第10話:賃貸仲介業者
帝都の象徴とも言える、威圧的な石造りの巨躯。帝国軍参謀本部。
俺の執務室である「特別監察室」は、組織の肥大化に伴い、より広い区画へ移されていた。
俺の肩書きは、今や「特別監察室長」だ。
手駒は十名を超えたが、やるべき本質は変わらない。単に組織としての体裁を整えるため、責任者の椅子が用意されたに過ぎない。
各地から上がる膨大な報告書を精査し、隘路を見つけ、改善案を叩きつける。必要とあらば現場へ飛び、軍の威光を傘に強引にネジを巻く。その繰り返しの毎日だ。
最近は、中尉が同行することも減った。
魔物や盗賊が掃討された帝都周辺では、もはや護衛は不要と判断されたのか。あるいは、俺への監視が次のフェーズへ移行したのか。
元「不動産屋」の彼女が帝都に到着したので、さっそく室へ呼び出した。
歳は三十前後。清潔な服、整えられた爪、後ろに縛った髪。荷物は小さな布包み。仲介業者の店舗スタッフという人種は、第一印象が成約率に直結することを「常識」として理解している。
この世界で最も希少な、社会人としての共通言語が通じる相手。俺はそれだけで、胃のあたりが少し軽くなるのを感じた。
簡単な自己紹介の後、俺が切り出す前に彼女が口を開いた。
「あの、元の世界に戻る方法は無いんですか?」
「ない。」
俺は短く答えた。
今まで会った異世界人に共通しているのは「白い部屋」の記憶だけだ。そもそも、俺たちは知識こそ残っているが、自分自身の「名前」すら思い出せない。
俺に必要なのは帰還という妄想ではなく、安全で快適な現実なのだ。
彼女は納得したのか、あるいは諦めたのか。安堵したように肩の力を抜いた。
俺は広げた地図を指差し、本題を切り出す。
「君に聞きたいのは、君の知っている『完成した街』の話だ。
住みやすい街、あるいは二度と住みたくない不便な街。その条件を教えてくれ」
彼女は戸惑いながらも、かつての職務をなぞるように語り始めた。
「そうですね……。
まず、お客様が一番に求めるのは『駅からの距離』です。どれだけ内装が綺麗でも、駅まで徒歩二十分の物件は決まりません」
「駅、か。この世界なら、街道の結節点や馬車の発着場だな」
「ええ。それと『スーパーが近いこと』自炊するにしても、買い出しに時間がかかるのは致命的ですから」
彼女は指で地図の空白をなぞりながら、言葉を継いだ。
「でも、ただ近ければいいわけじゃないんです。本当に『いい店』は、駐車場が広くて道路からの出入りがスムーズで待ち時間がない。」
「……駐車場、それに渋滞か」
俺は、自分の思考の死角を突かれた感覚に陥った。
俺はこれまで、街道をいかに「硬く、滑らかに」するか、コンクリートの配合や厚みばかりを気にしていた。だが、道を作ったその先で、大量の馬車がどこに留まり、どうやって荷を捌くかという「滞留」の問題を、深く考えていなかった。
物流は、流れている時間よりも、止まっている時間の制御こそが重要だ。
どれだけ街道を高速化しても、拠点の入り口で馬車が渋滞し、荷役作業に数時間を費やすようでは、全体のスループットは上がらない。
彼女は、仲介業者の店舗スタッフとして見てきた人気の物件を示した。
二十四時間ゴミ出し可の物件、バス・トイレ別、宅配ボックス。
彼女の言葉は、専門用語こそ使っていないが、住む人間の動線と時間の使い方を直感的に把握している。
彼女は「完成図」を知っている。
どこに人が集まれば不快になり、どこがスムーズなら快適か。その皮膚感覚は、教科書的な知識よりも遥かに実戦的だ。
「……助かった。君の言う『スーパーの駐車場』を、この帝都に再現してみよう」
俺は手元のメモに、巨大な「物流ターミナル」の構想を書き込んだ。
駅から徒歩圏内、搬入口と搬出口を分け馬車は一方通行で流し、逆走はさせない。到着した馬車はまず待機場へ回す。木の板で番号札を作ろう、通行管理は必須だ。
これまでは、我先にと怒鳴り合い、馬車をぶつけ合いながら荷役の順番を争っていた御者たちに「数字が刻まれた板」という『順番』という絶対的な概念を叩き込んでやる。怒声で解決していた中世の混乱を、たった一枚の札が「規律ある待機」へと書き換える。
そして、広大な荷捌きスペースを備えた、コンクリート造りの巨大倉庫群。補給部で検証済みの高床式の荷捌き場を転用すればいい。
馬車の荷台と倉庫の床が、狂いなく「水平」に並ぶ光景。それは、重力に逆らって荷を持ち上げるという不毛な労働からの解放を意味する。
荷役作業員は、ただ滑らせるように荷をスライドさせるだけでいい。段差という物理的な抵抗を消去するだけで、作業時間は半分になり、作業員の腰が砕けることもなくなる。
あとは、人が増えて不衛生になり、運び込まれた穀物を破棄するなんて、もってのほかだ。
魔法で空を飛ぶことばかり考えている連中には、一生かかっても理解できないだろう。
世界を変えるのは、派手な呪文ではなく、こうした「待ち時間をゼロにするための広場」なのだ。
一通りの話が終わった後、俺は彼女が大切そうに抱えている布包みが気になり聞いてみた。彼女は一瞬、言葉に詰まった。そして、覚悟を決めたように、その包みを机の上に広げた。
現れたのは、人気アニメのキャラクターのフィギュアだった。
「デスクに飾っていたんです。限定版の特別カラーです」
白い部屋で「推し」が真っ先にこれが浮かんでしまった結果がこれか。俺は、深い同情を禁じ得なかった。彼女は「推し」を眺めながら、中世の不便な街並みを歩き、現代の快適な住環境とのギャップに、一人で絶望し続けてきたのだ。
彼女が元の世界を気にしているのは、現代を忘れないためなのか、推しのためなのか。
俺は、去っていく彼女の背中を見送りながら、小さく独白した。
「……彼女は素晴らしい。ようやく共通言語が通じる人間が来たな」
専門知識ではなく、社会人としての「常識」を共有できる。それだけで、この世界での業務効率は数倍に跳ね上がるだろう。
「秘書として手元に欲しいと、中尉に相談してみるか」
……まぁ、ダメだろうが。
彼女のような「完成図を知る者」は、帝国にとっても貴重な戦略資源だ。それを一室長の秘書として囲い込むことを、参謀本部が許すはずもない。
むしろ、中尉へ俺が彼女を高く評価していると伝えると、参謀本部や中尉たちは彼女を「俺への牽制」や「別のプロジェクト」へ引き抜くためのカードとして使うだろう。
俺を監視する目が減ったのは、俺への信頼が増したからではなく、単に俺に代わる「駒」の目処が立ったからかもしれない。
俺は苦笑し、手元のメモを閉じた。
社会人としての連帯感。その温かさを享受するには、この帝都はあまりに無機質で、政治的すぎる。
「さて、仕事に戻るか。まずは『駐車場』の予算申請からだ」
俺は「室長」としての無機質な顔に戻り、予算の相談をするため中尉の執務室へ入る。
「少尉、これから反乱軍を武力鎮圧します。準備してください」
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