-第八話
木々の枝を利用して天幕を張り、レサルはその中に布を敷いた。天幕の端を飛ばないように石で押さえ、中に荷物を運びこむ。
「母さん、寝床できたよ」
「はーい。今日はご飯が出来る前にできたわね」
焚火にかけた鍋を降ろし、アレグリアは笑う。石に腰掛けたレサルに素焼きの器を渡すと、その中に鍋の中身を流し込んだ。
「うわわっ!」
「あはは。熱いから気を付けてね」
両手で器を包み、ふうっ、と息を吐く。アレグリアはその様子を見て微笑む。
「いただきます」
「はーい」
もくもくとレサルは夕飯を流し込み、アレグリアに背を向けて目の包帯を外した。
「……どう? 少しは、自分の力らしく使えるようになった?」
「う……」
「……早く、ちゃんとした魔法使いを見付けて弟子入りしないとね。それとも、大きな街とかで、ヘヨカを探す?」
「ヘヨカ? あ、そっか……あの人達、魔法使いだっけ」
アリグリアは器を布で拭き、重ねて丁寧に鞄に入れる。
「この先、ちょっと兵士が多い場所を通るわ。明日は沢山歩くから、今日はもう寝ましょう」
アレグリアが天幕に入り、焚火を消してからレサルもそれに続く。
秋めいて来た夜の空気はやや肌寒かった。寄り添って一枚の毛布にくるまり、二人は静かに眠りに落ちる。レサルは両手で目を覆い、アレグリアに背中を向けていた。
薄暗い森の中を、ひたすら歩く夢を見た。
右も左も、奇妙にねじくれた木々がずっと遠くまで続いている。自分は、その中のやはりぐねぐねと曲がりくねった道を歩いていた。風景は全て灰色で、足元は立っているだけでずぶずぶと沈み込んでゆく。
レサルは沈んでしまわない様に必死に歩いた。蔦や草が足に絡みついてくる。それを引き千切りながら足を進める。息が苦しくなる。
森の奥、小さな泉が見えてきた。鹿が水を飲む場所だ。右目が痛くなり、レサルは呻きながら、ざばざばと泉に入っていく。
この向こうに。そのずっと先に、自分を待っている人が居る。それは確かな確信としてレサルの中にあった。
泉を超えて、少し広くなった道を更に進む。木々の色は変わらず灰色で、息だけが苦しくなっていった。体が重くなり、木の根に足を取られて転ぶ。
倒れた地面は生暖かく、疲れた体を優しく包み込んだ。このまま、ここで沈んでしまおうか。そうすればとても楽だろう。きっともう苦しまなくて済む。この先で誰が待っていようが知ったことか―――――
そう目を閉じようとして、しかしレサルは起き上がった。
溺れてしまいそうな心地よさでも、沈んでしまえば自分は腐っていく。
殆ど倒れ込むようにして、レサルは森の最奥へ辿り着いた。やはり灰色のねじくれた木々の中、小さな焚火の傍で、一人の女が待っていた。
大きな布を頭からかぶり、顔は見えない。だがレサルはそれが、自分を待っていた女なのだと知っていた。焚火に折った枝を放り込んで、女はレサルを振り返る。
「ここまで辿り着くとは思わなかったよ」
女は若い声でそう言った。レサルがふらつきながら近付くと、女は立ち上がって、布で隠したその体躯をちらりと見せる。細く白い四肢と、細い腰。豊かな胸元がレサルの目に飛び込んだ。来ているのは装飾品だらけで布の少ない、胸と腰の回りを覆うだけの煽情的な衣装だ。だがそれら全てを布で覆い隠し、顔すらも隠したままで女はレサルを見下ろした。
「お前が戦神の息子だな」
「……息子? あんたは?」
「私がお前に答えることは無い。こちらが教えてやるだけだ」
女は腕を組み、氷のような声でそう言った。レサルはようやく立ち上がると、自分よりいくらか背の高い女を見上げる。焚火だけの灯りでは、女の細い顎は見えたが顔は見えなかった。
「私は地面の下の下――――死後の世界の管理人だ。名はモルスという」
「……モルス?」
女は鷹揚に頷くと、座れ、と焚火の横の丸太を指差した。
「飲むと良い。元気が出る」
座ったレサルに女は、木をくりぬいただけのカップを差し出す。中には茶色のどろりとしたものが入っていた。甘い香りはするが、口に運ぶ気にはなれずにレサルは黙る。
「正直に言うと、お前が来るのを待っていた」
それは知っていた、とレサルは頷く。女は「ほう」と感心したような声を出した。
「なかなか優れた感受性を持っているな。流石あの男の息子だ」
「……戦神というのは」
「質問を挟むな。私がお前に答えることは無い。これから先、永久に」
女は細い指先をレサルの眼前に突き付けた。長い爪は赤く塗られ、黒ずんだ銀の指輪が幾つもはまっている。
「本来こんな面倒はしないのだが、お前が感情のまま暴走されると人が死ぬ。仕事は増やしたくないのでな」
女はそして、懐から何かを取り出した。銀色に鈍く光る――――笛、だろうか。
「吹け」
「へっ?」
「お前に未来を見せてやろう」
レサルは戸惑いながらも、その笛を受け取って口に当てた。
冷たい、氷のような感触が唇に当たる。思い切り息を吹き込むと、金属を弾いたような、甲高い音が響いた。それは鋭く周囲の空気を切り裂き、生暖かかった世界は冷たく変容する。
「っ……は、あっ!?」
もう一度か、と息を吸った瞬間、レサルの足元が、消えた。強烈な風がその穴へと吹き込み、支えを失ったレサルは穴へ落下する。助けを求めるように女へ手を伸ばすと、女はひらひらと手を振った。
まるで「いってらっしゃい」とでも言うように。
風に巻き込まれながら、レサルはぐんぐん落下する。周囲の色は灰色から黒へと変わり、凍りそうなほどに冷たい空気が肌を刺す。
何かが聞こえた気がして、レサルは周囲を見回した。何処かずっと遠くで、自分を誰かが呼んでいる。太陽のような明るい声で、笑いながら。周囲はいつの間にか鮮やかな色へ変化していた。目が眩みそうな明るさと、春の野に吹く風に似た匂いがレサルを包む。
だがすぐにそれは失われた。回転して空を仰いだレサルは、水に叩きつけられてそれに沈む。すぐに息が苦しくなり、もがいても、底なしの水はレサルの上昇を許さない。
苦しい。苦しい、苦しい苦しい苦しい――――水に押し殺された悲鳴をあげて、レサルは手を伸ばし――――
それを、誰かが掴んで引き摺り上げた。
レサルは川に落ちた旅人になっていた。引き摺り上げた相手の顔は見えないが、粗末な服と、水色の鱗が浮いた細腕が目に入る。
自分もずぶ濡れになって、引き上げられたレサルより自分の方が凍えそうに震えているのに、自分を必死に温めようとしている、それは―――――
「おかえり」
声に引き戻されて目が覚めた。レサルは飛び起きて、やはり灰色の風景と焚火に、肩で息をしながら目を瞬かせる。
「良い未来は見えたか?」
女はレサルに背を向けると、地面から何かを抱え上げた。先刻は無かったそれに、レサルは首を捻り――――しかし、女が振り返って見えたその正体に、顔色を変える。
それはレサルの母親―――アレグリアであった。
「まっ……それ、」
「答えないと言っただろう」
女はアレグリアを抱えたまま、レサルの横を通り過ぎて森の脇道へ逸れた。その後を追おうとして、しかし振り返った女に射竦められたようにレサルは足を止める。
「良い未来は見えたか?」
女はもう一度繰り返し、それから、唯一見えている口元を笑わせた。
「どうやら見えたようだな。ならばいいじゃないか。お前がこの夢を思い出すころには、きっとその意味が分かるようになっているだろう」
女はそう言い残し、只闇だけが凝る奥へと消えて行った。取り残されたレサルは、呆然としてその場に立ち尽くす。
焚火が消え、闇がその場を包み込んだ。
忍び込んできた冷気で目が覚めた。レサルはのそりと体を起こし、頭を振って眠気を払う。何やら、随分と長い間、夢を見ていたような気がする。
天幕の隙間からは日の光が差し込んできていた。もう朝かとレサルは目を擦り、傍らのアレグリアを見遣る。アレグリアは体を丸めたまま、まだ眠っていた。
顔を洗って来ようと、レサルはタオルを持って天幕を出た。近くに流れる川まで行って、戻ってきたころには母も起きているだろう。
冷たい水で顔を洗うと、頭にかかっていた靄が晴れたようだった。そのまま何度か顔を洗い、拭いてから右目に包帯を巻く。それから、朝日が差し込み始めた森の木々を見上げた。色づいた葉は日に透けており、その間から見える空は澄んでいて遠い。
レサルは大きく息を吸った。
少し散歩をしていこうか。ついでに、野兎でもいたら狩っていこう。腰に竜骨のナイフがあることを確かめ、レサルは川に沿って歩き始めた。
石が多く転がっている川沿いはやや歩きにくい。時折跳びながら歩いていると、朝日が川にきらきらと反射して輝いて見えた。
「あっ」
石の間に、一輪の花を見付けてレサルは足を止める。アレグリアが好きな、白く可愛らしい花だ。もう時期は過ぎているので、最後の一輪かも知れない。
レサルはしゃがんで、手を伸ばしてそれを摘んだ。花弁が崩れないように両手の中に抱え、周囲を見回す。丁度、クローバーや竜の髭も見つかった。花とクローバーを竜の鬚で束ね、小さな花束を作る。
喜んでくれるだろうか。顔を綻ばせてレサルは踵を返した。少し急ぎ足で、天幕のある場所へと向かう。もうそろそろ火を熾す時間だ。
木々の間から天幕が見えず、もう仕舞ったのかとレサルは足を早める。最近ようやく手際よく出来るようになったが、まだまだアレグリアの方が天幕の扱いは上手かった。
「母さん、おはよう! ごめん、顔を洗いに行ってたんだ」
そう言ってレサルは笑うが、返事はない。レサルは怪訝そうに首を傾げ―――何やら胸の奥がざわついて走り出す。
「っ……」
きっと聞こえなかっただけだ。母親と何処かですれ違ったのかも知れない。顔を洗いに行っているのだろう、きっと。
そう自分に言い聞かせながら、レサルは、天幕を張った場所までの残りの僅かな道を一気に駆け抜けた。
果たして――――見えなかった天幕は、枝が折れて無残に地面にわだかまっていた。焚火の跡は踏み荒らされ、鍋や薬草などが散らばっている。レサルは顔色を失って天幕の残骸に駆け寄った。
土足で何度も踏まれた跡がある。僅かな金品は奪われ、アレグリアも居なくなっていた。布に染み込んでいるこれは、アレグリアの血だろうか。
「……母さん?」
震える声でレサルは呟く。当然、それに応える者はいない。
レサルは布を掴んだまま、その場にへたり込んだ。




