-第九話
過去編第二話です。
時間は前話から二年程進んでいます。
狩りの為のナイフを研ぎ、レサルは汗を拭う。十四歳の誕生日に貰った、竜の骨で作った高級品だ。今日からは大人達と一緒に、少し遠くの森まで狩りに行けることになっている。
少し長くなっていた銀髪を束ねて立ち上がると、アレグリアが心配そうに近付いて来た。
「レサル……行ってらっしゃい。他の人にはよくよくお願いしておいたけど、もし危なくなったら、すぐに逃げてくるのよ?」
「大丈夫だよ、母さん。俺、これでも力は強い方なんだ」
「心配くらいさせて。はい、これ途中で食べるご飯と水ね。それから、これはお守り」
アレグリアは、小さな金色のアクセサリーを取り出した。薄い円盤型で、三日月のように湾曲した切り抜きがある。アレグリアは、それと対になるように切り抜きが反対方向になった物を見せ、笑みを浮かべた。
「父様からもらったものなの。二つで一つのお守り。腰帯に吊るすのよ」
アレグリアは屈み、レサルの腰帯にそのアクセサリーをくくりつけた。
「無事に帰って来られるよう、念を込めているわ」
「……ありがとう」
照れたようにレサルは笑い、ポーチを同じように腰帯に括りつけると、布の外套を掴んで踵を返した。
村の中心部では、既に狩りに出るようになっている見習の子供達と、熟練の大人達が待っていた。
「遅いぞレサル」
「すみません」
素直に頭を下げると、リーダーである村長は息を吐いて歩き出す。
「今日は、ここから東に行った森で、鹿を狩る。攻撃的ではない獲物だから、注意をすれば怪我はしないだろう」
獲物を乗せるための荷車に武器を乗せ、一同は村を出発した。レサルは、同世代の子供達と一緒に隊の中心に据えられる。
子供達はレサルをちらちらと見るが、レサルが鋭く睨みかえすと何も言わずに前を向いた。レサルは腰のお守りを握り、外套のフードを被る。
隊はしばらく無言で歩いていたが、村が遠くなり始めると、緊張を誤魔化すかのように皆話を始めた。周りが世間話をしている中、レサルだけはじっと黙って先を見据えていた。
森の中は見通しが悪く、はぐれない様にするので精一杯であった。自分より背の高い草も多く、初めて見る花や大きな木に、レサルはぽかんと口を開けてきょろきょろとする。
「おい、はぐれるなよ」
大人の一人に襟首を掴まれ、慌ててレサルは足を早めた。
一行は、細い小川の近くで荷車を止めた。皆に静かにするように指示し、村長は荷車から刀を取る。
「この先の水辺に獲物はいるはずだ。くれぐれも物音をたてるなよ。多くて三匹、少なくとも一匹、確実に確保できればいい」
囲うぞ、と言うと、大人達は心得たように動き始めた。子供達を一人ずつ連れ、左右に分かれて進んでゆく。取り残されたレサルは、残っていた村長の背後にくっついた。
ゆっくりと草を踏みしめ、村長は道を作りながら進んでゆく。レサルは竜骨のナイフを握ると、ごくりと唾を飲み込んだ。
「あいつだ」
囁くように村長が言った。茂みの向こう、小川が始まっている場所には小さな泉があり、そこで数匹の鹿が休んでいる。
角や骨は武器や道具に、皮は服に、肉は勿論食料になる。豊かでない土地では、動物は十日に一度の御馳走だ。村長は息を殺して刀に手を掛けた。
が―――しばらく待っても、向かいにまで移動している筈の仲間から合図が来ない。レサルがひょいと顔を覗かせると、引っ込んでいろ、と村長はその頭を掴んでしゃがませた。
「妙だな……いつもこんなに時間はかからないんだが」
道が悪くなっているのか、それとも見習の子供達が足手まといになったか。村長は舌打ちをした。レサルはふと、何かに気付いたように立ち上がる。
「おい、引っ込んでろって」
「あれ」
レサルはそして、真っ直ぐに、向かいの茂みを指差した。
「あ?」
「何か……居ます」
村長は怪訝な顔をしながら、レサルの指先を追って視線を滑らせ――――顔色を変えた。
「あれは、」
村長が腰を浮かせると同時に、切り裂くような悲鳴が響いた。
鳥達が一斉に羽ばたき、鹿が逃げ出す。それを囲うように隠れていた皆も、一斉に茂みから顔を出した。悲鳴は、村長の向かいから聞こえてくる。
やがて、茂みの向こうから、何かが飛び出してきた。どさりと地面に落ちたそれは、ぞっとするほど毒々しい赤に濡れている。
狩りに来ていた、子供達の一人だった。村長の顔が歪み、一同は一斉に茂みの向こうを見据えて構える。
「駄目だ、気を取られるな!」
村長が叫ぶが、既に遅い。子供を殺されたという怒りが、混乱を飲み込んで一同を茂みの向こうへ向かわせた。村長は舌打ちをして茂みから飛び出す。
動けないでいた数人を残して、全員が、子供を放り投げたであろう見えない敵に向かって行った。レサルは不安と焦燥に駆られて飛び出そうとするが、足が蔦に引っかかってそのまま転ぶ。手から飛び出したナイフは地面を滑り、遥か先で止まった。
胸の奥がざわつく。そっちに行ってはいけない。そう、理性ではない何かが言っている。だがそれを言葉にする前に、その嫌な予感は現実となった。
ばづんっ、と何かが切れる音がした。同時に、一塊になっていた一同に、上から巨大な何かが襲い掛かる。それは一同にぶつかると分裂して、それぞれに絡みついて吊り上げた。
蔦だ。森の木々に絡まっている蔦が、まるで生き物のように、皆を捕えている。そう気付いたとき、レサルはようやくナイフを拾って立ち上がった頃だった。
まるで、罠にかかった獲物のように、皆空中に吊り下げられている。レサルは呆然としてその様子を見上げた。
何かの冗談か、とレサルは震える息を吐く。自分以外の殆どはもう捕まってしまった。よしんば自分が助けられたとして、襲撃者はそれを許すだろうか。
「っ……レサル、逃げなさい!」
大人の一人がそう叫んだ。
「魔法使いがいる、きっと国の兵士だ! 敵う訳がない!」
蔦に捕まったままもがき、大人達は苛立たしげに周囲を睨む。
「はーっはっはっはっは! まぁさかこうも上手く行くとは思わなかったぜ!」
高笑いをして現れたのは、血の付いた剣を持った男だった。鎧を身に付け、腰には弓矢も吊るしてある。同じような格好の男達が数人、周りの茂みから現れた。
「な……」
「活きの良い男達だ。このまま連れて行って、使ってやろう!」
人攫いだ、とレサルは悟った。
戦が続いていて、人が足りなくなった軍の一部が、国境の村から男を攫って行くという。さらわれた先では魔法で自由を奪われ、死ぬまで兵士として戦わされる。
勿論徴兵をしている国ではそんなことは認められていない。だからこそ、そういった目が届かない隣国に侵入して、人攫いをしているのだ。敵の国の男であれば、相手の力になる前にこちらの力にしてしまおうという意味もあるだろう。
「ちょっと取り逃がしたか。まあいい、お前ら、そこのチビ共も捕まえろ!」
「レサル、逃げろ!」
剣を持った男が怒鳴り、村長が間髪入れずに叫んだ。が――――
「……おい、そりゃあ何の真似だ」
レサルは、ナイフを両手で握ると、その先端を兵士に向けた。
「……レサル、お前っ……逃げなさい、敵う相手じゃない!」
そうだ、逃げろとレサルの理性は悲鳴を上げる。だが、足は縫い付けられたように動かず、負けるはずがないという気持ちがふつふつと胸の奥底から湧き上がってきていた。
血が熱い。村の人々を嵌めたという怒りよりも、そのために子供一人を手に掛けたということよりも―――こんな下衆な連中に、自分が見下されているということが、我慢がならなかった。ナイフを握る手にも力がこもり、呼吸は深く、ゆっくりとなる。
「……逆らうんなら、容赦はしないが?」
兵士が剣の切っ先をレサルに向けた。レサルは目を見開き、ぐんっ、と一歩踏み込む。
「―――――俺を、」
自然と体が動いた。相手の剣先をナイフで弾いて、そのまま胸元に頭突きを喰らわせる。相手がたたらを踏んだ一瞬の隙で、足を払い、馬乗りになって首にナイフを突きつけた。
「見下すな」
自分でも驚くほど、冷徹な声が出た。兵士は面食らったような顔になっている。
だが―――レサルは、嗚呼、と内心息を吐いた。
そうだ。自分はこの感覚を、とっくに知っていた。知らないふりをしていただけだ。ずっと昔から、生まれたその瞬間から、自分は人間に見下される存在ではなかった。
自分は神の子供なのだから。
「……動くな」
他の兵士達の剣が、レサルの首を囲んだ。が、笑みすら浮かべてレサルは振り返る。
「お前達が動くな」
自分に刃を向けるのならば蹂躙すればいい。この圧倒的な神の力で。芥にも等しい人を、跪かせればいい。
兵士達は一斉に剣を取り落す。レサルは立ち上がると、倒れている兵士の胸を踏み付けて振り返った。
ざわっ、とレサルの髪が逆立つ。ゆっくりと手を前に突き出し、レサルは心底見下したように兵士達を見下ろした。
「……死にたくない者は手を挙げろ」
目の前にいる、自分よりずっと背の高い、大きな男達。だが、今はその一人一人がまるで小さな羽虫のように見えた。自分は大きく、大きくなって小さい人間を見下ろしている。
兵士は誰も手を挙げなかった。
後は自分が命じるだけだ。その小さな心の臓を止めて、息を止めてしまえと。それで済むと知っていた。
「舐めんなっ……ガキが!」
足の下で兵士が怒鳴り、レサルの足を掴んで引き倒した。レサルは舌打ちして男を睨む。
「っ!? おい、何だその……目……」
その銀色の目が兵士を捕えた瞬間、兵士は呼吸を忘れた。喉に手をやって何度も浅い息を吐き、その場に倒れて顔を蒼白にする。
恐怖よりも先に、何より、その目を美しいと思った。銀色の髪と銀色の目、青みがかったそれは人間のものではない。目の形も、色合いも、肌とのバランスも、右目の目尻近くにある泣き黒子の位置さえも、あまりに完璧で――――
美しいものは人を魅了する。そして、レサルの中に潜んでいた神の力が、その魅了された心に喰らいついたのだ。人間より絶対的に上位の存在として、人を支配するその力が。
レサルが手を翳すと、兵士は恐怖に顔を歪ませた。
「……レサル……?」
大人の一人が、不安気に呼びかける。レサルはゆっくりと手を降ろす。
「……今助けますから」
レサルはナイフを握り直すと、倒れている兵士達の一人に近付いた。こいつを殺せば魔法が解ける。理由は無いがそう確信できていた。
ナイフを振り上げ、しかしレサルは顔を顰めてその手を止める。恐怖に震えている兵士は無防備で、こんなに小さい自分に、あっさり殺されるだろう。
「っ……あああっ!」
レサルはナイフを回転させ、その柄で思い切り兵士を殴った。
自分が他者を蹂躙したのが神の力であること、魔法使いを見破ったのが並外れた魔力の探知能力であること、そしてその神の力は簡単に人を支配できること――――レサルは、感情に任せて力を振るっただけで、まだ何も理解していなかった。
蔦から解放された大人達が、へたりこんだレサルに駆け寄る。
「レサル、お前……何を、した?」
「……分かりません……俺、」
手に生々しく残る、相手を殴った時の感触が恐ろしい。自分はさっきまでこの大人達を一瞬で殺せると思っていた。
あれは―――――何だ?
兵士達から武器を奪い、一行は急ぎ村へ戻った。レサルは武器と一緒に荷車に乗せられている。顔は蒼白で、吐く息は震えていた。足からも力が抜け、荷車の揺れにも踏ん張れないほどだ。外套を目深に被って、両手で目を覆っている。
「おいレサル、もうすぐ家に着くぞ、いい加減立ちやがれ」
大人の一人に襟を引っ張られ、レサルは顔を上げる。が―――その目を見た大人が息を飲んでたたらを踏み、はっとしてレサルは目を覆った。
「っ……何なんだよ、その目はよ!」
「やっぱりお前化け物だったんじゃねぇの?」
「危ないんなら、目だけでも潰した方が……」
子供達が口々に言い、レサルは息を飲む。
「ほ、包帯、包帯ください!」
右目を覆ったままそう言うと、村長は包帯を投げてよこした。レサルは右目を瞑り、それを包帯で覆い隠す。
「……これで、どうです? 大丈夫ですか?」
レサルは左目だけできょろきょろと辺りを見回した。だが、今度は誰も硬直せず、また先刻のような、人を何処までも見下すような感覚も起こらない。
「……気味が悪いことに変わりはねえよ」
荷車を村の端に留め、ばらばらと皆は家へと向かって行った。取り残されたレサルは、俯いて右目に手を当てる。
「レサル! 帰ってたの……」
干し草を抱えて、アレグリアが駆け寄って来た。
「母さん……ただいま」
「おかえり……って、目! どうしたの、怪我したの!?」
アレグリアは蒼白になってレサルに駆け寄る。が、レサルは首を横に振って荷車から降りた。足はまだ震えているが、何とか立てる。
「母さん、俺……その、」
ナイフを握り、レサルは意を決して顔を上げた。
「俺、旅に出る。自分のことはよく分からないけど、知識のある魔法使いに、教えてもらわなきゃいけないことが、きっとある」
「突然何言って……」
「ごめん、でも、帰ってくる途中考えてたんだ。もし俺が神様の力を持ってるんだったら、それはきっと人の為に使わなきゃいけない。悪用しちゃいけない。でも、そのためにどうしたらいいか分からないんだ」
「あなた、もしかしてその目……」
レサルは苦い笑みをこぼして母親を見上げた。
「うん。……多分、神様の力とか、そういうものが、この目にあるんだと思う。でも誰彼構わず傷付けるなら、そんなのは、いけないことだから」
レサルの肩を掴み、アレグリアは視線を合わせてじっとレサルを見つめた。
「あなたはまだ十四歳なのよ?」
「きっと早い方がいい、それに、これから先ずーっと片目で生活するんじゃあ、狩りをするにも何をするにも、きっと役立たずになる。そんなの嫌だ!」
真っ直ぐに、レサルはアレグリアを見返した。アレグリアは唇を噛む。
「……分かったわ。強情なところは、あの人に似ているのね」
しばらくして―――アレグリアは身を引いて苦笑した。
「準備は整えてあげる。でも、一人旅はやっぱり危険よ。私も行くわ」
「でも、」
「この村に住ませてもらうまでは、少しだけど私も旅をしていたの。大丈夫よ」
アレグリアは「分かったわね」と念を押し、渋々レサルが頷くと微笑んで踵を返した。




