何を捨てるか
昭和二十八年八月四日。
東京、海軍省。
新型駆逐艦計画の最初の設計会議は、開始から一時間も経たないうちに行き詰まっていた。
「魚雷は必要だ」
一人の海軍大佐が言った。
机の上には、新型駆逐艦の要求案が広げられている。
基準排水量、およそ二千トン。
速力、三十ノット以上。
外洋航行能力。
新型ソナー。
対潜兵装。
レーダー。
そして、魚雷兵装。
高瀬誠一技術大尉は、その最後の項目を見つめていた。
「その魚雷を、何に使うんですか」
会議室が静かになった。
大佐が高瀬を見る。
「敵艦だ」
「どの敵艦でしょう」
「巡洋艦でも駆逐艦でもいい」
「それと撃ち合う状況になった時点で、この艦の任務は失敗しているのでは?」
何人かの士官が顔を上げた。
高瀬は続ける。
「この艦に求められているのは、第一艦隊の護衛です。隼鷹を守り、潜水艦を探し、船団を護衛する。そのための艦でしょう」
「だからといって、水上戦闘能力を捨てるのか」
「全部とは言っていません」
高瀬は資料を一枚取り出した。
響で行われた装備試験の結果だった。
「問題は余裕です」
戦争中の駆逐艦とは違う。
新型艦には、レーダーもソナーも必要になる。
通信装置も増える。
それらを動かすための電力も必要になる。
将来、新しい装備を追加するための余裕も残さなければならない。
「全部載せればいい、というわけにはいきません」
高瀬は言った。
「何かを載せるなら、何かを諦める必要があります」
大佐は腕を組んだ。
「旧海軍の駆逐艦は、魚雷を捨てなかった」
「だから、新しい海軍も同じである必要がありますか」
空気が変わった。
会議室の端に座っていた老技術者が、ゆっくりと眼鏡を外した。
「高瀬君」
「はい」
「君は特型を否定するのかね」
高瀬は一瞬黙った。
特型駆逐艦。
吹雪型。
その発展型として建造された艦の一隻が、今も横須賀にいる。
響。
高瀬が毎日のように乗っている艦だった。
「いいえ」
高瀬は答えた。
「むしろ逆です」
「逆?」
「特型は、造られた時代に必要とされたものを詰め込んだ艦だったと思っています」
大砲。
魚雷。
速力。
夜戦能力。
限られた船体に、当時の帝国海軍が必要としたものを載せた。
「だったら、我々も同じことをするべきです」
高瀬は要求書を指で叩いた。
「昭和三年の駆逐艦を造るのではなく、昭和二十八年の駆逐艦を造るんです」
誰もすぐには答えなかった。
やがて別の士官が口を開いた。
「では聞こう」
海軍軍令部から参加している中佐だった。
「昭和二十八年の駆逐艦とは何だ」
高瀬は答えようとして――止まった。
簡単なようで、簡単ではない。
潜水艦を探す艦。
空母を守る艦。
船団を護衛する艦。
だが、それだけなら海防艦でもいい。
わざわざ「駆逐艦」と呼ぶ以上、それ以上のものが求められる。
「……艦隊と一緒に、どこまでも行ける艦です」
高瀬は言った。
「続けろ」
「隼鷹が出るなら一緒に出る。日本海でも太平洋でも行く。潜水艦が出れば探す。航空機が来れば艦隊を守る」
高瀬は少し考える。
「そして十年後でも、新しい装備を積んで戦える」
中佐は黙って聞いていた。
「それが、今造るべき駆逐艦だと思います」
会議はその後も続いた。
主砲をどうする。
魚雷をどうする。
速力をどこまで求める。
航続距離は。
対潜兵装は。
どの程度の将来余裕を持たせる。
一つ増やせば、別の何かが重くなる。
速力を求めれば機関が大きくなる。
燃料を増やせば船体が大きくなる。
装備を増やせば電力が足りなくなる。
軍艦の設計とは、足し算ではなかった。
むしろ――。
「引き算ですね」
休憩中、高瀬が呟いた。
隣にいた老技術者が笑った。
「今頃気づいたのか」
「もっと夢のある仕事だと思っていました」
「夢ならあるさ」
老人は煙草を一本取り出した。
「ただし、排水量という名前の現実がついてくる」
高瀬は苦笑した。
夕方。
最初の要求案がまとまった。
まだ決定ではない。
だが、新型駆逐艦の姿が少しだけ見え始めていた。
基準排水量――約二千トン。
最大速力――三十ノット以上。
主砲――必要最小限。
対潜能力――最優先。
レーダー・ソナー――新型装備を前提。
航続力――第一艦隊随伴を可能とすること。
そして。
将来の装備更新に備え、重量・電力双方に余裕を確保すること。
魚雷については、結論が出なかった。
会議終了後。
高瀬は一人、会議室に残っていた。
白紙だった図面には、いくつかの線が引かれている。
まだ軍艦と呼べるようなものではない。
それでも、一週間前とは違った。
高瀬は鉛筆を取った。
艦橋。
煙突。
主砲。
その後ろに、対潜兵装。
描いては消す。
また描く。
「何を載せるか、じゃない」
高瀬は小さく呟いた。
何を捨てるか。
それを決めなければ、新しい艦は造れない。
その夜。
新型駆逐艦計画の要求書から、一つの言葉が消された。
――重雷装。
かつて帝国海軍の駆逐艦を象徴した思想が、静かに姿を消した瞬間だった。




