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海軍は再び翼を得る  作者: フジ
極東動乱
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23/33

休戦崩壊

昭和三十八年七月三十一日。


朝鮮半島。


夜が明けても、


銃声は止まらなかった。


前日までなら、


数時間で終わっていた。


境界線で接触が起きる。


双方が発砲する。


負傷者が出る。


板門店で抗議する。


そして、


また元の緊張へ戻る。


十年間、


何度も繰り返されてきた。


だが。


この日は違った。


*


午前六時十二分。


韓国軍の前線司令部に、


最初の報告が入った。


軍事境界線東部。


北側部隊の活動。


続いて、


別の地点。


さらに西部。


一つではない。


「同時ですか」


「ほぼ」


地図に印が付けられる。


一つ。


二つ。


三つ。


前線司令部の空気が変わった。


偶然ではない。


少なくとも、


そう考えなければならない数だった。


「全部隊に警戒を」


命令が飛ぶ。


まだ。


戦争という言葉を使う者はいなかった。


*


午前八時四十分。


ソウル。


韓国政府にも、


前線からの報告が次々と入っていた。


情報は錯綜している。


どこまでが事実なのか。


どこまでが誤認なのか。


北側が何を目的としているのか。


誰にも分からない。


「全面攻撃なのか」


答えは出なかった。


確認されている規模だけなら、


十年前の朝鮮戦争とは比較にならない。


だが。


問題は規模ではなかった。


同時に起きている。


それが、


これまでとの最大の違いだった。


韓国軍の警戒態勢が引き上げられた。


在韓米軍にも、


同じ情報が流れた。


*


午前十時。


板門店。


軍事休戦委員会では、


双方の主張がぶつかっていた。


南側は、


北朝鮮軍による組織的な休戦協定違反だと非難した。


北側は、


南側による挑発への自衛措置だと主張した。


話は噛み合わない。


その間にも。


境界線では、


新しい報告が増えていた。


会議は続いた。


だが。


会議室の外で起きていることの方が、


はるかに速かった。


*


午後一時二十分。


東京。


首相官邸。


緊急の国防会議が開かれた。


机の中央には、


朝鮮半島の地図。


「現在までに確認された戦闘地点です」


軍令部の士官が、


地図を指す。


複数。


昨日までとは違う。


「北朝鮮軍による全面侵攻なのか」


「現時点では断定できません」


「韓国軍は?」


「全軍の警戒態勢を引き上げています」


「米軍は」


「同様です」


首相は、


地図を見た。


日本から近い。


あまりにも近い。


対馬から朝鮮半島までは、


地図の上では指一本ほどしかない。


「海軍はどうする」


海軍大臣が答えた。


「第一艦隊の即応態勢を引き上げます」


「朝鮮へ行かせるのか」


「いいえ」


即答だった。


「現時点で、日本が戦闘へ参加する理由はありません」


部屋が静かになる。


「日本海及び対馬海峡の警戒を強化します。商船には必要に応じて航行情報を提供します」


「それだけか」


「今は、それだけです」


海軍大臣は続けた。


「朝鮮の戦争を、日本から始めるわけにはいきません」


*


午後三時。


横須賀。


隼鷹に、


出港準備命令が届いた。


目的地。


日本海。


任務。


警戒。


海上交通路の監視。


航空哨戒。


まだ戦闘任務ではない。


相沢慎一大尉は、


命令書を読んだ。


「やっぱり来ましたね」


黒木中佐は答えない。


甲板では、


出港準備が始まっている。


燃料。


食料。


航空機。


整備部品。


予定されていた訓練とは、


積み込む量が違う。


「鳳翔は?」


相沢が尋ねた。


「まだだ」


「公試はほとんど終わってます」


「ほとんど、だ」


黒木は、


その言葉を強調した。


鳳翔は走れる。


航空機も運用できる。


だが。


まだ海軍へ正式に引き渡されていない。


戦闘に出せる軍艦ではなかった。


「結局、こっちですか」


相沢が言った。


黒木は、


飛行甲板を見る。


古い。


何度も補修されている。


「動く艦を使う」


それだけだった。


*


八月一日。


午前四時。


朝鮮半島。


夜のうちに、


状況はさらに悪化していた。


軍事境界線の複数地点で、


戦闘が続いている。


通信が途切れた監視所。


後退した部隊。


増援を要求する部隊。


そして。


北側の部隊が、


一部地域で軍事境界線を越えたとの報告。


最初は確認されなかった。


二度目。


三度目。


別々の部隊から、


同じ報告が届いた。


前線司令部は、


ついに言葉を変えた。


「侵入」ではない。


「攻撃」。


韓国軍にも、


応戦命令が下った。


十年間止まっていた線が、


動き始めた。


*


午前七時。


東京。


夜通し続いた国防会議に、


新しい報告が届いた。


北朝鮮軍の一部が、


軍事境界線を越えた。


韓国軍が応戦。


米軍にも損害。


戦闘地域は拡大中。


首相は、


報告書を机へ置いた。


「休戦協定は?」


外務当局の担当者が答える。


「形式上は、まだ存在しています」


「形式上は?」


「はい」


誰も、


その意味を聞かなかった。


紙の上では、


休戦している。


現地では、


撃ち合っている。


「アメリカから連絡は」


「国連軍への後方支援継続と、日本国内基地の使用について要請が来ています」


「戦闘参加は?」


「現時点では求められていません」


首相は頷いた。


「ならば、そこまでだ」


そして、


海軍大臣を見る。


「海軍は予定通り?」


「第一艦隊を日本海へ」


「交戦は」


「日本船舶、日本領域、及び艦隊そのものに対する明白な危険がない限り認めません」


首相は頷いた。


「それで行こう」


まだ。


日本は戦争へ参加しない。


*


同日午後。


対馬海峡。


商船が次々と南へ向かっていた。


朝鮮半島に近い航路を避け、


航路を変更する船も出始めている。


海軍の警備艦が、


海峡へ展開した。


上空には、


哨戒機。


港では、


掃海部隊が出動準備に入る。


戦争は、


まだ日本へ来ていない。


だが。


海はもう、


平時の海ではなくなっていた。


*


八月二日。


横須賀。


隼鷹が、


岸壁を離れた。


曳船が離れる。


船体が、


ゆっくりと港口へ向く。


相沢は飛行甲板から、


横須賀を見ていた。


岸壁の向こう。


もう一隻の航空母艦が見える。


鳳翔。


完成間近。


新しい飛行甲板。


新しい艦橋。


新しい機関。


新しい海軍が、


十年かけて造った空母。


だが。


動いているのは、


隼鷹だった。


相沢は、


鳳翔が小さくなっていくのを見ていた。


「あれが完成していれば」


隣で、


若い士官が言った。


相沢は振り返る。


「隼鷹は行かなくて済んだんでしょうか」


少し考えた。


「そうかもしれん」


「間に合いませんでしたね」


背後から声がした。


黒木だった。


「軍艦というのはな」


二人が振り返る。


黒木は、


遠ざかる鳳翔を見ている。


「必要になる前に造っておかなきゃならん」


誰も答えなかった。


隼鷹は、


横須賀を出た。


*


八月三日。


朝鮮半島。


戦闘は、


終わらなかった。


むしろ。


広がっていた。


軍事境界線の東。


中央。


西。


砲声が続く。


航空機が飛ぶ。


韓国軍が増援を送る。


北朝鮮軍も、


新たな部隊を前へ出す。


板門店では、


休戦委員会が開かれた。


だが。


会議の最中にも、


遠くから音が聞こえていた。


十年前。


ここで、


戦争は止まった。


昭和三十八年八月三日。


その休戦は、


事実上、崩壊した。


*


東京。


夕刊の輪転機が回る。


大きな見出しが、


次々と刷られていく。


『朝鮮半島 戦闘拡大』


『軍事境界線各地で交戦』


『国連軍、警戒態勢』


まだ。


新聞は、


「戦争」という言葉を慎重に避けていた。


だが。


海軍軍令部では、


既に新しい文書が作られ始めていた。


『朝鮮半島有事ニ伴フ海上警備計画』


その最初のページ。


日本海。


対馬海峡。


朝鮮海峡。


そして。


海上交通路。


地図の中央には、


一隻の艦隊が北上していた。


第一艦隊。


その中心にいるのは、


航空母艦隼鷹。


十年前。


朝鮮戦争によって、


再び海へ戻った空母。


そして今。


新しい朝鮮の戦火によって、


再び北へ向かっていた。

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