海を守る者たち
昭和二十八年七月。
再建から五年を迎えた日本帝国海軍は、いまだ発展途上の小さな海軍だった。
その戦力は、日本列島を囲む海へ分散して配置されている。
帝国海軍第一艦隊。
再建海軍が保有する、唯一の本格的な外洋艦隊である。
軽巡洋艦「酒匂」を旗艦とし、軽航空母艦「隼鷹」、駆逐艦「雪風」をはじめとする主力艦艇によって編成されている。
その任務は、日本周辺海域の防衛と船団護衛。
そして有事の際には、海軍航空隊とともに日本近海へ展開することであった。
西日本を担当するのが、佐世保を拠点とする第二艦隊である。
こちらは旧式駆逐艦や海防艦を中心とした部隊で、第一艦隊ほどの外洋戦闘能力は持っていない。
その代わり、対馬海峡から東シナ海にかけての哨戒、船団護衛、沿岸警備を担当している。
朝鮮半島で戦争が続く現在、その重要性は決して小さくなかった。
そして北。
大湊。
津軽海峡と北海道方面を守る北方警備部隊が置かれている。
規模は小さい。
所属するのは海防艦、掃海艇、哨戒艇などが中心で、第一艦隊のような大型艦は存在しない。
だが、その正面に存在する相手は他のどの部隊よりも巨大だった。
ソビエト連邦。
ウラジオストクを根拠地とするソ連太平洋艦隊である。
ほかにも各地には掃海部隊が存在した。
終戦から八年が経過した今も、日本近海から戦争の痕跡が完全に消えたわけではない。
彼らは帝国海軍再建以前から海へ出続けてきた。
ある意味では、戦前の帝国海軍と現在の帝国海軍を最も途切れることなく繋いでいる部隊だった。
そして、もう一つ。
横須賀には海軍技術研究部が置かれていた。
そこには一隻の古い駆逐艦がいる。
「響」。
かつて北の海を走った特型駆逐艦は、今ではその船体に新型レーダーやソナーを載せ、帝国海軍の未来を試す実験艦となっていた。
こうして1953年の帝国海軍は、日本列島を囲む四つの海を守っていた。
第一艦隊。
第二艦隊。
北方警備部隊。
そして各地の地方警備・掃海部隊。
しかし、その戦力は十分とは言い難い。
特に北方方面。
広大な北海道周辺海域に対し、大湊の戦力はあまりにも小さかった。
七月十二日、午前五時四十分。
その大湊から、一本の電報が発せられた。
『津軽海峡西方海域ニ於イテ、国籍不明潜水艦ノ目撃情報アリ』
午前六時十二分。
電報は東京の海軍軍令部へ到達。
午前六時二十八分。
第一艦隊司令部に、緊急電が入った。
その頃。
隼鷹の士官室では、相沢慎一海軍少尉が朝食を取っていた。
日米合同演習を終えてから、まだそれほど日は経っていない。
あの演習以来、第一〇一海軍航空隊では対潜哨戒の訓練が続けられていた。
相沢はパンを口へ運ぼうとした。
その瞬間だった。
艦内放送が響く。
『第一〇一海軍航空隊搭乗員、直ちに飛行待機所へ集合』
相沢の手が止まった。
周囲にいた士官たちも、一斉に顔を上げる。
演習予定はない。
黒木少佐が静かに立ち上がった。
「どうやら――」
帽子を取る。
「今度は演習じゃないらしい」
数十分後。
第一艦隊に出動命令が下った。
軽航空母艦「隼鷹」。
駆逐艦「雪風」。
その他護衛艦艇。
目的地――津軽海峡西方。
任務。
国籍不明潜水艦の捜索および識別。
相沢にとって、それは帝国海軍へ入って以来初めてとなる、実任務だった。




