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海軍は再び翼を得る  作者: フジ
再建の海
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19/33

鳳翔

昭和三十四年九月。


東京、海軍省。


新造航空母艦の建造承認から、二か月余りが過ぎていた。


設計室では、相変わらず図面が書き直されていた。


配管。


電路。


格納庫。


機関室。


航空管制室。


基本設計が完成したからといって、仕事が終わるわけではない。


むしろ。


造ることが決まってからの方が、図面は増えた。


その日も高瀬誠一少佐は、機関区画の図面を睨んでいた。


「少佐」


若い技術士官が入ってくる。


「今度は何だ」


「艦名が決まったそうです」


高瀬の鉛筆が止まった。


「もう?」


「海軍大臣決裁が下りました」


一枚の書類が机へ置かれる。


高瀬は手を伸ばした。


新造航空母艦。


命名。


その下に、二文字。


『鳳翔』


高瀬はしばらく黙っていた。


「……鳳翔か」


知っている名前だった。


知らない海軍士官の方が少ない。


日本海軍が、


まだ航空母艦という軍艦そのものを学んでいた時代。


小さな船体に飛行甲板を載せ、


航空機を海の上から飛ばす方法を一つずつ覚えていった艦。


初代、鳳翔。


「ずいぶん古い名前を持ってきましたね」


若い士官が言った。


「だからだろう」


高瀬は答えた。


書類をもう一度見る。


「最初から始めるには、悪くない」


*


命名について、


海軍内部でも意見は割れていた。


新しい名前を与えるべきだという者。


かつての大型空母の名前を継ぐべきだという者。


だが最終的に選ばれたのは、


鳳翔だった。


新しい艦は、


初代鳳翔とは何もかも違う。


初代よりはるかに大きい。


速い。


搭載する航空機も違う。


レーダーがある。


CICがある。


斜めに伸びた着艦区域がある。


同じなのは、


航空母艦として最初から造られること。


そして。


海軍が、


そこから何かを学ぼうとしていることだった。


海軍省が示した命名理由は、


短かった。


『本邦海軍航空再建ノ新時代ヲ拓ク艦タルニ鑑ミ、旧航空母艦鳳翔ノ艦名ヲ継承ス』


伝統を継ぐ。


だが、


同じ海軍を造り直すのではない。


それが二代目鳳翔に与えられた意味だった。


*


昭和三十五年二月。


横須賀。


航空母艦隼鷹の艦長室にも、


新造艦の資料が届いた。


黒木中佐は書類を読んでいた。


向かいには相沢慎一大尉がいる。


「鳳翔ですか」


相沢が言った。


「ああ」


「てっきり翔鶴か何かになると思っていました」


「大きさなら、そっちの方が似合うかもしれんな」


黒木は書類を閉じた。


「だが、これは大きさの話じゃないらしい」


窓の外には、


隼鷹の飛行甲板が見える。


昭和二十八年から七年。


古い空母は、


まだ働いていた。


だが。


その七年間に、


海軍は多くのことを覚えた。


航空隊と艦艇の情報共有。


対潜戦。


航空管制。


整備。


補給。


そして、


空母を維持するということ。


「あと何年ですかね」


相沢が言った。


黒木は答えなかった。


「鳳翔が来るまでです」


「さあな」


「二年?」


「無理だろう」


「三年」


「造船所に聞け」


相沢は笑った。


黒木は、


飛行甲板を見たままだった。


「ただ」


「はい」


「完成したからって、すぐ隼鷹が要らなくなるわけじゃない」


相沢が黒木を見る。


「艦が完成しても、人間は完成しない」


新しい空母を動かす。


新しい航空機を扱う。


新しい装備を使う。


そのための人間を、


これから育てなければならない。


そしてその教室になるのも、


結局は隼鷹だった。


*


昭和三十五年五月十二日。


横須賀海軍工廠。


造船台の周囲に、


海軍と造船所の関係者が集まっていた。


派手な式典ではなかった。


軍楽隊も小さい。


政府から出席した者も、


必要最低限だった。


だが。


その日、


造船台に置かれるものの意味を知らない者はいなかった。


航空母艦鳳翔。


戦後日本が、


初めて一から建造する航空母艦。


高瀬は造船台を見上げた。


まだ、


空母には見えない。


飛行甲板もない。


艦橋もない。


巨大な船体もない。


あるのは、


これから組み上げられる鋼鉄だけだった。


「少佐」


隣にいた技術士官が言った。


「ようやくですね」


高瀬は首を振る。


「ようやく始まるんだ」


起工。


図面の上にしか存在しなかった軍艦が、


現実の鋼鉄になる瞬間だった。


*


式典が終わったあとも、


高瀬は造船台に残っていた。


作業員たちが動き始めている。


設計室で何百回も見た線。


その線が、


これから一つずつ形になる。


全長、二百三十メートル余り。


基準排水量、約二万六千トン。


計画速力、三十ノット。


搭載機、三十五機を基準。


それだけ見れば、


ただの数字だった。


だが。


その数字を決めるまでに、


何隻もの艦があった。


響で試した装備。


雪風から学んだ艦隊運用。


春風で覚えた、


新しい軍艦の造り方。


そして。


隼鷹で積み重ねた、


七年間の航空母艦運用。


鳳翔は、


何もないところから生まれたわけではない。


戦争を生き残った艦から、


新しく造られた艦まで。


そのすべての経験が、


この造船台へ集まっていた。


高瀬は、


建造中の船体を見つめる。


「鳳翔か」


小さく呟いた。


初代は、


日本海軍が航空母艦というものを学び始めた艦だった。


二代目もまた、


そうなるのかもしれない。


ただし今度は。


戦争に勝つ方法だけを学ぶ海軍ではない。


戦争を起こさないために、


何を持ち、


どう使い、


どこで止まるべきなのか。


それも学ばなければならない海軍だった。


*


同じ日の夕方。


横須賀沖を、


一隻の航空母艦が進んでいた。


隼鷹。


飛行甲板では、


航空機が次の訓練に備えて並んでいる。


相沢は艦橋脇から、


遠ざかっていく横須賀を見ていた。


あの港で、


次の空母が造られ始めている。


まだ甲板すらない。


まだ航空機もない。


まだ乗員もいない。


それでも、


名前だけはある。


鳳翔。


「随分立派な後輩ができるらしいな」


黒木の声がした。


相沢は振り返る。


「隼鷹より速いそうですよ」


「新造艦だからな」


「飛行甲板も広い」


「ああ」


「CICも新しい」


「ああ」


「何か腹立ってきましたね」


黒木が笑った。


「だったら負けないように働け」


「老艦に無茶を言いますね」


「まだ老艦扱いするな。本人が聞いてるぞ」


二人の下で、


隼鷹の船体がわずかに震えていた。


機関は、


今日も動いている。


古い空母は、


まだ海を走っていた。


そして港では。


新しい空母が、


最初の一歩を踏み出していた。


昭和三十五年五月十二日。


航空母艦鳳翔、起工。


初代鳳翔から受け継いだ名が、


再び日本の造船台に刻まれた。

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