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海軍は再び翼を得る  作者: フジ
再建の海
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20/33

進水

昭和三十六年十月。


横須賀海軍工廠。


一年前には鋼材しかなかった場所に、


巨大な船があった。


艦首から艦尾まで伸びる船体。


高く組み上がった舷側。


その上には、まだ完成していない飛行甲板。


艦橋も途中だった。


レーダーもない。


航空機もない。


それでも。


もう誰が見ても、


その船が何であるかは分かった。


航空母艦だった。


*


高瀬誠一少佐は、


造船台の下から鳳翔を見上げていた。


「大きくなりましたね」


隣にいた技術士官が言った。


「図面ではもっと小さかったんだがな」


「寸法は同じですよ」


「分かってる」


高瀬は苦笑した。


紙の上の二百三十メートルと、


目の前にある二百三十メートルは違う。


春風を造ったときにも感じた。


だが、


今度はその比ではない。


見上げるほどの鋼鉄の壁が、


造船台を埋めている。


その側面には、


大きく艦名が記されていた。


鳳翔。


初代から受け継いだ名。


だが、


その姿に初代の面影はほとんどない。


時代が違う。


航空機が違う。


海軍が違う。


だから、


空母も違った。


*


進水式には、


政府関係者も出席していた。


海軍大臣。


国会議員。


造船所関係者。


海軍士官。


そして、


鳳翔に乗る予定の者たち。


まだ正式な乗員ではない。


だが既に、


新空母要員として教育を始めている者もいた。


彼らの多くは、


隼鷹で空母というものを覚えていた。


甲板作業。


航空管制。


整備。


通信。


古い空母で学んだ人間たちが、


新しい空母を待っている。


「まもなく進水します」


声が響いた。


高瀬は鳳翔を見上げた。


不思議な気分だった。


設計室で何度も消した線。


書き直した区画。


数字を削り、


数字を足した船。


それが今、


自分の頭上にある。


*


やがて。


鳳翔を造船台につなぎ止めていたものが解かれた。


一瞬。


何も起こらなかった。


そして。


巨大な船体が、


ゆっくりと動き始めた。


「動いた」


誰かが呟いた。


鳳翔は、


少しずつ速度を増していく。


鋼鉄の船体が、


造船台を離れる。


歓声が上がった。


高瀬は何も言わなかった。


ただ、


見ていた。


一年以上。


図面を引いた。


計算した。


造り直した。


そして今。


鳳翔が、


初めて海へ入る。


巨大な船体が水面へ滑り込む。


水が盛り上がった。


船体が揺れる。


やがて。


鳳翔は止まった。


浮いていた。


自分の力で。


航空母艦鳳翔は、


初めて海に浮かんだ。


*


「進水成功」


その言葉が伝わると、


造船所の空気が緩んだ。


握手する者。


笑う者。


鳳翔を背景に写真を撮る者。


高瀬のところにも、


何人かがやってきた。


「おめでとうございます」


そう言われるたびに、


高瀬は同じことを答えた。


「まだ完成してませんよ」


事実だった。


進水した鳳翔には、


まだ多くのものがない。


航空設備。


電子装備。


艦内設備。


そして、


海軍が新空母の中核と考えているCIC。


ここから艤装が始まる。


海に浮かべる船を造る段階から、


戦力として使える船を造る段階へ。


むしろ、


鳳翔にとって本当に難しい仕事はこれからだった。


*


数日後。


鳳翔は艤装岸壁にいた。


造船台から見たときとは、


また違って見えた。


高瀬は仮設の足場を通り、


艦内へ入る。


通路には、


まだ配線が露出している。


作業員が行き交う。


壁のない区画もある。


階段を上る。


やがて、


飛行甲板へ出た。


風が吹いていた。


まだ完成していない、


巨大な甲板。


高瀬は艦尾側を見る。


斜めに伸びる着艦区域。


隼鷹にはなかったものだ。


その先には、


横須賀の海が広がっている。


「広いですね」


若い技術士官が言った。


高瀬は首を振った。


「航空隊に渡したら、すぐ狭いと言い出す」


「そんなものですか」


「隼鷹で散々聞いた」


二人は笑った。


だが。


高瀬には分かっていた。


この甲板を、


本当に航空母艦の飛行甲板にするのは、


設計者ではない。


ここで働く人間だ。


航空機を動かす者。


整備する者。


発着艦を指揮する者。


艦を操る者。


情報を整理する者。


鳳翔という船を造るのは、


もう造船所だけの仕事ではなかった。


*


十一月。


横須賀沖。


隼鷹は、


新空母要員を乗せて訓練を続けていた。


発艦。


収容。


整備。


再び発艦。


同じ作業を、


何度も繰り返す。


相沢慎一大尉は、


飛行甲板脇から作業を見ていた。


若い士官が隣に立つ。


「鳳翔を見てきました」


「どうだった」


「大きかったです」


相沢は笑った。


「それだけか」


「新しかったです」


「当たり前だ」


「……羨ましいです」


相沢は少し黙った。


甲板を見る。


古い。


何度も補修されている。


設備も、


その多くが後から追加されたものだ。


だが。


この甲板で覚えたものが、


次の空母へ行く。


「新しい艦だから楽になると思うなよ」


「違うんですか」


「新しい艦には、新しい失敗がある」


若い士官が困った顔をする。


「嫌なこと言いますね」


「隼鷹には隼鷹の失敗があった」


相沢は続ける。


「鳳翔には鳳翔の失敗がある。それを見つけるのがお前たちの仕事だ」


「大尉は乗らないんですか」


相沢は答えなかった。


まだ、


人事は決まっていない。


鳳翔へ行く者。


隼鷹へ残る者。


陸上航空隊へ移る者。


新しい空母が一隻できれば、


海軍の人間も動く。


それもまた、


新しい時代が始まるということだった。


*


十二月。


東京。


海軍軍令部に、


一冊の報告書が回覧された。


表紙には、


簡単な題名だけが書かれていた。


『朝鮮半島情勢について』


内容は、


まだ緊急を要するものではなかった。


軍の配置。


国境周辺の動き。


北朝鮮と周辺国との関係。


韓国国内の政治情勢。


どれも、


それだけなら決定的なものではない。


報告を読んだ士官が、


隣の者へ尋ねた。


「何か起きると思うか」


「朝鮮で?」


「ああ」


男は少し考えた。


「分からん」


報告書を閉じる。


「だから見ている」


それだけだった。


警報は出なかった。


艦隊にも、


特別な命令は下らなかった。


横須賀では、


鳳翔の艤装が続いている。


隼鷹は訓練を続けている。


春風型は、


いつものように海へ出る。


海軍の日常は、


何も変わらなかった。


まだ。


誰も、


急いでいなかった。


鳳翔の完成予定までは、


まだ時間がある。


そう考えられていた。


昭和三十六年の冬。


航空母艦鳳翔は、


初めて海に浮かんだ。


そしてその海の向こうでは。


別の何かが、


静かに動き始めていた。

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