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覇権国家計画  作者: 納豆
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第92話:境界線戦争 その六



「少尉。誤射“事故”により死亡者が出てしまいました」


「中尉。比帆諸島両国が帝国の領土で帝国民の血を流した“事件”です」


俺は、事務的な口調で中尉の言葉を訂正した。



帝都参謀本部、特別監察室。

中尉は、刷り上がったばかりの版画新聞を綴じ、静かに机の上に置いた。窓の外では、民衆の悲しみを表したかのように、暗く冷たい雨が降り続いている。



――【帝国政府・緊急声明】


我が帝国領内において発生した砲撃事案につき、政府はこれを「我が帝国民の生命と財産を脅かす重大な事態」と断定する。


帝国は、いかなる理由であれ、中立を宣言した我が領土への武力行使を断じて容認しない。



また、本件に関し、『比帆諸島連邦ひほしょとうれんぽう』および『比帆諸島共和国』の両政府に対し、速やかな事実関係の開示と、帝国民に対する誠意ある謝罪および相応の補償を求める。


我が国民の安全を守るために必要なあらゆる措置を講じる所存である。



以上、帝国政府は本事案を「重大事件」として正式に認定し、帝国民諸君に対し、冷静なる行動と、帝国の威信を守るための団結を求めるものである。


――帝国政府の声明が発表された瞬間、世界は“誤射事故”という言葉を捨て去った。



版画新聞の見出しは一斉に「重大事件」と書き換えられ、各国の外交官たちは、帝国の怒りを前に沈黙するしかなかった。


すでに『比帆諸島共和国』が素早く賠償を受け入れたという事実は、彼らが「誠実な弱者」であるという物語を補強し、引き金を引いたもう一方の当事者である『比帆諸島連邦』の立場をさらに破滅的なまでへと追い詰めていく。



泥に塗れた菓子を手に、帝国の子どもが泣き崩れるあの挿絵は、帝国の圧倒的な被害者性を世界中に焼き付けた。今や、誰もが「帝国こそが正しい」と信じ込むようになっていた。



「少尉。海軍司令部より、比帆諸島の灯台部品交換作業を再開するとの通達です」


「中尉。灯台は海路の安全確保のために急務ですからね。早く終わると良いですね」



あの誤射事件が発生した夜、海軍は比帆諸島に存在するすべての灯台に対して、緊急の部品交換作業を同時多発的に行っていた。使用されている歯車に、製造過程における致命的な欠陥が発見されたためだ。


もちろん帝国海軍は、灯台が一時的に停止する旨をすべての関係各所へ事前に通達していた。


ただ、その通達が深夜の緊急連絡であったため、洋上を航行中だった両軍の軍艦までには正確に伝わっていなかったのだ。

――すべては、連絡を看過した両軍の重大な過失と言えた。



そして、不具合のあった歯車を新しいものへ交換したことにより、光の回転周期が以前とわずかに変わってしまったこと。さらには、帝国領の島にある灯台が、あの日数時間だけ完全に消灯していたこと。


それらはすべて「緊急保守に伴う些細な不具合」でしかなく、すでに稼働が正常に戻っている以上、公的な作戦記録には一切残らないだろう。



「少尉。『比帆諸島共和国』は賠償金を支払う余裕など、どこにもありませんよ」


「中尉。賠償は、金貨でなくても良いのです」



ただでさえ狭い領土を持つ『比帆諸島共和国』は、これ以上の領土を賠償金代わりに割譲することなど到底できない。帝国もその事情は百も承知だ。


だからこそ、現実的な妥協案として、帝国の民間企業が共和国内の土地を直接保有することを可能にする「法改正」を要求しているのだ。


決して強引な国盗りではない。帝国の民間企業が未来への投資のために、共和国内に工場を建て、商会の支店を置くだけだ。



それにより、現地では新たな雇用や消費が生まれ、さらなる経済発展へと繋がる。結果として、共和国は以前よりも遥かに豊かになるはずなのだ。



帝国が提示した“民間企業による土地保有”という極めて人道的な妥協案は、国際社会にとっても、主権を失いかけた弱小国家が生き延びるための現実的な選択肢として、ごく自然に受け入れられた。



版画新聞の論説は、こぞってこのように書き立てている。

――「共和国は、帝国の資本と投資を素直に受け入れることで、より安定的で繁栄に満ちた未来を手に入れるだろう」


国際世論は、経済的に窒息しかけている共和国が拒否できない事情を察しつつも、帝国のこの提案を「現実的で、かつ極めて穏当な温情」であると高く評価した。



だが、その狂おしいほど綺麗な正義の裏側で、静かに囁かれる怯えの声もあった。


旧体制である『比帆諸島連邦』の世論は、その巧妙すぎる手口に戦慄している。――「これは投資などという綺麗なものではない。

共和国の未来と経済を、帝国が合法的につかみ取るための布石だ。次は、我が連邦が内側から飲み込まれる番だ」



比帆諸島連邦は、ついに限界を迎えていた。


連邦の街角では、帝国の版画新聞を破り捨てる者、共和国政府を裏切り者と罵る者、そして帝国の“温情”をそのまま侵略への恐怖として受け取る者が入り乱れ、怒号と不安が渦巻いていた。


――「共和国は帝国に屈した!」

――「次は我が連邦が飲み込まれるぞ!」

――「政府は国民を守る気が無いのか!」

――「海賊退治の英雄、連邦海軍だけが希望だ!」

――「帝国の影は、すでに我々の喉元にまで迫っている!」



その混乱の中で、最も早く動いたのは連邦海軍だった。彼らは「帝国の経済侵略から祖国を守る」という大義名分を掲げ、首都の政府庁舎をわずか数時間で完全制圧した。



こうして、比帆諸島連邦海軍による武力蜂起は、ほとんど血を流すこともなく電撃的に成功を収めた。


臨時政府は即座に樹立され、連邦国内の新聞社や版画工房、街頭の演説者たちは、新たなる政権の旗の下に一斉に動き出す。



そして翌朝、連邦全土へと配られた版画新聞の紙面は、帝国と共和国に対する“宣戦布告にも等しい過激な言葉”によって、埋め尽くされていた。



読んでくださり、ありがとうございました。

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