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-第二話

 吐く息が白くなり、いつしか雪もちらつくようになった。

 深く刃を突き刺して、もう二度と見えなくなてしまえと願った右目は、冗談のように治っていた。それにきつく包帯を巻きつけて、レサルは軽く右目を押さえた。

 風邪をひいて寝込んでいるエスメラルダの枕元に薬草粥を置く。エスメラルダはレサルを見上げ、掠れた声を出した。

「ありがと……」

「最近急に冷えたからな。ゆっくり休め」

 うん、と力無くエスメラルダは笑った。

「今日は冷えるから、火は絶やさないようにしよう。鶏達ももう小屋に入れた」

「うん……」

「凍るかも知れないから、水も多めに汲んできておいたからな。心配せず寝ていろ」

「うん……ね、レサル」

「何だ」

 レサルが茶を淹れて振り返ると、エスメラルダは体を起こして微笑んだ。

「もういいよ」

「……は?」

「だから、もう、いいよ。助けた恩ならとっくに返してもらったよ。だから」

「何を言っているんだ、メル」

 レサルはエスメラルダの言葉を遮る。

「だって、レサルは人が嫌いなんでしょう? 本当は、人と一緒にいるの嫌なんだよね。あたしはほら、竜だから、いいけど。村の人と話すのいつも嫌そうだし」

「……お前も人間だ」

 カップを置き、レサルはエスメラルダの横にしゃがんだ。

「でも、嫌いだなんて一回も言ったこと無いだろう」

「だけど!」

「エスメラルダ」

 がっ、とレサルはエスメラルダの手を取った。驚くエスメラルダに構わず、その小さな手を両手で包む。


「俺と結婚してください」


 丸い、金色の太陽の色の目を見つめて、そう言った。

「……あたし、春が来たら竜に食べられちゃうんだよ?」

「知ってる」

「半分、竜なんだよ?」

「だから何だ。俺だって半分しか人間じゃない」

「レサルに……何もお返しできないよ……?」

「そんなもの要らない」

 レサルは両手に力を籠める。

「でも……だってぇ……」

 エスメラルダは顔をくしゃりと歪め、涙を双眸にいっぱいに溜めた。

 そのまま、エスメラルダは両手でレサルの手を握り返して泣き始める。大きな涙の粒が頬を伝い、握られた二人の手へと落ちた。

「――――元気になったら、首飾りを作ろう」

「……うん」

「今度街に出稼ぎに行ってくる。そしたら二人で買い物に行こう。やりたかったこと、全部やろう」

「うん……」

 涙を拭って笑うエスメラルダを見上げ、レサルは微笑んだ。



 雪を掻き分けて、村の男が食料を持ってきた。それを受け取り、エスメラルダは嬉しそうにその両手を捕まえる。

「あのねっ! 村の皆に言って! あたし、レサルと結婚するの!」

「はあ!?」

 突然の告白に、村の男は素っ頓狂な声を上げた。だが、鶏小屋の近くで茶を飲んでいたレサルも茶を吹き出して振り返る。

「だっ……あの人は死神って言ってただろ!?」

「でもレサルが言ってくれたんだもん」

「メル!」

 割って入ったレサルは耳まで赤くなっていた。

「あ、レサル照れてるかーわいーい!」

「やかましい、それよりそういうことは軽々と他の奴に言うな!」

「えー何でー? あたしいろんな人に知ってもらいたい」

「っ……」

 言葉に詰まったレサルの腕を、男が掴んだ。

「……ちょっと」

 男に引っ張られ、レサルはエスメラルダに声が聞こえない家の裏手に連れて行かれる。

「何考えてるんですか」

「……別に他意はない」

「そんな事言っても……まさか二人で逃げたりしないでしょうね」

「………………」

 レサルはじろりと男を睨む。男は気圧されたような顔になった。

「どこまでも保身のことか」

「……あいつが生贄になるのはずっと前から決まってたんですよ。大体、あなた本当にお伽噺の死神なんですか? 結婚なんて、人間みたいな……」

「確かめてみるか」

 レサルは、包帯を巻いた右目に指先を当てる。男が息を飲み、レサルは銀色の目を細めた。

「あ……いえ」

 男は慌てて手を振る。レサルは視線を逸らして鼻を鳴らした。

「……春になれば分かるさ」

 レサルは呟き、顔を上げる。涼やかな視線は男をすり抜け、遥か遠くへと向いていた。



 橙色の石を繋げ、四角い金の板の装飾を中心に持ってくる。結んだ糸の余り部分を切って結び目を石の中に入れれば、首飾りは完成だ。

 悴む手に息を吐き、エスメラルダは細い糸に飾りを通す。そのエスメラルダの首に、レサルはその橙色の首飾りをかけた。

「わっ!」

「橙色が好きだと言っていただろう」

「……いいよぉ、綺麗だから、これは売り物にしよう?」

「前に貰った、お返しだ」

 レサルは、自らの首にかかっている銀色の鎖に触れる。エスメラルダは目を瞬かせ、それから緩んだ笑みを浮かべた。

「えへへ、可愛い?」

「ああ」

「やったぁ。これで、レサルの隣に居ても恥ずかしくないかな?」

 エスメラルダの指先が、その顔の半分を覆う黒い鱗に触れる。

「メル」

「?」

 レサルはエスメラルダの頭に手を添え、顔を上げたエスメラルダの額に口付けをした。

「そのままで可愛い」

「……レサルは優しいね」

 エスメラルダは両手を頬に当て、笑って見せた。

「……茶を淹れよう。休憩だ」

「あっ、また照れてるー」

「……うるさい」

 レサルは薬缶を火にかけてカップを調理台に並べる。その腰に抱き着き、エスメラルダは顔をレサルの背中に押し付けた。

「……ねえレサル」

「うん?」

「……時間、止まればいいのにねえ」

「………………」

 か細い呟きに、レサルは応えなかった。



 唇を重ね、エスメラルダの細い腕がレサルを抱き寄せる。

「レサル、意外としっかりした体してるんだね」

「力仕事もしていたからな。……お前は、細いな」

「鱗ばっかりでしょ。痛くない?」

「痛くない」

 レサルの唇が、エスメラルダの首筋へと滑る。

「ね、レサル」

「謝るな」

「え……」

「今は集中してくれ。……全部、忘れて」

 レサルの言葉に、エスメラルダは言葉を切る。

 隙間から吹き込んだ風が、ランプの燈を消した。

「――――ありがとうね」

 しばらくの時間が経って、レサルの隣でエスメラルダがぽつりと言った。

「もしあたしが生贄じゃなかったら、子供欲しかったなぁ」

「……ああ、そうだな」

「もし今日授かっていても、道連れにしちゃうから……」

 レサルに寄り添い、エスメラルダは下腹に手を当てる。

「もし子供を授かったら、名前はどうしようか」

「……ふふっ。珍しいね、レサルがそういうこと言うなんて」

「……ただの戯れだ」

「でも嬉しい。そうだなぁ、可愛い名前がいいなぁ。男の子だったらー……」

 エスメラルダは指先をくるくると空中で回す。

「フェール。男の子だったらフェールがいいよ」

「女だったら?」

「うーん……じゃあそれはレサルが考えてよ」

 レサルは微苦笑を漏らした。

「女の子か……俺としては、強い子に育ってほしいからなぁ」

「理想とかあるの?」

「……母親だな」

「へえ、レサルにもお母さんがいたんだ」

「まあな。……そうだな……」

 目の裏に浮ぶのは、太陽のように笑っていた母親の影だ。失ってからの月日はあまりに長く、顔も声ももう思い出せない。だが今でも、名を刻んだあの墓はあの場所に残っていた。

「……ミカ」

「ん?」

「女だったら、ミカだ」

 母の墓標にしていた石の名だ。エスメラルダはレサルの腕を抱き、「かわいいね」と笑う。

「何だか疲れちゃった。おやすみ……」

「ああ、おやすみ」

 エスメラルダが目を閉じ、レサルはその肩を軽く撫でる。

 このままずっと一緒に居られれば、どれ程幸せだろうか。ようやく心が休まる場所を得られたのだ――――凍えていた心に、ようやく春が来たのだ。

 例えこの呪われた生が永久に終わらないとしても―――ほんの一瞬でいいから、夢を見ていたい。神々に呪われていても、世界に嗤われたとしても、今ここにある、この瞬間だけは守っていたい。

 そのための罪なら、幾らでも重ねられるのに。



 春風が山のふもとを吹き抜ける。エスメラルダは家からやや離れた場所に、一人立っていた。胸元で握る手は微かに震えている。

 遠くの空には、黒い影が幾つも見えてきていた。

「―――メル」

「大丈夫っ! 大丈夫だからね、心配しないでレサル」

 震える声で、それでもエスメラルダは笑って見せた。レサルの傍らに立ち、村の長は唇を噛んでいる。

 黒い影が、大きく翼を広げた竜の形に見えてきた。先頭にいる竜は大きいが、それ以外はその半分もない。

「仔竜か……何とかなりそうだ」

 ぽつりと呟き、レサルは静かに一歩を踏み出した。

「えっ?」

 村長が止めるより早く、レサルはエスメラルダに駆け寄る。竜の群れを見上げて震えていたエスメラルダを後方から抱き寄せ、その目に手を翳した。

「大丈夫。大丈夫だから――――眠っていろ」

 耳元で囁き、声をあげさせる間も無くエスメラルダの意識を眠りに誘い込む。脱力したエスメラルダを地面にそっと寝かせ、レサルはその前に立って竜を見上げた。

「旅人さん! あんた、何を!」

 村長の叫びも聞かず、レサルは右目に手を添える。

「―――メルは、俺に大切なことを気付かせてくれた。そして、強さも勇気も教えてくれた」

 胸元の銀色の鎖を握り、レサルは竜を睨み据える。

「俺はメルの為なら、何だってやってやる」

 着地した竜が、その鼻先をレサルに近付ける。

『お前が今年の贄か』

 大地を震わせるような声が響いた。レサルは黙って首を横に振る。

『では退くといい。贄さえあれば村は見逃してやる』

「―――すまんな黒の竜ども」

 レサルはそう告げると、指先を、先頭の竜の鼻先に突き付けた。

「来世に期待すると良い―――死ね」

 瞬間――――世界は彼に従った。

 竜の奥で、何かが弾ける。竜の口、目、鱗の隙間から赤黒いものが噴き出した。

 悲鳴も、怒号も、何も無い。レサルのただ一言で、竜はその命の終わりを迎えた。

 地面を揺らし、巨大な竜の体が地面に横たわる。空中に血飛沫が上がり、折れ曲がった翼の先端が地面に突き刺さった。

 巨体ががりがりと地面を削り、剥がれた鱗が飛び散る。土埃と血飛沫が収まった後の地面には、じわじわと紅の池ができ始めていた。

「……えっ……?」

 しばらくの沈黙の後、ようやく村長がそう言った。

 右目の包帯がはらりと落ちる。レサルはゆっくりと、傾いだ首を回して竜を見る。

 開かれた神の目は、世界全てを見下ろす力を持つ。その美しさ故全ての人間は呼吸を忘れ、その強大な力故全ての生き物はその前に傅く。目の前に立つ人間の心の奥底まで丸裸にし、歴戦の騎士すら主君の秘密を暴露する。

 人の身にはあまりに過ぎたその力を、今はただ、この少女を護る為だけに。

 仔竜の数は全部で七。まさか先のように上手くはいくまい。

 だがレサルは唇を舐めて、指先を竜の血の池に触れさせた。手に絡まるように血が持ち上がり、やがて巨大な刃となる。

「メルを連れて中へ」

「へっ? え、」

「急げ!」

 レサルが怒鳴り、村長が弾かれたようにエスメラルダを抱えて逃げ出す。仔竜の七つの首が、一斉にレサルに襲い掛かった。

 嗤われている気がする。遥か遠く、天上から見下ろしているであろう、金髪の兄に。

 だが何だという。数百年振りに、自分の子供だましの力が役に立つのだ。それが嬉しくて何が悪い。

 口元が引き攣る。レサルは口角に指を当てた。



 遠くへ竜が飛んでゆく。膝をつき、息も絶え絶えになってレサルはそれを見上げていた。

 転がっている竜の頸は五つ。足りない。逃げたのだ。

 だが飛び去った竜は、来た方向ではなく、村へと向かっていた。霞む視界でそれを確認し、レサルは心臓が締め上げられるような怖気に襲われる。

 生贄はエスメラルダだった。エスメラルダを差し出せば村は襲われない。だがエスメラルダを差し出さず、あまつさえ命すら奪おうとすれば、その怒りの矛先が何処に向くかなど明白だ。力を振りかざす眼前のレサルより、恐らくただ震えているであろう圧倒的弱者の、村人達―――竜にとっては餌でしかないだろう。

 立ち上がろうとして、力が入らずにレサルは転んだ。それでも両手を踏ん張り、体を持ち上げる。

 殺させはしない。エスメラルダを救った代わりに村人が殺されたなど、そんな無様なことはない。自分勝手な正義を振りかざすならせめて――――

「相変わらず馬鹿だねえ、僕の可哀想な弟」

 ぽんっ、と肩に手が置かれる。瞬間、背中に強力な圧力を感じてレサルはその場に倒れ伏した。手の主が目の前に立ち、しゃらん、とその足首で金の輪が揺れる。

「まさか竜に手を出すなんてさ――――モルスに怒られる前に、僕が後始末してあげるよ」

 ぐらつく視界で、白い衣装と、金色の髪が揺れていた。

「忘れないことだね。君の不始末だ。やっぱり君は只の人間なんだよ」

 そう言葉を叩きつけて、その声の主はひらりと踵を返した。

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