第五話
神様は優しいだけでは無いようです。
通されたのは、円形の狭い部屋であった。ミカは、先だって歩くソールを見上げ、不安気に顔を曇らせる。
「さあさあ、楽に座って」
壁沿いにぐるりと設置された椅子に座り、ソールは両手を広げた。ミカは胸元で手を握る。
「あの……」
「君、ミカちゃん、って言うんだろう?」
ソールは頬杖をつき、にっこりと笑った。作り物のように美しい顔だが、その笑顔は何処か嘘くさい。
「知って……」
「この地上、太陽が届く範囲で僕の知らないことは何一つ無いさ。ヘヨカがお世話になっているみたいだね、随分と」
「え、その、お世話だなんて!」
ミカは恐縮して手を振った。ソールはにこにことしたまま、薄く目を開いた。
「でも迷惑だなぁ」
声音を一気に冷酷にした、瞬間――――ぞわっ、とミカの背を悪寒が這い上がり、その体が硬直した。
「っ……あっ……」
「どうしたの? 呼吸の仕方でも忘れた?」
何処かで聞いた事のある台詞に、ミカは両手で目を覆った。だが息苦しさは消えず、ミカは床に崩れ落ちる。縋るようにソールを見上げると、ソールは足を組んで頬杖をついたまま、にこにことミカを見下ろしていた。
「そのまま死んでくれたら、とーっても嬉しいんだけどなぁ」
ああ、ここで自分は死ぬのだとミカは喉を掴んで俯いた。床がぐるぐると回っているように感じる。指先に力が入らず体がぐらぐらと揺れる。
「……ああでも、」
ソールが言って、不意に喉が自由になる。ぶはっ、と胸に詰まっていた息を吐き出し、新鮮な空気が一気に流れ込んだ。
「君を殺したら、本当にヘヨカがなりふり構わなくなるかな? それはそれで、どれだけ人が死ぬんだか分からないから、モルスに怒られそうだなぁ」
何度も大きく息を吸って、ミカはケープを掴んで身を縮める。やはりにこにこと笑っているソールが恐ろしく、ミカは逃げ出そうとしたが、足に力が入らず両手で体を引き摺る。
「だぁいじょぶだって、殺さないよ」
ソールは両手を組んで息を吐く。
「ちょっと話をしようか?」
「……はい」
恐らく自分に拒否権は無いのだろう。ミカは指差された椅子に何とか座り、ケープを硬く握ってソールを上目遣いに見遣る。ソールはやはり、感情の読めない笑顔を浮かべていた。
「君、ヘヨカと出会ってまだ十日も経たないだろう? どう? あいつ、怖い?」
「……えっと、」
「成程成程、怖いか」
「えっ」
ソールはミカを見ている目をゆっくりと開いた。
「言っただろう? 太陽が届く範囲で僕の知らないことは何一つ無いってさ。隠し事なんかできないし、させないよ」
ソールの舌がゆっくりと唇を舐める。
「あいつのことは何処まで知っているのかな? お伽噺程度?」
「……はい」
「そっか。なら上々。僕は何も語らないほうがいいね。幾つかお願いをしよう」
ソールは立ち上がり、しゃらん、と飾りを鳴らしながらミカに近付く。そして、右手の人差し指の先端をミカの額に押し付けた。
「僕はヘヨカを嫌っている。憎んでいると言ってもいいよ。君がもしヘヨカの傍らに存在し続けるなら、」
ソールの顔からゆっくりと笑みが消えた。冷酷で、一切の譲歩を許さない、世界の光を司る全知の神の顔である。
「君も制裁の対象になる」
そして、ソールはそう言い放った。
神殿前の階段の端に座っていたミカに、ヘヨカが駆け寄った。
「遅くなった」
「あ、いえ……」
ミカは控えめに笑って、ケープのフードを脱ぐ。
「……どうした、来たかったのだろう、神殿に」
「……その、」
「やあヘヨカ」
ひょいっ、と立ち上がったミカの両肩に手を掛けて、その背後からソールが現れた。
「っ!」
ヘヨカは間髪入れずに階段を数段下がって身構える。ソールはミカの背中にくっつく形で頬杖をつき、にやにやとした。
「傷付くなあ、そんな反応。折角ミカちゃんに頼み込んで背中に乗せてもらったのに」
「……神なら天上で大人しくしていればいいものを」
「人の世界だって楽しいじゃないか。ま、神殿がある場所限定だから最近いい加減飽きてきてねえ。こうして信者に乗せて貰って散歩してるわけだけど」
「それで、今更己れに何の用だ」
ヘヨカは平静を取り戻して仮面を押さえた。
「別に。ちょっと久し振りに顔を見に来ただけさ」
ソールが指先をヘヨカに向け、軽く振り上げる。フードが剥ぎ取られ、ヘヨカは一緒に飛ばされそうになった仮面を掴んだ。ソールはつまらなそうな顔になる。
「顔くらい、減るもんじゃないし見せてくれてもいいじゃないか。馬鹿で浅慮で身の程知らずで、どうしようもなく愚かしい、哀れな子供の顔を」
殊更強調して、ソールはヘヨカを嘲った。ヘヨカは黙って、仮面を握る手に力を籠める。
「毎年この時期には必ず来るけど、本当に、お前は変わらないね。そんなんじゃモルスも僕も許せないなぁ」
「誰も許しを乞うたことは無いだろう」
ヘヨカはそう言い返してフードを掴む。
「……へえ、人間如きが、神様にその物言いかい」
「今更己れを人間だと断ずるのも太陽神、貴様くらいなものだな」
「だって人間じゃないか」
ソールの言葉に、ヘヨカの口元が強張った。
「忘れないことだね」
ソールはそう言い残すと、ミカの背から離れ、すぅ、とその姿が掻き消えた。ヘヨカは構えを解き、ミカに近付く。
「あの……申し訳ありませんヘヨカ様」
「………………」
ヘヨカはミカのフードを掴んで頭に乗せると、その上からわしわしとミカの頭を撫でた。
「……ヘヨカ様?」
「宿なら取ってある。行くぞ」
差し出された、手袋に包まれたヘヨカの手をしばし見つめ、ミカはおずおずと手を差し出す。その手を握って引っ張り、ヘヨカは踵を返して歩き出した。
「……あの、私、」
「何だ」
「……べ、別に、情けなどいりませんから、もし迷惑でしたらその、」
ヘヨカが足を止め、ミカはその背にぶつかって言葉を切る。鼻を押さえてヘヨカを見上げると、ヘヨカは口元を引き結んでミカを見下ろしていた。
怒っている。直感的にミカはそう感じ取った。
「……言っただろう、自惚れろと」
「へっ」
「神々の追随など己れが許さん。お前は己れの傍にいろ。去られる方が迷惑だ」
ヘヨカはそして、有無を言わさず歩き出した。ミカは戸惑った顔のまま手を引かれるままに歩く。
どうして、とミカはヘヨカを見上げた。
出会ってから、何も自分は特別なことをした覚えはない。本当に、これはヘヨカの気紛れなのだろう。だが、それにしては自分は多くのものを貰い過ぎている気がしてならない。
きゅっ、とヘヨカの手を握り返し、ミカは俯いて唇を噛んだ。
「すみません、ヘヨカ様……こういうのは、慣れていなくて」
「………………」
「どういう顔をしたらいいのか、分からないんです……」
「笑え」
歩きながら、ヘヨカはぽつりとそれだけ言った。
「……嬉しいと思ったのなら、笑え」
ヘヨカの背を見上げ、ミカは目を瞬かせる。それから、ふにゃっ、と口元を緩ませた。




