次の飛行甲板
昭和三十三年六月。
太平洋。
軽航空母艦「隼鷹」は、朝から航空作業を続けていた。
飛行甲板を整備員たちが走る。
機体が移動され、
次の発艦準備が始まる。
艦橋では時計が進んでいく。
第一〇一海軍航空隊にとって、
珍しい光景ではなかった。
隼鷹は五年間、
何度も同じことを繰り返してきた。
航空機を飛ばし、
戻し、
整備し、
また飛ばす。
それが空母の仕事だった。
だが。
「予定より七分遅れています」
相沢慎一大尉は時計を見た。
「分かってる」
航空管制を担当する士官が答える。
飛行甲板では、着艦した機体の移動が続いている。
一機を格納庫へ降ろす。
別の機体を甲板へ出す。
給油。
整備。
そして次の発艦。
どこか一つが遅れると、
すべてが遅れる。
「昔より機体が大きくなったからな」
黒木中佐が言った。
相沢は飛行甲板を見る。
隼鷹が小さくなったわけではない。
航空機が変わったのだ。
戦争中の航空機を扱うために造られた飛行甲板。
戦争中の航空機を収めるために造られた格納庫。
そこへ、
戦後の航空機を載せている。
使えないわけではない。
だが、
余裕がない。
「次、上げます!」
甲板から報告が来る。
航空作業が再開された。
相沢は何も言わず、それを見ていた。
*
午後。
今度は対潜訓練が始まった。
駆逐艦から潜水艦役の位置情報が送られる。
隼鷹のCICが受け取る。
航空隊へ伝える。
航空機が発艦する。
数年前なら、
それだけでも大仕事だった。
今は違う。
春風型がいる。
新しい通信設備がある。
艦と航空機が同じ情報を共有するための手順も整備されつつある。
艦隊は確実に進歩していた。
だからこそ、
隼鷹の古さが目立つ。
艦隊の中で、
空母だけが取り残され始めていた。
*
訓練終了後。
相沢は艦長室へ呼ばれた。
机の上に一冊の資料が置かれている。
『次期航空母艦基礎研究』
相沢は表紙を見る。
「これ、私が見てもいいんですか」
「意見を聞きたいそうだ」
「誰が?」
「艦政本部」
相沢は嫌な顔をした。
「高瀬少佐ですか」
「よく分かったな」
「こういう面倒なものを送ってくる人間は、だいたい決まっています」
資料を開く。
そこにはまだ、
完成した空母の図面はなかった。
代わりに質問が並んでいた。
必要な搭載機数。
必要な発着艦能力。
格納庫の広さ。
航空機の整備能力。
航空管制。
CIC。
艦隊との通信。
そして最後に。
『隼鷹運用上、最も改善を要する点』
相沢は、その一文で手を止めた。
*
三日後。
横須賀へ帰港した隼鷹に、
高瀬誠一少佐が乗り込んできた。
「久しぶりですね」
相沢が言った。
「そうでもないだろう」
「駆逐艦が完成してから全然来なかったじゃないですか」
「空母は専門外なんだ」
相沢が持っていた資料を差し出した。
「それで、今度は空母を造るんですか」
高瀬は受け取る。
「まだ造るとは決まってない」
二人は飛行甲板へ出た。
目の前には、
隼鷹の長い甲板が伸びている。
「どうだ」
高瀬が尋ねた。
「何がです」
「次の空母だ」
相沢は少し考えた。
「もっと大きくしてください」
高瀬が顔をしかめる。
「一番困る回答だな」
「冗談です」
二人は歩き始めた。
相沢は前部甲板を指した。
「問題は、単純な広さだけじゃありません」
機体をどこへ置くか。
どう動かすか。
どう整備するか。
着艦する機体と、
発艦する機体をどう扱うか。
航空機が変われば、
必要な場所も変わる。
「隼鷹では、飛行甲板を空けるために機体を動かします」
相沢が言う。
「次の空母では、機体を動かすことまで考えて飛行甲板を造ってください」
高瀬は手帳へ書いた。
二人は格納庫へ降りる。
「ここもです」
整備員が機体の横で作業している。
部品。
工具。
燃料。
人。
格納庫は航空機を置くだけの場所ではない。
航空隊が働く場所だった。
「飛行機の数だけ決めても意味がありません」
相沢は言った。
「三十機積める艦と、三十機を使える艦は違います」
高瀬の鉛筆が止まった。
「それは使えるな」
「何がです」
「今の言葉」
相沢は少し嫌そうな顔をした。
「報告書に私の名前は書かないでくださいよ」
*
最後にCICへ入った。
春風型の建造後、
隼鷹の情報設備も改良されている。
それでも、
後から追加した設備には限界があった。
配線。
電力。
人員。
新しい装置を一つ増やすたびに、
どこかへ無理が出る。
高瀬は天井を見る。
「春風でも同じだった」
「だから余裕を残したんでしょう」
「ああ」
高瀬は周囲を見る。
「空母なら、もっと必要になる」
今日必要な装置だけではない。
五年後。
十年後。
まだ存在しない装置を載せる場所まで考える。
それが新造艦だった。
*
夕方。
高瀬は隼鷹を降りた。
岸壁から振り返る。
戦争を生き残った航空母艦。
古い。
だが、
役に立たないわけではない。
むしろ逆だった。
隼鷹が今も働いているからこそ、
次に何が必要なのかが分かる。
高瀬は海軍省へ戻ると、
設計室の机に資料を広げた。
相沢たちから集めた意見。
機関科。
航空整備員。
甲板作業員。
通信員。
航空管制員。
空母を使っている人間たちの言葉だった。
その中央に、
高瀬は一枚の白紙を置いた。
そして書く。
『次期航空母艦 第一次要求案』
その下に、
三つの項目を並べた。
『航空機を載せる艦ではなく、航空機を運用する艦であること』
『艦隊の情報中枢として行動できること』
『将来の航空機及び電子装備の更新に対応できること』
高瀬は鉛筆を置いた。
排水量は、
まだ決まっていない。
速力も、
搭載機数も、
艦名もない。
だが。
どんな空母を造るべきなのか。
その輪郭だけは、
ようやく見え始めていた。
昭和三十三年夏。
隼鷹の飛行甲板から、
次の飛行甲板の設計が始まった。




