-第十話
これからしばらく過去編です。
タイトルの「-」は「マイナス」です。
焚火が弾ける音がして、暗い夜空に火の粉が散る。寝袋に潜り込んで、体を丸めているミカを見下ろし、ヘヨカは細く息を吐いた。
手袋を外し、ミカの頬へと指先を伸ばす。が――――震える指先が触れる寸前、ヘヨカは拳を握って手を引いた。
仮面を外して、夜空を仰ぐ。細い三日月が浮かぶ紺碧の空は、何処までも、何処までも、小さな星の光で埋め尽くされていた。
* * *
出来たばかりの国同士が多く、争いが未だ絶えない時代だった。
国境に近い村は例外なく兵士の略奪や暴力にさらされ、男は皆徴兵され、誰もが疲弊していた。病人や女子供だけが残された村で、土地も痩せていれば食うにも困る。
顔も名前も知らない王族や貴族など、頼りには出来ない。人々は生きることに必死で、ようやくその日暮らしをしながら、ささやかな安寧を神々に求めていた。
そんな、世辞にも恵まれていたとは言い難い時代だった。
「こっちくんな、化け物!」
どこからともなく飛んできた石つぶてが、少年の目元に当たった。
国境近くの村、やはりいつでも余裕はない。それでも、まだ力仕事のできない子供達は、家畜の世話を見ながら遊んでいた。
石をぶつけられた少年は、子供達の集団から一人、ぽつんと離れて立っていた。他の子供達の髪が黒や茶色であるのに対して、少年は、透き通るような青みがかった銀髪だ。長く伸ばした前髪の奥には、左右で色の違う双眸がある。幼い顔だが、子供らしい無邪気さよりも冷たさが目立っていた。石がぶつかって皮膚が裂け、血が流れ出しても、少年は表情を変えない。
家畜を追う為の木の棒を握り、少年はじっと、子供達を見返した。
「……くそ、気持ち悪い奴!」
子供達は家畜を追い立てて、僅かな草木のある場所へと誘導していく。少年はその遥か後方をとぼとぼと歩きながら、ぐいっ、と血を拭った。
家畜を村に連れて帰り、村はずれの家に戻ると、少年の母親は外で洗濯をしていた。既に額の傷の血は止まっていたが、髪や服の袖に付いた血は否応なしに目立つ。
「母さん」
少年は細い声で母親に声をかけた。母親はタライから顔を上げ、真っ赤になった手で汗を拭う。長いカラメル色の髪は一つに纏められ、柔らかな金色の双眸をしていた。
「……レサル? どうしたの?」
「……転んだ。水、ちょうだい」
少年は俯いてずかずかと母親に近付き、その手元の柄杓に手を伸ばす。が、母親がその手を掴んで止めた。
「レサル。帰ったらまず何をするの?」
「……足を洗う」
「その、前に?」
「………………ただいま」
「はい、おかえりなさい」
にっこりと母親は微笑み、少年―――レサルを、丸太の椅子に座らせた。そして、布切れに水を含ませると、レサルの頬や髪など、汚れていた部分を丁寧に拭いていく。額の傷の周りもすっかり綺麗にすると、母親はポケットから小さな貝殻を取り出し、その中身を傷に塗り付けた。痛みにレサルは顔を顰める。
「本当に転んだの?」
「……母さん、何で俺の髪の毛とか、皆と違うの?」
俯いて、ぽつりとレサルが言う。母親は治療の手を止め、それから長い息を吐いた。
「皆と同じ髪と目がよかった?」
「だって……母さんと同じなら、石なんか投げられないと思うし」
「でもね、レサル」
母親はレサルの頭に手を置き、その頭を撫でながら言う。
「この髪と右目は、父様のものなのよ」
「……俺に父さんなんて、いないじゃん」
「いいえ。父様は、あのお空の向こうにいるの。とっても、とっても立派な神様なのよ。きっと、あなたが強くなるのを見守ってくれているわ」
「……でも、会いに来たことはないじゃないか」
レサルは唇を尖らせた。母親は困ったような顔になる。
「辛かったら、言いなさい。我慢なんかしなくていいの。あなたは悪くないんだから」
「……本当に?」
「自分が悪いことをしたら謝るのよ? でも、何もしてないのに石を投げられたんなら、あなたは悪くないの。辛かったら、逃げていいのよ」
母親――――アレグリアはそして、レサルをそっと抱き寄せる。レサルは母親の背中に手を回し、きゅっと服を掴んだ。
ばたばたと家に駆けこんで、レサルは抱えていた干し肉を乱暴にテーブルに置いた。
「母さん、母さん!」
奥で縫物をしていたアレグリアに駆け寄り、レサルは笑顔でその腕を掴む。
「ねえ母さん、村に旅人が来たんだよ! 何か、面白いものを見せてくれるんだって!」
レサルはそして、行こう、とアレグリアの腕を引っ張った。アレグリアは苦笑して、縫物を中断して立ち上がる。
外に出ると、村の人々に囲まれている、その旅人がいた。人々の隙間から見えるのは、赤や黄色など、目に鮮やかな服を着た―――恐らくは―――男。麻布の服に草で編んだ靴が主である村人とは、明らかに異なっていた。
「あれって……へえ、珍しいわね」
「母さん、知ってるのか?」
驚いたようにレサルはアレグリアを見上げる。
「ええ。あちこち旅をして、その先々で人を笑わせる仕事をしている魔法使い。道化師よ」
「へよか……変な名前」
レサルはそう言って旅人を見遣った。
「でも、ヘヨカはとっても優しい人だけができるのよ」
「?」
アレグリアはレサルに合わせて屈み、「ほら」と旅人の顔を指差した。
旅人の顔は、左半分が白地の仮面で覆われていた。見えている右半分も真っ白に塗られており、赤や青で模様が描かれている。細く湾曲した目元に嵌まっているのは、真っ黒な石だ。
ぞわっ、と背中が粟立ち、レサルはアレグリアの服を掴んだ。旅人はレサルに気付くと、見えている右半分の顔をにっこりと笑わせて手を振る。
「母さん……あれ、何?」
「……ヘヨカの証」
アレグリアはレサルの肩を抱き寄せてそう呟いた。
「ヘヨカはね。皆を笑わせて救うとても強い人だけど、皆に笑われ続けて、方々彷徨わなきゃいけない、とっても悲しい人。だから、本当に優しい人しか、できないの」
レサルは、小さな箱の上に乗ってよく分からない言葉を唱えているその旅人を見上げた。旅人はやはり、完璧な笑顔を右半分に浮かべて、周りの人々を笑わせていた。




