第11話:麻袋
「少尉、これから反乱軍を武力鎮圧します。準備してください」
中尉の言葉は、快適で安全な隠居生活を夢見ていた俺にとって、刑執行を告げる死刑台の鐘の音のように聞こえた。
『特別監察室長』などという大層な肩書きを与えられたが、実態は「名前なき駒」の一人に過ぎない。つい数分前まで、俺は不動産屋の彼女と、スーパーの駐車場に必要な旋回半径や帝都の排水路の傾斜角について議論していたはずだった。
高床式の倉庫から溢れ出す小麦の山と、それを整然と運ぶ効率的な馬車の列。そんな平和な『完成図』を夢見ていた俺の視界に、中尉が持ち込んできたのは『血と硝煙』の現実だった。
「待ってください。確かに俺は幅広い知識がありますが、実戦は未経験です。知識だけで戦場がどうにかなるとは思えませんが」
俺の抵抗を、中尉はアリの巣に熱湯を注ぎ込む直前の、期待に満ちた無垢な瞳で受け流した。
「反乱軍の一部で、変わった弓を使う集団と鉄条網が確認されています。異世界人が関わっている可能性がある。これは特別監察室長、あなたの任務ですよ」
何てことだ。確かに俺の任務は、異世界人が関わっている作戦の現場監察だよ。でも反乱軍の監察、それは過大解釈すぎるだろう。
最近、中尉の姿を見なかった理由がこれか、俺は中尉が差し出した東部方面の報告書を素早く精査する。
場所は東の国境に接する小領地。長雨による不作に対し、領主が救済を怠ったことが引き金だ。中央が豊作であるにもかかわらず食糧が届かない。その不信感が爆発し、一部が暴徒化して、今や二千名規模の農民軍として砦のいくつかを占拠しているという。
「また鉄条網ですか、帝国にはない針金の量産体制の可能性。無視できませんね。」
俺が呟くと、中尉は計算通りの結末を確信したように頷いた。
「異世界人がどの程度関わっているのか、確認してください。これは監察官の任務です。出発は二日後。東の国境まで馬車で三十日です」
三十日。往復で二ヶ月。その間、俺が帝都で進めていた近代化都市計画は完全に停止する。それどころか、二千人の軍勢を維持するための食糧や飼料……戦争とは、俺が最も忌み嫌う『非効率な物流』の極致だ。
「勇者に反乱軍二千名を殺害させるクエストを受けさせる方法を考える時間はありませんよ」
深いため息をついた中尉が、釘を刺すように言った。
心外だ。俺のことを悪魔の化身か何かと思っているのか。……完全に否定できないのが自分でも嫌になるが、俺はただ「コスト」を考えているだけだ。
俺は二日という極限の猶予のほとんどを、官民の倉庫から「麻袋」を買い集めることに費やし、帝都を出発した。
護衛は一個中隊、百名。帝国にとって異世界人は希少資源だ。地方の反乱ごときで死なせるわけにはいかないという参謀本部の判断だろう。
十日後。全く舗装されていない街道に、馬車が大きく揺れる。
板バネの馬車でも、あの忌々しい腰と尻への痛みが蘇ってきた。俺は、この移動の三十日を無駄にするわけにはいかない。主要な街道と農地の位置を確認し、舗装路になった場合に何日短縮できるかを徹底的に手帳に書き留めていく。
「中尉、異世界人の知識で使える『画期的な戦術』なんて期待しないでください。俺がやるのは統計とロジスティクスの精度向上です」
揺れる車内、中尉の問いに俺は淡々と答えた。
軍事的な衝突を最小限に抑えるには、敵を「悪」ではなく「計算違いをした債務者」として扱うのが一番効率がいい。俺の任務は、異世界人がもたらした兵器の性能と量産体制の評価。そして、この反乱が社会構造に与えるダメージを最小化することだ。
二十日が経過し、ようやく紛争地域へと到着した。
俺は中尉に、砦へ向かうのではなく周辺の村々を回るよう告げる。
「徹底的にプロパガンダ作戦を展開します」
俺は最初に、柵も堀もない小さな集落に赴いた。
帝国軍は食糧支援に来ていること。反乱軍の指導者が富を独占するために嘘を付いていること。君たちは騙された被害者であること。
道中で適正価格以上の予算を注ぎ込んで買い集めた小麦を麻袋に詰めて渡し、砦の反乱軍が略奪に来る前に食糧を持って逃げるように伝えた。
次々に村を訪れ、村長たちに同じ話をする。
「空腹の集団に対して、一方の道には『死』を、もう一方の道には『パン』を提示する。実に現代人らしい人道的なやり方でしょう?」
数日で噂は広がり、反乱軍への協力者は激減した。あとは砦に立てこもっている人数と、農民が提供したはずの食糧の残量から「何日目に餓死が始まるか」を算出するだけだ。
十日後、砦を占拠していた反乱軍は、自ら指導者の首を差し出して投降した。
だが、全ての砦が平和的に片付いたわけではない。俺が欲しかったのは皆殺しの勝利ではなく、捕虜が持つ「異世界人の技術」の情報だ。
「……なるほど。変わった弓の集団は盗賊団でしたか」
投降した反乱軍の幹部から聞き出した情報は興味深かった。
人数は三十。炭田から逃げ出した連中と合流しているらしい。彼らは近くの森に潜伏し、スタビライザー付きのロングボウと鉄条網で、不用意に近づく帝国軍を狙撃する構えだ。
「森へ入る必要はありません。村に食料がないと知れば、あいつらは必ず略奪に来る。そこを叩く」
三日後、柵も堀もない小さな集落に、件の盗賊団が現れた。
彼らの目に映ったのは、もぬけの殻となった家々と、集落の入り口に突然出現した土嚢の防壁だった。
俺が帝都で買い集めた麻袋は、このためにある。
この世界では袋は貴重な資産だ。だが、俺はそれを「泥を詰めて質量を持たせるための安価な使い捨てコンテナ」として定義した。
土嚢の影から、変装した帝国兵が新型の火薬を使った魔導銃を一斉に放つ。命中精度を高めた程度の弓では、現代的な陣地防御の敵ではなかった。
三十分で戦闘は終了した。
頭目らしき男の遺体を見分する。その皮鎧は、異なる硬度の素材を重ねた「ラミネート・アーマー」だった。振動減衰の物理学を知っている者の仕業だ。
「少尉、見事な事務作業でした。あなたは本当に、人間を数字として愛していらっしゃる」
中尉の無垢な瞳が、戦場の死体ではなく俺の書き込んだ統計グラフを見つめていた。
帰路の馬車の中、俺は手帳を整理しながら中尉に尋ねた。
「中尉、帝国内で見つけていない異世界人が、まだ他にいる可能性は?」
「帝国の町に現れたら、すぐに引っ掛かりますよ。あなたのように」
嫌な言い方だ。まるで俺が罠にかかったみたいじゃないか。
俺は揺れる馬車の中で、次なる「政府備蓄米」と「公共事業」の構想を練る。食糧不足による反乱を未然に防ぐ。それが帝国のためであり、俺の腰と尻のためでもある。
「今回は頑張りましたね。帝国のためですか、それとも自分自身のためですか」
中尉が、鉄の仮面で隠した事務的な笑みのまま問いかけてくる。
「最悪なのは、農村の崩壊による都市への難民流入と、社会構造の急激な変化です。俺が欲しいのは、計算通りに回る安定した現実ですよ」
中尉は、精巧な機械のような微笑で報告書を書き進めている。
「……少尉。ヘスコ防壁がないこの世界で、軍でも貴重な麻袋を使い潰すなんて、私でもすぐには思いつきませんでした。
この世界において、袋を『資産』から『消耗品』へ引き下げたあなたの判断。参謀本部は高く評価するでしょう」
同じ知識を持つ異世界人からの、それは逃れられない承認だった。
空を見上げると、長雨が嘘のように晴れ渡っていた。
だが、その青さは、どこかあの「白い部屋」の無機質な光景を思い出させて、俺は少しだけ吐き気を覚えた。
読んでくださり、ありがとうございました。




