表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/27

-第五話

 星空に手を伸ばす。目はその手より遥か上へ行っていた。

 体は地面に着いたままで、何処までも遠くへ。神の力を宿す目は、世界中の全てのことを一瞬で見抜いてしまえそうだった。

 夜だというのに、右目は眩しくて仕方がない。目を開くと、月と太陽が同時に見えた。音の無い景色が嵐のように流れ込んでくる。

 草の上でレサルは膝を付いた。胃がひっくり返り、その場で嘔吐する。

 頭が割れるように痛い。目を開いては立ってもいられない。右目を閉じて両手で覆い、それでも、一度頭の中に流れ込んできた景色は消えることなく、自分の内側にこびりついてゆく。

 この目を解放していた時、自分の心はいつも落ち着いていた。どれほどかき乱されていても、神の子としての自覚が、動揺を鎮めていた。

 だが今は違う。全てを見通す力があっても、少しも心は穏やかにならない。それどころか、むしろ―――

「……っあ、」

 どす黒い何かが、体の奥底に溜まってゆく。

 何度も吐き出そうとして、だのに押し殺してきたものだ。違うのだと自分に言い聞かせて、目を逸らしてきた。自分は人間の中で、人間として生きてきたのだから、この思いは、右目の力が解放された時の反動に過ぎないのだと。

 だが、そうして自分を誤魔化すのも限界だ。

「……らいだ……人間なんか……大っ嫌いだ……!」

 呻くように口にする。途端、どす黒かったその思いが確固たる意味を持った。

 じんわりと、その黒い嫌悪が心を覆ってゆく。だがその事に対する恐怖など無い。これは他でもない自分の本心だ。

 人間は自分を裏切ってきた。見目が他の人間と異なるというだけで石を投げた。神の力で捻じ伏せて、助けてやったというのに自分を化け物扱いした。平気で他者を蹂躙して笑っていた。自分の心の隙に付け込んで、操り人形にしてしまおうとした。

 嫌悪。恐怖。侮蔑。嘲笑。傲慢。憎悪。独占欲に支配欲。まるで自分達が世界の支配者だと言わんばかりに肩で風を切り、同族同士で潰し合う。

 もう―――見捨ててしまえばいい。

 ゆっくりと星空を仰ぐ。

 レサルは口元を笑みの形に歪め、嗚呼、と呟いた。

 空の向こうへ――――神々の世界へ行きたいと、行かなければいけないのだと思う。

 ようやく人間を見捨てられるのだから。

 神の力を宿す自分が、どうしてこれ以上、こんな穢れた場所にいられようか。



 右目の力は日に日に増してきていた。数年もの間、殆ど日に晒していなかったからか、昼間に開くと光に目が眩んで眩暈がした。しかし、昼だろうが夜だろうが流れ込んできた景色は、自分で選び取ることができるようになった。

 瞼を開けば、それだけで世界中の何処にでも己の目は行ける。この地上は須らく自分の目の下にある。遠い山脈に暮らす飛竜達や、水辺の水竜の穏やかな景色もあれば、いさかいの絶えない街の路地の景色もあった。

 一睨みで殺せるのは、人間だけでは無い。どうやら鳥も獣も、この目に従うようだ。

 木の下に座り、空飛ぶ鳥を目の前に降ろして焼き、遠い何処かの街を眺めて暇をつぶす。魔術師を見付けたら技術を盗み、運よく本が開いてあればそれも読んだ。

 右目を閉じてしまえばいつでも自分は一人になれる。風と草木が擦れる音だけを聞き、時折遠くを通る旅人を見送る。

 そうして日々を過ごしていると、嘗ての師や、街を襲った賊達が如何に低俗極まる人間だったかが身に染みてきた。やはり自分は、彼らと同じ場所に居るべき存在ではなかったのだ。

 レサルは、背を預けていた木から身を剥がして立ち上がった。

 街から出て数日、水と鳥や獣の肉で食いつないできたが、そんな日々も終わりだ。

「行こう」

 レサルが指先を天に向けると、淡い光が空中に線となって飛び出した。

 光は一筋から二筋へ、三筋へと増え、空中で、まるで元からそうなると決まっていたかのように模様を描き出す。大きな一つの円に六芒星と同心円、細かな文字。更にその円に付随するように三つ、外側に小さな円陣。完成したのは、レサルの師が書いていたものとは比べ物にならない程、巨大で複雑な魔法陣だった。

 レサルは口の中で呪文を唱える。額には汗が滲み、魔法陣を支えるように突き出した手は震えていた。しかし、口元には笑みが浮かんでいる。

 ――――行ける。そう感じた瞬間、レサルは命じていた。

「俺を連れて行け!」

 叫びが鍵となり、魔法陣の中央に縦に切れ目が入る。魔法陣そのものが扉のようにゆっくりと左右に開くと、その奥、空が広がっているべき場所は漆黒に満たされていた。

 レサルの背筋を悪寒が走る。左右に分かれた魔法陣、その間に満ちる、夜の闇より遥かに深い、一転の光も無い空虚――――例え神の世界ではなくとも、ここではない、何処か遠くへ繋がっているのは明らかだろう。

 レサルは指先を闇に浸した。それからゆっくりと、探るように、開ききった扉を地面へ降ろしてゆく。顔が境界を越えたところで途端に息苦しくなったが、息を止めたまま手を降ろし続けた。

 扉はレサルの指先に従って地面まで降り、レサルをすっぽりと飲み込んだ。そして―――

 音も無く扉が閉まり、僅かに生まれた風が周囲の草木を揺らす。

 既に草原には、闇を湛えた扉も、独りの旅人の姿も無かった。



「名は?」

「レサル・メーロと言うらしいよ。母親は死んでいる」

「……しかし。兄弟と言う割にお前とは似ていないな。髪の色も顔立ちも違う」

「そう? 僕は母さん似だからね。でも兄さんにはよく似てるよ。髪の色も、顔立ちも」

「しかし、これで太陽、月、星の三兄弟が集ったわけか」

 囁き合う声に、レサルは微かに呻き声をあげた。

「あっ」

「起きたか?」

「起きたかな」

 頬に何かが触れる。それで一気にレサルは覚醒した。

 両目を開く。四つの目玉が、自分を見下ろしていた。

「わっ!?」

 思わず声を出す。さっ、と目が引き、レサルは体を起こした。

「何だ、何……、」

 レサルは頭に手を当てて顔を顰める。

 周囲は、真っ白な光に埋め尽くされていた。レサルはその中にぽつんと寝かされている。上も下も、何処までもただひたすらに、白い。そしてレサルの視線の先に、アーチ形の空色の扉があった。

 その左右に立っているのは、二人の少年だ。一人はふんわりとした金髪に金の目、もう一人は青みがかった銀髪に同じ銀の目だった。二人共、髪に互いの髪の色の羽飾りを付けていた。

「やあレサル」

「よく来たな」

「僕はソール。太陽の神だよ」

「俺はルーナ。月の神だ」

「君は僕達の弟だね」

「歓迎しよう、兄弟」

「さあ、まずは意志の確認だ」

「お前は神になる覚悟があるか」

 呆然とするレサルの前で、二人はまくしたてる。レサルは目を瞬かせて立ち上がった。

「俺の……兄弟?」

「質問には答えないよ」

「答えるのはお前だけだ」

 ぴしゃりと。レサルは顔を顰めた。

「神になる覚悟も何も……俺は神の子だ。それが道理だろう」

 レサルがそう告げる。ソールは金の目を細めた。

「そうかい。それでは許可しよう」

 ソールは言って、扉をノックした。重々しい音が響き、ゆっくりと空色の扉が開く。

 その向こうには―――

「……な……」

 島があった。それも一つや二つでは無い。だがそれらの島は、全て―――まるで地面の一部を無理矢理持ち上げたかのように、空に浮いていた。

 扉を超えた先には、地上と変わらない地面がある。白い柱で支えられた神殿が島々には築かれ、華やかな服装の女達があちこちを飛んでいた。

 石がこすれ合うような音がし、レサルは振り返る。そこにあった空色の扉は、閉じられると同時に空に溶けるように透明になって消えて行った。

「……さあレサル。君に、神の世界を案内してあげよう」

 振り返ったソールはにっこりと笑う。

「兄さん。父さんを呼んで来ておいてね」

 首だけでルーナを見遣ってそう言うと、ソールはレサルに駆け寄った。

「えっ?」

 そして、驚くレサルの腕を掴み、そのまま島の端へと引っ張っていく。

「おい、ちょっと!」

「さあ、まずはあの島だ!」

 ソールは迷わず島の端を蹴った。足が地面から離れ、レサルは青い顔になる。からんと音を立てて島の端が崩れ、小石が落下していった。目で追った小石は瞬く間に砂粒のように小さくなり、やがて雲に飲み込まれて消えてゆく。

 自分より幼い見た目のソールの服を、レサルは両手で掴んだ。ソールはにっこりと笑い、近くの島に着地する。

「ここは女神が好きな花の島だよ。下界ではもう咲かなくなった花も、ここではいつでも咲いているんだ」

 ソールはレサルを地面に降ろし、花を摘んでいる女神達に手を振った。

「あら、ソール様!」

「ソール様だわ!」

 女神達はソールに駆け寄ってくる。

「ソール様、いつこちらにいらしたんですの?」

「あちらの人間は?」

「ついさっきだよ、戻ってきたのは。あれは僕の弟。と言っても、血は半分しか繋がっていないんだけどね」

 ソールは呆然としたままのレサルを振り返り、微笑んだ。

「どうしたんだい? 君は望んでこちらに来たんだろう」

 ふと、その笑みが仄暗い色を帯びる。

「君は神の子だと自分で言ったけれど。それでも半分は、ただの人間だろう。なのにこちらに来たがったってことは、覚悟くらいあったよね?」



 幾つかの島を連れまわされ、ルーナに呼び戻されて、レサルとソールは元の島にいた。どうやらこの島が最も大きいようで、神殿も、レサルが右目を飛ばして見てきたどの神殿や王宮よりも大きかった。大理石の廊下をずっと進むと、壮麗な扉が突き当たりに現れる。

「僕達が入って、しばらくしたら扉が開く。そしたら中に入って、跪くんだ。許可をされるまで、顔をあげてはいけないよ」

「中にいるのはこの天上でも上位の神々だ。……健闘を祈る」

 ソールとルーナはそう言い残し、扉を少しだけ開いて中に入っていった。

 白い扉を見上げて、レサルは息を吐く。握った拳を開くと、風が嫌に冷たく感じられた。

 中から物音はしない。右目を開いていても、今は何も見通すことができなかった。それは、自分の周りにいるのが皆、この神の目の力が通じない、神々という存在であると告げている。

 レサルは唾を飲み込んだ。目を閉じて、鼻からゆっくりと息を吸う。草花の匂いと、春のような、あたたかな日差しに暖められた空気の匂いがした。口から息を吐き出す。強張っていた体が、弛緩する。

 扉が開いた。

「レサル。入りなさい」

 奥から、低い声が飛んでくる。レサルは俯き、部屋に数歩入ってその場で膝を付いた。拳を冷たい床に当て、目を閉じてこうべを垂れた。

「大きくなったな。アレグリアはどうしている」

 突然の母の名に、レサルは息を飲んだ。そして、この低い声の主が父親だと確信する。

「……死にました。賊の手にかかって」

「……そうか。辛かったろう」

 レサルは拳を握り、こみ上げてきた言葉をすんでのところで飲み込む。

「それで、ここに来たということは神になる意志があるということだろう」

「はい」

「お前には人として生きる道もあるんだぞ」

「………………」

 父の声は、何処か慈しむような声音だった。だがレサルは唇を噛んで黙る。

「神の力は確かに大きい。だが決して人間が御しきれないものではない。……私が加護を与えれば、お前はその力を自在に使いこなすことができるだろう。そうして人の世界で、神の御業で人々を助け、人として生き、死ぬ。それもまた一つの幸せかもしれない」

「いいえ」

 レサルは吐き捨てるように否定した。

「だが神となれば下界に降りることも少なくなる。友は恋しくならないか」

「なりません。友などおりません」

 きっぱりとしたレサルの言葉に、深く息を吐く音が返ってきた。

「お前は人が嫌いか?」

「……はい」

「その理由を述べてみよ」

 レサルは目を開き、床を睨み付ける。

「――――人は、……醜いですから」

 レサルの言葉に、ざわめきが生まれた。どうやら、それなりの数の神々が集まっているらしい。十人は優に超えているだろうか。

「随分な物言いだな。たかが二十数年生きただけで人間を語るとは」

 女の声だった。何処か遠い昔、その声を聞いたことがある気がする。レサルは顔を上げかけ、慌てて俯いた。

「戦神の息子。お前は今迄、何人の人間と出会ってきた? たかだか数百人で人を分かった気になるとは、思い上がりも甚だしい」

「それに、神になる覚悟も見えないね」

 続けたのはソールの声だ。

「たとえ星から地上を望む目を持っていたとしても、君は人間だ。見たくないものに心を悼め、時には怒ることもあるだろう。でもそれを、その個人の心内を、まるで世界の理のように言うなんてね」

 ソールの言葉は、レサルを責めるような声音では無かった。ただ単純に事実を突きつけているだけ―――それだけにレサルに突き刺さる。

「人間は醜い。なるほどそういう部分もあるね。うん。納得できるよ? でも、他者を醜いと断罪する君は、一体何様なんだい?」

「……俺は、神の子で」

「神の子であろうとかなろうと」

 やや強い口調でソールがレサルの言葉を遮った。

「君はどうしようもないくらいに、ただの一人の人間なんだよ」

 レサルは息を飲む。固く目を瞑り、血が滲むほどに唇を噛んで、自分の体をそこに縫い付ける。そうでもしないとソールに怒鳴り返してしまいそうだった。

「僕は人間が好きだよ。確かに最近は戦争ばかりだけれど、別にそれは人間が醜い理由にはならない。僕はこう見えて百年以上神様をやっているからね。人間の良い所もたくさん知っているよ。だからこそ君も、少し思い上がっただけの人間だと分かるんだよ」

 止めてくれ。レサルはそう心の中で叫ぶ。

 自分は神の子だ。他の人間とは違う。自分は特別だ。だからこの神の世界に来るべきだったのだ。あんな人間達に、背を向けて。

 その思いを、ただの幻想だと笑われた。

「君はもしかして、神々が、そんな浅慮な自分をあっさり受け入れると思ったのかな? それこそ馬鹿馬鹿しい思い上がりだよ」

「ソール、そろそろ黙れ。あいつも半分は神の端くれだ、理性が飛んだらどうなることやら」

 ルーナが深く溜息を吐いた。

 レサルの胸に焼き付いていた、どす黒いもの。それを神々は引き剥がし、その奥へと平気で手を突っ込んでくる。

「この程度で理性が飛ぶなら、それこそ傲慢というやつさ。幾つかの島を回ってみたけれど、やっぱり彼は子供だよ。それも、馬鹿で浅慮で身の程知らずで、どうしようもなく愚かしい、哀れな子供だ」

 品定めをされていた。そう気付いてレサルは怒りに震える。

「俺を傲慢と嘲るのならば!」

 拳を床から離し、レサルは立ち上がった。

「その俺を断じる貴様らは何だ! 何様だ!」

 ソールの言葉を返すように、レサルは怒鳴った。

 顔を上げ、目に飛び込んできたのは鮮やかな神々の姿だ。顔かたちも纏っている服も様々で、だがその目は一様にレサルを向いている。最奥の、レサルの正面に座っていたのは、鉄錆で汚れた鎧と兜を身に纏う偉丈夫だった。

 レサルの声は、広い部屋にしばし響く。神々は黙ったまま、宝石のような目でレサルを眺めている。

 最初に動いたのはソールだった。

「――――神様だけど?」

 机に肘を乗せ、拳で頬杖をついて首を傾げる。

 ごく当然と言うようなソールの声音に、ルーナが小さく笑いを零した。それが呼び水となったように、居並ぶ神々がそれぞれ笑い声をあげる。

 笑い声が耳障りで、レサルは苦々しく顔を歪めた。

「――――残念だ」

 レサルの父がそう言った。神々の目がそちらに向き、笑い声が収まる。

「私に何か……言いたげだな?」

「……言ったら……同情してくれるのか」

 レサルが震える声で吐き捨てると、父は深い息を吐く。

「――――我が名は戦神クリーク。この天上を今統べている者だ。今、半神レサル・メーロの処遇を決定した」

 銀色の目を細め、父―――クリークは太い指でレサルを指差した。


「天上から追放する」


 瞬間、レサルの足元が煙のように掻き消える。

「なっ!?」

「出直して来い、半端者」

 その声が終わるや否や、レサルは空中へと放り出されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ