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海軍は再び翼を得る  作者: フジ
新しき艦
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13/33

初めて海へ

昭和三十年五月十四日。


長崎。


一年前、造船台の上にあったのは数枚の鋼板だった。


今、そこには一隻の軍艦がある。


駆逐艦「春風」。


まだ完成してはいない。


艦橋には未搭載の機器があり、兵装の一部も装備されていない。


艦内では無数の配管と電線がむき出しになっている。


それでも、その姿はもう誰が見ても駆逐艦だった。


高瀬誠一技術大尉は、造船台の下から春風を見上げていた。


「……大きく見えるな」


図面上では何千回と見ている。


全長も知っている。


幅も、排水量も知っている。


どこに何が置かれるかも覚えている。


それでも実物は違った。


「図面じゃ海に浮かびませんからね」


隣にいた造船所の技師が言った。


「浮かぶでしょうね」


高瀬が答える。


「そこを今さら心配するんですか」


「設計した人間だから心配するんです」


技師が笑った。


今日は春風の進水式だった。


式典は簡素だった。


海軍関係者。


造船所職員。


政府関係者。


そして少数の招待客。


戦前のように、軍艦の建造そのものを国威発揚の道具とする時代ではない。


それでも造船所の周囲には、多くの人が集まっていた。


戦後初の国産駆逐艦。


その言葉は、人々の関心を集めるには十分だった。


やがて式が進む。


艦名が正式に読み上げられた。


「駆逐艦、春風」


艦首に掲げられた文字が姿を現す。


春風。


高瀬はその名前を見上げた。


白紙だった。


名前すらなかった。


それが今、目の前にある。


進水の準備が整った。


支えが外される。


一瞬。


何も起きない。


そして。


巨大な船体が、ゆっくりと動き始めた。


「動いた……」


誰かが呟いた。


春風が造船台を滑っていく。


速度が増す。


船体が海面へ入った。


大きな水しぶき。


歓声が上がる。


春風は海へ浮かんだ。


高瀬は何も言わなかった。


昭和二十年。


日本の海軍は多くの艦を失った。


昭和二十八年。


一枚の白紙から、新しい駆逐艦の設計が始まった。


そして昭和三十年。


日本が戦後初めて自ら設計した駆逐艦が、海へ浮かんだ。


*


進水式が終わっても、春風は完成ではない。


むしろ、ここからが長い。


春風は艤装岸壁へ移された。


空だった船体へ、次々と装備が取り付けられていく。


主砲。


レーダー。


ソナー。


通信装置。


対潜兵装。


そして、CIC。


数週間後。


高瀬は艤装中の春風へ乗り込んだ。


艦内には溶接の音が響いている。


通路には資材が積まれ、作業員たちが忙しく行き交う。


高瀬は艦橋近くの一室へ入った。


CIC。


まだ完成していない。


機器もほとんど置かれていない。


だが高瀬には、完成後の姿が見えていた。


レーダーから情報が入る。


ソナーから情報が入る。


他の艦から通信が届く。


航空隊から位置情報が送られる。


それらを一か所へ集める。


響で行った試験では、各装置そのものは正常に働いていた。


問題は、その先だった。


探知。


報告。


記録。


伝達。


プロット。


一つ一つの小さな遅れが積み重なり、同じ潜水艦を追っているはずの艦と航空機が、別々の状況を見てしまう。


春風では、その経験を最初から設計へ取り入れた。


「狭いな」


高瀬が言った。


同行していた設計員が呆れた。


「大尉が決めた広さですよ」


「図面ではもっと広く見えた」


「図面には人間が立ってませんから」


高瀬は周囲を見る。


確かにそうだった。


機械だけを置けばいいわけではない。


人が情報を受け取り、判断し、別の人間へ伝える。


そのための場所だ。


「次はもう少し広くするか」


「もう次の話ですか」


「一番艦で分かったことは、二番艦で直す」


設計員が苦笑する。


「春風が聞いたら怒りますよ」


「まだ乗員もいない。聞いてないさ」


*


夕方。


高瀬が春風を降りると、造船所の技師が待っていた。


「大尉」


一冊の資料を渡される。


高瀬は表紙を見る。


『新型駆逐艦第二番艦 建造準備資料』


高瀬はため息をついた。


「春風もまだ完成してないんですが」


「海軍は待ってくれないらしいですよ」


資料を開く。


基本設計は春風と同じ。


しかし、すでにいくつもの変更要求が書き込まれていた。


通信設備の配置変更。


艦内電力系統の改良。


CIC区画の再検討。


整備性の改善。


「もう改良するのか」


「一番艦なんて、そんなものでしょう」


高瀬は海に浮かぶ春風を見る。


完成する前から、次の艦が始まっている。


一隻を造って終わりではない。


春風で学ぶ。


次の艦で直す。


そして、さらに次を造る。


戦争を生き残った艦を修理しながら使い続けてきた海軍が、


ようやく自分たちの艦を、


自分たちの経験で改良できるようになろうとしていた。


その日の夕方。


春風は艤装岸壁に静かに浮かんでいた。


まだ自力では走れない。


まだ任務にも就けない。


それでも。


白紙から始まった駆逐艦は、


初めて日本の海に浮かんでいた。

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