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覇権国家計画  作者: 納豆
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第9話:蒸気機関


環境破壊者のガキが暴れている間にも、各地からは次々と報告が上がってきていた。俺は馬車の中で報告書を確認している。馬車の行先は実験農場だ。


その中の一枚、農業試験場の成果に目を留め、俺は一年前のあの泥臭い現場を思い出す。


一年前。俺がこの世界に来て最初に行った農業革命の最前線で、俺は老農夫から詰め寄られていた。


「旦那、塩なんて貴重なもんを種にぶっかけるなんて、正気か! 食い物を無駄にするな!」


「そうだ、土地の神様が怒っちまう!」


周囲を囲む農民たちの不信感に満ちた視線。数日前までの俺なら、泥と汗の匂いが染み付いた粗末な革鎧の衛兵にさえ怯えていただろう。だが、今は違う。


体に馴染み始めた硬い軍服をまとい、腰には特別監察官の階級を示すサーベル。背後には、俺の命令一つで村を焦土に変えかねない武装兵たちが控えている。


その「権力」という後ろ盾が、俺の言葉に鉄のような重みを与えていた。俺は冷徹な一言で、彼らの迷信を切り捨てた。


「神が怒るか。……面白い。なら、お前たちが毎年ドブに捨てている『芽の出ない種』を見て、神は何と言っているんだ? 喜んでいるとでも?」


農民たちが沈黙する。俺が持ち込んだのは、中世の農村ではあり得ない「種子消毒」という概念だ。


この世界の種は、土に植える前からカビに侵されている。病原菌を宿した種を「信心」や「根性」で植えたところで、芽が出るはずもない。


俺は反対する農民の目の前で、桶に満たした塩水に種を放り込んだ。


「見ていろ。浮いてきた『中身がスカスカの種』やゴミが、お前たちが秋に絶望する原因だ。これを取り除くのが塩水選だ。沈んだ『健康で重い種』だけを信じろ」


さらに、銅鉱石から抽出した「青い結晶(硫酸銅)」を溶かし、消石灰を混ぜた「青い泥水」を指し示した。


「仕上げにこれへ浸ける。カビを殺すための儀式だ。……安心しろ、これは毒だが、収穫する頃にはお前たちを救う薬に変わる」


緩やかに走る馬車の中で、俺は報告書を閉じた。


「……今思えば、あの時、神や信仰を引き合いに出したのは迂闊だったな」


一年前、軍服の感触と特別監察官という肩書きに、少しばかり気が大きくなっていたのは否定できない。

この世界の政治体制や複雑な権力バランスを十分に把握せぬまま、俺は「実績」を焦るあまり、暴走気味に科学を振りかざしてしまった。


忘れてはならない。この帝国の最大スポンサーの一つは、あの白亜の聖堂を構える教会なのだ。


農民の迷信を笑うことは、巡り巡って教会の教義を否定することに繋がりかねない。もしあの時、過激な司祭でも混じっていたら、俺の首は今頃「異端」として広場に晒されていただいてもおかしくなかった。


軍事力で押し切れるほど、政治は単純ではないのだ。


「聖女様への『外注』も、今後はほどほどにしておかないと、いつか手痛いしっぺ返しを食らうな」


ボルドー液の応用による種子消毒。


当時は「青い悪魔の儀式」とまで揶揄されたその手法の成果が、今、手元の報告書という「数字」になって帰ってきたのだ。


報告書の数字によれば、中世の農村ではありえない「芽が出揃う」という光景が、各地の試験農場を埋め尽くしているという。


もっとも、最初の「塩」が貴重すぎて、広大な農地に必要な濃い塩水を大量に用意できないという根本的な問題は残っている。だが、それも蒸気機関が運用され、海水からの効率的な製塩が可能になれば解決する。


そう、蒸気機関だ。


十年ほど前から、帝国軍の新兵器開発部門で「蒸気機関」の研究が始まっていると聞いたときは、柄にもなく心が躍った。監察官としての鉄の仮面を脱ぎ捨て、子供のようにスキップして会いに行ったかもしれない。


だが、現実は恐ろしいほどに冷徹だった。結論を言えば、この世界に「鉄道」が走るまで、あと二十年は必要だ。


鉄道に詳しいという理由で抜擢された「彼」は、その実、単なる電車オタクだった。白い部屋から持ち出したのは専門書ではなく、一冊の時刻表。彼が詳しいのは、シリンダーの熱効率ではなく、乗り換え案内の最短ルートだ。


願いは「時刻表の持ち込み」その願いは、この世界において正しく、そしてあまりに残酷に叶えられた。彼の執務室には、神体のように奉られた一冊の冊子がある。


だが、彼を責めるのは筋違いというものだ。この未開の地で、早口で趣味の話を共有できる「同郷の徒」を見つけただけで、奇跡に近い。


それに、彼が持ち込んだ「真空でピストンを動かす」という概念そのものが、この世界の住人なら天才が数百年の思索を重ねなければ辿り着けなかった「劇薬」である事実は変わらない。俺以上に帝国にとって幸運なのは、この電車オタクの存在かもしれない。


知識はある。だが、それを「形」にするための産業基盤が圧倒的に足りない。


俺は、最大の難関であるシリンダーとピストンについて助言を与えた。


まずはジョン・ウィルキンソンの如き精密なボーリングマシンを構築し、シリンダーの内面を真円に削り出す精度を確保する。そして、ボルトとナットの規格を先行導入し、すべての接合部に均一なトルク管理を徹底させる。


勘に頼る時代は終わりだ。ノギス、マイクロメータによる精密測定。さらに、人力では不可能な圧力で赤熱したリベットを叩き込む「蒸気リベット打ち機」。冷える際の収縮を利用し、一滴の水も漏らさないボイラーを組み上げる。


「都合よく原油が見つかれば、潤滑油の問題も解決するんだがな……」


自動弁も空気ブレーキも、今の帝国にはオーパーツだ。機関車として走らせるには、あと二十年の技術的蓄積が必要だろう。


だが、蒸気ポンプが実用化されれば話は変わる。

浸水で放棄された深層鉱山から富を吸い上げ、巨大なふいごで高炉の火力を限界まで引き上げる。移動体としての夢を捨て、まずは「動かない心臓」として鋼鉄の量産と工作機械の駆動に専念する。


それが、この時代を生き抜くための、俺たち現代人の生存戦略だ。


そして今、俺は将来の夢ではなく現実の問題を解決しようとしている。


「作れても、腐ればゼロと同じだ」


馬車の背もたれに体を預け、俺は吐き捨てるように呟いた。


先行運用の名目で舗装させた試験用の街道は、板バネの恩恵を最大限に引き出している。俺の腰と尻への負担は劇的に改善したが、報告書の中身は相変わらず不愉快なままだ。


収穫量は確かに増えた。だが、報告に上がってくるのは穀物庫の床を浸食する黒い斑点――カビの記録だ。


袋の底は湿り、指で押せば粘土のように崩れる。干し草の山に手を突っ込めば、中心部は発酵熱で不気味に熱を帯びている。


土の上に直置きするのは止めさせ、交換可能な木製パレットを導入させたが、それも気休めに過ぎなかった。


土壌から這い上がる湿気と、通気性の悪い石造りの古い倉庫。これらを根本から破壊し、コンクリートの床と、清掃効率を最優先した近代的な「物流拠点」を建設しなければならない。


だが、現場で設計を担当している異世界人を聞いて、俺は頭を抱えた。


今回の参謀本部の人選は、致命的なエラーだ。


彼女は、前世ではただの賃貸仲介業者の店舗スタッフだった。駅から徒歩何分か、近くに夜間営業のスーパーがあるか。そんな「客寄せの案内」は得意でも、耐荷重計算や換気効率の設計など、できるはずがない。


「……駅から徒歩圏内でも、カビの生える倉庫に価値はないんだよ」


帝国の上層部は、俺たち異界人を『望めばどんな機能も提供する万能のブラックボックス』か何かだと勘違いしているようだ。魔法という奇跡が実在するせいで、専門知識という概念が希薄なのだろう。


だが、俺がやっているのは奇跡の行使じゃない。

魔法という予測不能な力に対抗し、誰が運用しても同じ結果が出る「規格」という名の防壁を築く作業だ。


参謀本部が撒き散らした欠陥を、一つずつ「管理」で埋めていく。

この終わりのない穴埋め作業の先にしか、俺の望む平穏(侵略不可能な大国)は存在しない。


俺は手元のメモに、設計から外された「不動産屋」の“使い道”を書き込んだ。

彼女に倉庫は建てられないが、この街道沿いの「どこに人が集まり、どこに荷が集まるか」を予測させることはできる。


現代の都市計画で設計された街の便利さと不便さの「完成図」を把握している彼女なら、宿場町の位置、倉庫配置、市場の発生地点、馬車滞留が予想できるはずだ。


俺たち異界人は、設計図は作れなくても「完成図」を知っている。その直感こそが、この世界では何物にも代えがたい資産になる。


魔法を超える科学が、新たな戦争の火種になる前に。

俺は帝国を、他国が手出しを諦めるほどの巨大な「システム」に作り替えなければならない。


俺は窓の外を流れる、整備されたばかりの灰色の景色を眺めた。

蒸気機関への二十年計画と、目の前の腐りゆく小麦。


バラバラだったピースが、俺の頭の中で一つの「地図」として繋がり始めていた。


読んでくださり、ありがとうございました。

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