて。
「金持ちの頭って変わってるんすね」
「バカ言え。そういうお客様からお金をいただくのが俺たちの商売だろうが。んなことより火山が噴火してるところをしっかり見ていろ」
「人が多くてムリっすよ」
「じゃあ操縦室に入れてやる。特別だからな」
この先輩は厳しいのか優しいのかよくわからない。
バクは正直、苦手としている。
ただこういうことを言うと同僚たちからは「嘘だろ、おまえ」って目で見られるから理不尽。
「まず、おまえには学がない」
「ガクがないってどういう意味っすか」
「そら見たことか。バカさ加減が底抜けだ」
「あ、バカって言った! オレのこと!」
バクはなにも知らない。
ついこの間までホームレスをしていたのだ。
字の書き方も怪しいし、難しい言葉もわからない。
先輩はそんな彼のことを見兼ねて色々と学ばせた。
その中のひとつがコレだ。
「噴煙をよく見ろ」
「あー……あれって雷?」
「そうだ」
「なんで雷が降ってるんすか?」
先輩は得意げに鼻を鳴らす。
船に乗って十余年。彼の知識は海よりも深く、広い。
彼にとって「火山雷」を説明することは、流氷の間を縫って航行することより簡単だった。
「あれは火山灰が舞い上がって擦れ合い、静電気が集まることで雷になってるんだ」
「……へぇ」
「わかるか? あの灰色のモクモクは全部ツブで出来てんだよ。小さいのが集まって、エネルギーを産み、最後には引き合って光と熱を作る」
「つまりなにが言いたいんすか。頭痛くなってきたっす」
「あー要するに、だ」
先輩はバクの空っぽの瞳を見る。
彼の中には未だ、なにも入っていない。給料日までの日数と基本的な業務内容以外なにも。
エルピス島で生きていくにはあまりにも脆弱な宝石だった。
目が離せない犬っころ。
「小さい物が集まれば、いつか大きなことを起こせるっつー話だ」
「……はぁ」
「おい、なんだその反応は」
「教訓で腹が膨れるかって話っすよ。先輩、昇進するために必要なこと教えてください」
「おまえはわかっとらんなぁ」
船乗りが旅するのは、なにも温かくて穏やかな海だけではない。
たまに荒れ狂う北海を通ることもあるし、漂流して何ヶ月も陸に帰れないことだってある。
そんな時、真っ先におかしくなるのはバクみたいなヤツだ。
アンテナが高くて感受性のある人間は、周囲の環境に影響されやすい。
大事なのは知識だ。それが根底にあれば、揺らぐこともない。
「バク、おまえは正真正銘のバカだ」
「アンタの棚からオヤツ盗むぞオイ」
「まぁ聞けって」
バクは自分を賢いと思っている。
弱さを絶対に認められない。
だから成長しない。
「バク、おまえは周りを振り回す人間になれ」
「……」
「俺は部下のボブより計算が遅い。ケビンより英語が下手クソ。アレンよりコミュニケーションが上手じゃない」
「ははっ、アイツまた観光客の女ひっかけてたっすよ」
「厳重注意しておく……それでおまえよりガッツがない。俺はどっちかって言うと爺さんだからな」
上司は空の遠くを見つめる。
「でも船長やらしてもらってる。それは周りを振り回すのが上手いからだ。バカでドジでマスかくことしか趣味がないけどよ」
「オレが偉くなるとしたら……周りを振り回すしかないのか?」
「あぁ、だから勉強しろ。相手のことを学べ。たったひと声で誰かに動いてもらえるようになれ」
「そしたら給料上がるか?」
「上がる。それでみんなに奢れ。奢ってもっと偉くなれ」
バクは今までにないくらい目を大きく見開いた。
初めてだった、なにかを頑張ろうと思えたのは。
「……アドバイス、ありがとう。でもオレ……バカだからすぐ忘れる」
「良いさ。まずは小さいことから始めろ。そうだな……船に乗ってる小悪党を見分ける方法から教えてやる。ソイツらを海に叩き落してやれ。それで──」
バクは窓から吹き込んできた潮風を頬で受け止めた。
そのときの風量と匂いを覚えている。
否、いま思い出した。
「俺の言ったことをいつか思い出せ」
「わかった。今日みたいな風の強い日に、思い出せたら思い出す」
「思い出した」
バクはあの日から帰ってきた。
懐かしさと頼もしさに、後ろから刺された。
「シュウさん、墓場に向かってくれ」
「……! あそこね、なにか考えがあるの?」
「あるぜ。ただ最初に約束してくれ」
バクはビシッと指差した。
「オレらがモザイクさんをぶっ倒せたら、死刑はナシにしてくれ」
「約束はできないわ。上もかなり頑固で──」
「死者がひとりもいない事件で死刑は重すぎだろ?」
「……掛け合ってみるわ」
程なくしてシュウの車が墓場──エルピス島で最も大きいゴミ集積場に着いた。
「本当に降ろしても大丈夫?」
「あぁ、ビリーとヒューゴーも大丈夫だろ?」
「俺には助けてもらった恩があるからな。これで帳消しだぜ」
「僕は……お姉様を止めたい。そのためならどんな犠牲でも払う」
「サイッコーだな。じゃあシュウさん、そういうことだからみんなを頼む」
「……元気でね」
滅びゆく世界を見ながらタバコをふかすのは退屈だ。
だったらバクはライターで違うものに火を点ける。
燃やせるものが残っているじゃないか。
「っしゃ! じゃあこのあと死ぬかもしんないけど、最後までよろしくな!」
「おう!」
「……はい!」
バクは自らの頬を叩き、拳を突き出した。
そこにひとつ、二つ……拳がぶつかり合って気味の良い音を奏でた。
「これが終わったら、エルピス島でいっちばん高いレストランに行くぞ」
気に入らないものは焼き尽くして良い。
この世のすべては炭素の付随に過ぎないのだから。
バクはそうするための能力と権利を有している。
着火、それはすべての始まり。




