老いた空母
昭和三十三年二月。
横須賀。
軽航空母艦「隼鷹」は、冷たい雨の中に停泊していた。
大きな船だった。
岸壁に並ぶ春風型駆逐艦と比べれば、その飛行甲板は今も圧倒的な存在感を持っている。
昭和二十八年の再就役から、五年。
隼鷹は働き続けた。
対潜哨戒。
艦隊演習。
航空隊の訓練。
船団護衛訓練。
第一〇一海軍航空隊とともに、戦後の帝国海軍が空母航空隊の運用を一から学び直す場所となった。
だが。
艦そのものが若返ったわけではない。
「またですか」
機関科士官の報告を聞き、相沢慎一大尉は眉をひそめた。
「まただ」
黒木中佐は短く答えた。
機関系統の不調。
航行不能になるほどではない。
修理もできる。
問題は、そういう報告が増えていることだった。
相沢は艦橋から飛行甲板を見る。
雨の中を整備員たちが歩いている。
「まだ動きますよ」
相沢が言った。
「動くな」
「航空機も飛ばせます」
「飛ばせるな」
「だったら――」
黒木が相沢を見る。
「慎一」
その呼び方をされて、相沢は口を閉じた。
「動くことと、使い続けられることは違う」
黒木は窓の外へ目を向けた。
「軍艦にも寿命がある」
*
その年。
海軍省では、隼鷹について三つの案が検討されていた。
第一案。
現状のまま維持し、昭和三十年代半ばまで運用する。
最も安い。
だが、航空機の大型化への対応には限界がある。
第二案。
大規模な近代化改装を行う。
飛行甲板を改め、航空設備を更新し、さらに長期間使用する。
しかし費用は大きい。
そして、どれだけ改装しても船体そのものは古い。
第三案。
新しい航空母艦を建造する。
会議室には沈黙が流れた。
「結局そこへ戻るのか」
軍令部の士官が資料を閉じる。
「五年前から同じ議論をしている」
艦政本部の担当者が答えた。
「五年前には造れませんでした」
「今なら造れると?」
「春風を造りました」
「駆逐艦と空母を一緒にするな」
「一緒にはしていません」
担当者は淡々と答える。
「だから研究が必要だと言っています」
*
机の上に外国海軍の資料が並べられた。
新しい航空母艦。
近代化された旧型空母。
斜めに設けられた着艦区域。
新しい航空管制設備。
戦争が終わってから十三年。
航空母艦という軍艦そのものが変わっていた。
隼鷹が生まれた時代とは違う。
航空機も違う。
飛行甲板も違う。
必要とされる設備も違う。
「隼鷹を同じように改造する案は?」
一人が尋ねた。
技術士官が首を振る。
「不可能とは申しません」
その言葉だけで、
答えはほとんど分かった。
「費用に見合わない?」
「それだけではありません」
資料がめくられる。
「改装して五年使える艦を造るのか」
さらに一枚。
「最初から二十年使える艦を造るのか」
会議室が静かになった。
それは技術だけの問題ではなかった。
予算。
造船所。
人員。
航空隊。
そして何より。
日本は、
再び航空母艦を造るのか。
その決断だった。
*
数日後。
高瀬誠一少佐は、海軍省へ呼び出された。
春風の設計を終えてから、高瀬は次期駆逐艦や艦艇用電子装備の研究に関わっていた。
渡された資料を開く。
そして固まった。
「……大きすぎませんか」
「まだ大きさすら決まっていない」
「そういう意味ではありません」
高瀬は資料を持ち上げた。
『次期航空母艦基礎設計班』
駆逐艦とは違う。
必要な人員も、
予算も、
造船設備も、
比較にならない。
「私は駆逐艦屋ですよ」
「春風を造る前は?」
高瀬は黙った。
「駆逐艦を一から造ったことがあったか?」
「ありません」
「なら同じだ」
「同じではありません」
即答だった。
だが命令書は消えなかった。
高瀬はもう一度読む。
次期航空母艦。
まだ艦名はない。
要求性能もない。
ただ、研究目的だけが記されている。
『隼鷹代艦として建造可能なる航空母艦の基礎研究』
高瀬は長く息を吐いた。
「また白紙ですか」
「そうだ」
春風のときもそうだった。
最初にあったのは、
何も描かれていない紙だった。
*
横須賀。
雨が上がっていた。
隼鷹の飛行甲板に、相沢は立っていた。
遠くに春風型駆逐艦が見える。
新しい艦だった。
その向こうには雪風がいる。
古い艦だった。
そして自分が立っている隼鷹も、
そちら側になろうとしている。
整備員たちは今日も働いている。
機関科も修理を続けている。
明日になれば、
隼鷹はまた海へ出る。
まだ退役するわけではない。
来年も働くだろう。
その次の年も、
おそらく。
だが。
この艦の次を考える者たちは、
もう動き始めている。
相沢は飛行甲板を歩いた。
何百回も歩いた場所だった。
戦後の帝国海軍は、
この甲板から航空機を飛ばすことで、
空母というものを思い出した。
ならば。
次の空母は、
隼鷹を真似るために造るのではない。
隼鷹が教えたものを、
必要としなくなるために造られる。
そのころ東京では。
高瀬誠一少佐が、
大きな白紙を前に座っていた。
駆逐艦のときとは違い、
すぐには鉛筆を持たなかった。
まず紙の一番上に、
一行だけ書いた。
『何のための航空母艦か』
そこから、
戦後日本最初の国産航空母艦計画が始まった。




