第99話:三国同盟
帝国の西に位置する『豊浦王国』。(第52話~)
三年以上前に帝国との戦争に敗北した彼らは、現在、実質的に帝国の完全な保護国と化していた。強固な軍港が整備され、そこには帝国海軍のみならず陸軍の部隊までもが常駐している。
本来ならばすぐに終わるはずの戦争だった。だが、霧宮の異世界人どもの介入によって戦火は長引き、最後は王族派の最大派閥であった「王宮聖騎士団」と有力貴族たちが霧宮王国へと亡命する形で、ようやく終戦を迎えたのだ。
今にして思えば、あの連軍海軍が仕掛けた亡命政府『自由比帆諸島』という不具合は、この豊浦王国で一度成功させた封じ技の「機能拡張版」に過ぎなかったのだろう。
帝都参謀本部、特別監察室。
窓の外を眺めれば、帝国はいつもと変わらぬ平穏な陽気に包まれていた。大通りでは定期馬車鉄道が時刻表の狂いもなく行き交い、行き交う人々の足取りも軽やかだ。
近年、空前の賑わいを見せる帝都の複合娯楽施設では、南方から届いた刺激的な香辛料をふんだんに使う食事処が、連日長蛇の列を作るほどの人気を博していた。
また、比帆諸島からの羊毛の輸入が本格化したことで、帝都の女性たちの間では手編みが新たな趣味として定着しつつあり、街のあちこちで色鮮やかな毛糸玉が顔をのぞかせている。
だが――そんな長閑な日常を切り裂くように、参謀本部から、およそ平和とは程遠い最悪の報告書が舞い込んできた。
――『西部三国同盟』。
美州共和国: 洗練された文化、気品ある騎士道精神の伝統、そして肥沃で美しい平原を持つ、西側の中心的な大国。
環山連邦: 青々とした美しい嶺に囲まれ、一見するとのどかな観光地でありながら、その緑の山々の内部をすべて要塞化して敵を待ち受ける「国境そのものが要塞」の国家。
平水共和国: 標高が低く、海や大河に面した屈指の商業国。他国に挟まれ侵略ルートになりやすい弱点を持つが、高度な土木技術による運河や水門を、そのまま敵を押し流す絶対的な防衛システムへと組み込んでいる国家。
西側を代表するこれら三つの国が、突如として強固な軍事同盟を締結したのだ。これは単なる相互防衛の約束などではない。彼らはこの包囲網により、帝国の支配下にある『豊浦王国』を、西側諸国から完全に孤立化させて切り離したのである。
もちろん、この電撃的な大同盟の影には、あの霧宮の異世界人がいる――。書類に目を落とすまでもなく、参謀本部はそう結論付けていた。
「少尉。『西部三国同盟』は、ただの軍事同盟ではありませんよ」
「ええ、中尉。帝国を西側諸国の市場から完全に締め出す――経済的な宣戦布告です」
同盟諸国は、互いの国内産業を保護するという名目のもと、同盟国内での関税を極限まで引き下げる一方で、帝国からの輸入品に対してのみ、法外な高関税を課すことを一斉に発表したのだ。
霧宮の目的は完全に透けて見えている。帝国に依存しない、帝国を徹底的に排除した独自の経済圏(世界)を作ろうとしているのだ。
――ブロック経済。
資源も国力も乏しい西側の「持たざる国々」は、この巨大な『西部三国同盟』に逆らうことなど到底不可能だった。そして霧宮は、この排他的な囲い込みが原因で、いずれ紛争や戦争へと発展することすら最初から織り込み済み(想定内)なのだ。
帝国が介入せざるを得ない戦争が世界中で泥沼化すればするほど、帝国の兵站と国力は底を突き、削られ続ける。
「少尉。この経済戦争を解決する方法は、ありますか」
「中尉。ありません」
中尉はこちらの様子を深く感心したようにじっと見定めている。
正確に言えば、解決のための『机上の空論』ならある。
三国同盟が直通の輸入量を操作してくるのなら、同盟に加わっていない第三国を経由させた「迂回貿易」を行えばよいのだ。だが、霧宮の異世界人は即座に手を打ってくるに違いない。
厳格な『原産地規則』を導入し、どれほど第三国を迂回して届いた荷物であろうとも、その中身が帝国産であればすべて帝国産とみなして法外な高関税をかけるはずだ。
「中尉。霧宮の真の強さは、一度作戦が失敗しても、すぐさま別の最適解へ切り替えてくる柔軟性と速度にあります」
比帆諸島では、現地の海軍を利用して帝国を泥沼の消耗戦へ引き込もうとした。それが陸軍の武力蜂起という例外処理で失敗に終わるや否や、今度はその海軍の残党を取りまとめて亡命政府を作った。
そして今回、帝国が南方の貿易ルートを強化(第98話)したことを察知するや、今度は西側諸国を網の目のように縛る強固な経済同盟を電撃的に立ち上げてみせた。
対応が早すぎるのだ。奴らは、自らの計画が崩れるあらゆる結果を最初から想定して動いている可能性が極めて高い。
帝国と霧宮。お互いが元の世界の凄惨な大戦の歴史を知っているからこそ、互いに一歩も譲ることなく、常に冷徹な最適解を選択して行動し続けている。
──果たして、真の正義はどちらの手にあるのだろうか。
帝国が進める、経済とインフラの『依存による平穏』か。それとも、霧宮が仕掛ける、局地的な泥沼戦の『相殺による均衡』か。世界の命運を懸けたその天秤の先にあるものが、確かな平和なのか、それとも、より凄惨な「破壊の先延ばし」に過ぎないのか、俺には分からない。
「中尉。世界大戦はまだ始まっていません。ですが、経済戦争はもう始まっています。そして、我々は今のところ負けています」
窓の外では、帝都の民衆が香辛料料理を楽しみ、羊毛を編み、平穏な日常を過ごしている。だが、その平穏を支える経済そのものが、今まさに世界規模の戦場へと変わろうとしていた。
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