-第七話
足跡を辿っていくと、森の中、小さな洞窟に行き着いた。地面から突き出した岩肌に寄りかかり、幾人もの男が朝早くから酒を呑んでいた。
茂みの奥で息を顰め、レサルは目の包帯に触れる。
ざわついていた心が、妙に静まっていく。その感覚に覚えがあって、レサルは握った竜骨のナイフの背に手を当てた。
ゆっくりと心の底から湧き上がるのは、怒りや憎しみでは無い。あの時―――兵士と対峙した時と同じ、傲慢な苛立ちだ。じんわりと心の底に広がって行くそれが、静まった心を支配する。
男達の間から見える白い足は、紛れもなく母のもの。旅で出来たものでは無い真新しい傷が多く、血が滲んでいた。それを見て、レサルは細く息を吐き、目の包帯をむしり取る。
さあ―――どう殺してくれようか。
力が抜けた指先からナイフが滑り落ちて、レサルははっとして顔を上げた。気を失っていたのか――――ひどく痛む頭に手をやる。
だが、徐々にはっきりとしてくる視界に、レサルは愕然とした。
人が死んでいた。それも一人や二人ではない。自分より二回りも大きいかという男達が、皆一様に血だらけの武器を握り締めて。
レサルが立っていたのは、地面から突き出した岩肌の傍らであった。壁に寄りかかるようにして、アレグリアが座らされている。
「なっ……ん……」
ずきん、と酷く頭が痛む。だがそれ以上に、強烈な血と、内臓と、そこから零れる胃の中身や糞尿の臭いが鼻を貫いた。両手で鼻と口を塞ごうが、容赦なく、喉の奥から吐き気はせり上がる。レサルはその場に崩れ落ち、何も入っていない腹の中身を吐き出した。
苦く、酸っぱい臭いの液を繰り返し吐き出し、憔悴した顔をようやく持ち上げた。
自分は、確かこの男達から母親を取り返そうとした。それで――――
思い出せない訳では無い。否、全て覚えている。自分が何をして、男達がどうなったのかは、全て。
勇んで飛び出した自分を見て、男達は動かなくなった。解き放った右目は、瞬く間に全ての男達を虜とし、命じた。
殺し合え、と。
悲鳴を上げ、嫌だと泣き叫び、命乞いすらしながら男達は武器を取り、殺し合った。残った二人のうち一人は、黙って母親の傍らでその地獄絵図を見ていた自分の足元に縋り、奴隷になると誓った。血と汗と涙に塗れた顔を地面に擦りつけていたその男の背中を、もう一人が貫いた。そして残った最後の一人は、仲間を殺した剣で自害した。
自分は何一つ手を下さないで――――死体の山だけができあがった。
「……母さん」
絶句していたレサルは、思い出したように呟く。何とか立ち上がって、母親の前へ戻った。母の目は虚ろで、血とは違う、嫌な臭いのものが染みついていた。
「……母さん?」
服は引き裂かれ、まだ若く細い体は汚されていた。首にはくっきりと手形が残っている。
臭い。柔らかな母親からはしたことのない、男の臭いだ。
触れた肌は、氷のように冷たくなっていた。
「……母さん」
レサルは小さく首を横に振った。必死に振り払おうしていた疑念が、じわじわと確信へ変わってゆく。
「……えせ……よ……母さんを、返せよ……返せよ!」
レサルは怒鳴り、振り返りざま、そこに倒れていた男の死体の襟首を掴んだ。勿論相手は既に死んでいる。だがレサルはお構いなしに男の体を揺さぶった。
「ふざけるなよ、何で母さんがっ……何でっ……」
鼻の奥が痛くなり、レサルは手を離した。
「何でっ……」
視界が歪む。息が苦しくなる。吐いた息をもう一度吸う方法を忘れてしまったようで、痛くなるほど熱い目を開いていられなくなって、両手で目を覆う。
「何で母さんが死ななきゃいけないんだよ……!」
苦い思いは叫びにすらならず、レサルはその場に膝を付いて蹲った。
「十五歳です。何でもやります。俺に魔術を教えてください」
狭い借家の二階に居たのは、世辞にも見目が良いとは言えないような老人だった。ドアの前に立ち、レサルは憔悴した顔で老人を見つめる。
老人はじろじろと、値踏みをするようにレサルを頭から足まで眺めた。レサルは真っ直ぐに老人を見返している。
「……どうして儂を選んだ」
老人は杖を突いて立ち上がり、窓に近付く。開かれた窓の先には、活気のある街が見えた。通りで芸を披露している道化師の姿も見える。
「理由は言わなければいけませんか」
淡々と、レサルはそう言った。老人は唇を曲げる。
「……最近、この街の近く……そうじゃな、ほらあそこに、森があるじゃろう。あの奥で人が死んだ。岩がごつごつしていて道は険しいが、綺麗な川と実をつける木が多かったんでな。あの辺りを根城にしている賊に頭を下げて、時折街の人間も入っていたんじゃ」
「……そうですか」
「そこで人が死んだ。賊が全滅だそうじゃ。あいつらがいるお蔭で、この街はあいつらの縄張りとして守られてる部分があったからのう。迷惑な話じゃ」
「そうですか」
「じゃがどういう訳か、ご丁寧に墓が作ってあっての。それも、賊の頭数より一つ多いんだそうじゃ。そして一つだけ、妙に丁寧に、岩に寄り添うように作られていたとか……」
「何が言いたいのですか」
「お前がその生き残りか?」
老人が言うと、レサルはじっと目を細めた。
「俺は被害者です」
「……じゃが賊は」
「俺は、」
老人の言葉を遮り、レサルは重ねて言う。
「被害者です」
「……そうか。まあお前がその細腕で出来るとも思わん。……それで、どうして魔術を?」
「父に会いたいのです」
レサルが言うと、老人は片眉を上げた。レサルは右目の包帯に手を触れさせる。
「……俺の半分は、神の血が流れています。父に会うには、空の向こうに行かなければいけません。その術を得たいんです」
「……そう、か。それは他の魔法使いも断るじゃろうなあ」
老人は、またじっくりとレサルを見遣った。後ろ手で窓を閉め、歯の少ない口を開いて笑う。
「いいじゃろう。儂の魔術を教えてやる」
「……よろしくお願いします」
レサルは淡々とした表情のまま頭を下げた。




