形になる
昭和三十四年三月。
東京、海軍省艦政本部。
設計室の壁に、一枚の図面が広げられていた。
全長、二百三十メートル余り。
基準排水量、二万六千トン前後。
速力、三十ノット。
搭載機、三十五機を基準。
右舷に寄せられた艦橋。
そこから後方へ伸びる煙突。
そして船体のほとんどを覆う、巨大な飛行甲板。
その後部は、
船体中心線から左へ傾いていた。
高瀬誠一少佐は、少し離れたところから図面を眺めていた。
次期航空母艦。
第一次基本設計。
前年には、
まだ何もなかった。
隼鷹の乗員たちから話を聞き、
航空隊から要求を集め、
何度も線を引き直した。
そしてようやく。
戦後日本が造ろうとしている航空母艦が、
一隻の軍艦として姿を現した。
*
「三十五機か」
航空関係の士官が図面を見る。
「少なくないですか」
高瀬は答えた。
「何機欲しいんです」
「できれば四十以上」
「載せるだけならできます」
高瀬は飛行甲板を指した。
「ただし、使えるとは限りません」
格納庫へ入れる。
整備する。
甲板へ上げる。
移動させる。
発艦させる。
帰ってきた機体を受け入れる。
隼鷹で何度も見てきた。
航空母艦の能力は、
飛行機を何機詰め込めるかだけでは決まらない。
「三十五機を確実に使える艦にします」
「余裕は?」
「残します」
高瀬は即答した。
「将来、航空機はもっと大きくなるでしょう。電子装備も増える。最初から限界まで詰め込むつもりはありません」
それは春風でも重視したことだった。
完成した瞬間だけ、
最良の軍艦。
そんなものを造っても仕方がない。
十年後にも使える。
二十年後にも改修できる。
そのための余裕だった。
*
図面の中央には、
大きな格納庫が置かれている。
その上下を結ぶ昇降機。
艦橋内部には、
隼鷹よりはるかに大きな航空管制区画。
さらに船体内部には、
艦隊から集まる情報を扱うCIC。
隼鷹で後から付け足したものを、
この艦では最初から入れる。
「ずいぶん通信設備が多いな」
軍令部の士官が言った。
「空母だからです」
高瀬は答えた。
「航空機を飛ばすだけではありません」
春風型。
海防艦。
航空隊。
哨戒機。
それぞれが見つけたものを、
艦隊全体へ伝える。
そして艦隊全体が、
同じ海を見る。
その中心に空母を置く。
「飛行甲板だけ大きな船では困ります」
高瀬は言った。
「こいつは艦隊の一部です」
*
一つだけ、
最後まで意見が割れたものがあった。
速力だった。
二十八ノット。
三十ノット。
三十二ノット。
速くすれば、
機関は大きくなる。
船体も重くなる。
費用も増える。
「二十八で十分ではないか」
そう主張する者もいた。
高瀬は黙っていた。
代わりに、
第一艦隊の士官が答えた。
「春風型について来いと言っておいて、空母が置いていかれるわけにはいかんでしょう」
結局。
計画速力は三十ノット。
世界最速の空母ではない。
最大の空母でもない。
最も多く航空機を載せる空母でもない。
だが。
日本の艦隊と行動できる。
日本の造船所で建造できる。
日本の海軍が維持できる。
そして、
日本周辺の海で必要な航空戦力を運用できる。
それが答えだった。
*
五月。
海軍省の会議室。
机の上に、
新型航空母艦の模型が置かれていた。
長い飛行甲板。
右舷の艦橋。
斜めに伸びる着艦区域。
隼鷹とは、
まるで違う姿だった。
政府側の委員が模型を見る。
「これが隼鷹の代わりか」
「はい」
海軍側の説明者が答える。
「ずいぶん大きくなったな」
「隼鷹が造られた時代とは、航空機が違います」
「値段も違う」
「それも事実です」
資料がめくられる。
空母そのものの建造費。
航空隊。
整備施設。
乗員。
維持費。
決して安くない。
「駆逐艦なら何隻造れる?」
質問が飛ぶ。
海軍側の士官は少し間を置いた。
「複数隻です」
「なら駆逐艦を増やした方がいいのではないか」
もっともな疑問だった。
対潜戦だけを見るなら、
駆逐艦を増やすという選択肢もある。
だが。
「駆逐艦は航空機を運べません」
海軍側の説明者が答えた。
「陸上基地から遠い海域へ、継続して航空戦力を置くこともできません」
日本が守る海は、
沿岸だけではない。
海上交通路がある。
対馬海峡がある。
日本海がある。
北方海域がある。
艦隊とともに移動できる航空基地。
それが必要だった。
*
六月二十七日。
高瀬は設計室にいた。
机には、
まだ修正途中の図面が広がっている。
扉が開いた。
「高瀬少佐」
「はい」
一枚の書類が差し出された。
高瀬は受け取る。
『昭和三十五年度海軍艦艇建造計画』
ページをめくる。
駆逐艦。
海防艦。
補助艦艇。
そして。
『航空母艦 一隻』
その横に、
印があった。
承認。
高瀬はしばらく動かなかった。
「……通ったんですか」
「ああ」
「本当に?」
「何度聞いても変わらん」
高瀬はもう一度読む。
航空母艦、一隻。
たったそれだけの文字だった。
だが。
その一行のために、
一年以上かかった。
「これで造れる」
誰かが言った。
高瀬は首を振った。
「違います」
図面を見る。
「これで、造らなきゃならなくなった」
笑い声が起きた。
だが高瀬は、
半分しか笑っていなかった。
春風とは規模が違う。
必要な鋼材も、
機関も、
人員も、
金も違う。
失敗したときの影響も違う。
それでも。
もう引き返す段階ではなかった。
*
その日の夕方。
高瀬は一人、
設計室に残った。
壁には、
新しい空母の側面図。
机には、
飛行甲板の配置図。
そして隅には、
小さな模型。
一年半前には、
何もなかった。
今は違う。
排水量がある。
速力がある。
飛行甲板がある。
格納庫がある。
そして。
建造するという、
国家の決定がある。
残っている大きな空欄は、
一つだけだった。
高瀬は図面の右下を見る。
『艦名』
そこだけが、
まだ白い。
戦後日本最初の国産航空母艦。
その艦が、
何という名前で海へ出るのか。
それを決めるのは、
高瀬の仕事ではなかった。
数日後。
海軍省から、
新造航空母艦の命名候補を選定せよとの指示が出された。
古い海軍の名を継ぐのか。
新しい名を与えるのか。
いくつもの候補が挙げられた。
その中に。
かつて日本海軍航空の始まりを支えた、
一隻の航空母艦の名があった。
昭和三十四年夏。
新しい空母は、
形を得た。
次に与えられるものは、
名前だった。




