第91話:境界線戦争 その五
「少尉。海軍司令部から共和国海域にて、海賊のヨットを撃沈したとの連絡が入りました。これで四度目となります。……しかし、連邦の背後にいると思われる異世界人の行方は、いまだ不明のままですね」
「中尉。もうそこには居ないのかもしれませんよ」
帝都参謀本部、特別監察室。
中尉は、作戦を次の工程へ進めるようにただ結果だけを伝える冷徹な目を向けながらも、その口元だけは楽しげににこにこと笑っていた。
俺がそう推測したのには、明確な理由があった。
もし異世界人が本当に『比帆諸島連邦』の軍事に深く関わっているのなら、あの優れた現代知識のヨットはとっくに国家規模で量産化されているはずだ。
だが現実には、ただ一つの島を根城にする海賊しかあの船を使っていなかった。
もし俺が連邦側に迷い込んだ異世界人だったなら、あのヨットを量産して連邦政府に高く売りつけるか、あるいはその知識と職人ごと、帝国か『霧宮王国』へ亡命して自分自身を最高値で売り込む。
つまり、帝国軍がこの海域に侵攻してきた時点では確かに現地にいたのだろうが、戦況の不利を悟ってすでにどこかへ逃げ出したか、あるいは霧宮王国に拾われてそちらへ寝返ったかのどちらかだ。
「少尉。霧宮王国の商船を調べる方法はありませんか」
「ありません」
今回ばかりは、本当に手段がない。
霧宮王国の商船は、彼らの海軍が直々に護衛しているのだ。帝国の艦隊がそこに無理やり割り込めば、それこそ取り返しのつかない「偶発的な武力衝突」へと発展しかねない。
なにより霧宮のことだ、拿捕されそうになれば商船も軍艦も迷わず自爆させ、帝国を『無抵抗な民間船を襲った残虐な侵略者』として国際世論に訴え出るに決まっている。
――もし俺が手段を選ぶなと上層部から正式に“命令”されるのであれば、相手をその自滅の罠に沈める仕様書を書く。
現地では『比帆諸島連邦』と『比帆諸島共和国』による小規模な国境紛争が続いていたが、帝国領となったあの島(第89話)の周辺だけは、不気味なほど戦闘が発生していなかった。
万が一にも帝国の領土に砲弾の一発でも落としてしまえば、連邦政府には到底支払えない額の莫大な賠償金(あるいはさらなる領土割譲)が請求されることを、敵も理解しているからだ。
しかし、連邦国内の世論は日増しに好戦的になっていた。おそらく、霧宮から派遣された異世界人が裏で新聞などを操り、民衆を煽動しているのだろう。
一方で、誕生したばかりの共和国側は、名目上の中立を保っている帝国を(たとえ誤射であっても)絶対に攻撃するわけにはいかなかった。ここで帝国を怒らせれば、これまでの食糧援助やインフラ支援がすべて水泡に帰すからだ。
そして帝国側には、まだ直接武力介入する大義名分がない。
連邦、共和国、そして帝国。この三国の歪な天秤は、どこか一角でも均衡を崩せば、一瞬にして凄惨な全面内戦へと発展する極限状態にあった。
――二週間後。
「少尉。参謀本部から新たな下命です。……従いますか?」
中尉は、どこか試すような視線を向けてきた。
「中尉。“命令”であれば、従いますよ」
俺の任務は、ただ合理的な仕様書を書くことだ。その計画を採用するかどうかは参謀本部が決めることだし、それを現場で実行するかどうかは海軍の領分だ。
数日後の夜、その仕様書――『瞬き(まばたき)作戦』は実行された。
風はないが、空は厚い雲に覆われていた。満天の星を見ることは叶わず、漆黒の海で正確な位置を知るためには、帝国の新型灯台だけが唯一の頼りだった。
新型灯台が放つ光の回転周期は寸分の狂いもなく一定のため、二箇所の光さえ視認できれば、船乗りたちは現在位置を完璧に割り出せるのだ。
その日も、連邦と共和国は、互いに帝国を巻き込まないよう細心の注意を払いながら、小競り合いの砲撃を交わしていた。しかし突然、闇夜の海が真っ赤に燃え上がる。
激しい爆発音が響いたその場所は、海の上ではなく陸地――他ならぬ、帝国領の島だった。
連邦海軍と共和国海軍の指揮官たちは、一様に大混乱に陥っていた。自分たちは灯台の光を指標にして、自艦の位置も、砲撃の座標も正確に把握していると盲信していたからだ。
それから五日後。
帝都で一斉に公開された版画新聞の記事は、民衆たちへ計り知れない悲しみを伝え、同時に、犯人に対する「報復の正義」を求める怒号の声を爆発させることとなった。
紙面に踊る挿絵には、激しく燃え落ちる民家と、決死の消火活動に当たる帝国軍の姿。そしてその傍らには、泥に塗れた菓子を小さな手に握りしめたまま、泣き崩れる現地の子どもたちが描かれていた。
――『比帆諸島連邦』および『比帆諸島共和国』の両軍が、中立である我が帝国領を不当に攻撃。
――【民衆に愛された“飴玉の老兵”、非道なる砲撃により死亡】
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