第12話:釣り人
東部遠征から戻って二ヶ月が経過していた。
大幅に遅れていた帝都の近代化都市計画のうち、最重要案件である超大型物流倉庫の仕様がようやく固まり、参謀本部へ提出することができた。
後は政治家の仕事だ。俺にできるのは、基本概念と、それがもたらす利益の提示まで。参謀本部は異世界人の扱いに難があるが、制度設計と予算化に関しては優秀だ。うまくやるだろう。
中尉の執務室に呼び出されると、中尉は、未承認の決裁欄のような沈黙のまま一枚の書類を出してきた。参謀本部から倉庫の建設よりも先に『土嚢用麻袋』の量産体制を整えるよう、優先順位の変更が下ったのだ。
東部で使用した土嚢は、案の定、目を付けられたらしい。
「中尉、なんで土嚢用麻袋なんですか。隣国が落ち着いている今は内政のインフラを優先べきでは」
中尉は、言葉を選んでいるようにも思えたが、一言。
「覇権国家計画のためです」
つまり隣国の政治体制でも変わったのか、あるいは国境沿いで緊張感のある軍事訓練でもしているのか。
参謀本部は何もない平坦な大地を、低コストかつ迅速に戦場(陣地)へ変える方法を要求した。土嚢の有効性は東部で実証済みだ。この優先順位の変更は、おそらく中尉の仕業だろう。
しかし、土嚢は現代戦でも使われる。魔法の優位性が薄れ、火薬銃と大砲の時代が到来したとき、銃弾や砲弾片から兵士を守る遮蔽物は必ず必要になる。木や石を積み上げる時代は終わる。
帝国軍は、麻袋の標準規格化という“現代的なインチキ”によって、「何個積めば胸の高さになるか」を正確に計算できる。未熟な兵士や農民でも、パズルのように素早く、崩れにくい壁を作れる。さらにタンニン・コーティングによる防腐処理も施せば、資産としての寿命も延びる。
問題は量産化だ。通常の麻布は衣類用に“薄く、柔らかく”織るが、土嚢用は“厚く、粗く”織る必要がある。衣類用よりは早く作れるが、軍が求める量には到底追いつかない。
順番に考えればいい。最も重労働なのは、硬い麻の茎を叩き潰し、繊維を分離する工程だ。これを人間ではなく、二十四時間休まず動く“何か”に任せれば、生産性は十倍以上になる。
必要なのは、五百キロ級のはずみ車と、直径四〜六メートルの水車。方針は決まった。帝都周辺でも水車は使っている、まずは試作機からだ。
製鉄所の裏手に広がる湿った河川敷には、絶えず鉄を叩く重低音と、石炭の焦げた匂いが混じった灰色の風が滞留していた。
急造された木組みの足場が、泥混じりの急流に洗われながら、これから設置される「五百キロの鉄塊」を待ち構えるように不気味な沈黙を保っている。
自分で考えておいてなんだが、最終的な「五百キロ級のはずみ車」は、この世界ではオーバースペックだ。
刀マニアの店長に依頼した時、こいつは頭がおかしいのかという顔をされたが、物理的な質量による安定(慣性)は、算盤の珠を弾くよりも確実な答えを出す。
直径六メートルの水車が鉄塊に回転エネルギーを蓄積し続け、ハンマーが十本同時に落ちても慣性がそれを押し切る。回転速度が落ちない「止まらない工業ライン」の確立のためには、その過剰な質量が必要なのだ。
水車の回転数を一定に保つためにも水門が欲しい。中尉に相談したところ、洪水被害から地域を守るため日常的に河川巡視をしている異世界人がいるという。年齢的に、そろそろ一か所で仕事をしたいと本人も希望しているとのことだ。
やはり参謀本部は、インフラ整備の重要性を理解している。俺の舗装路計画の理解が早かったのも先人の異世界人のおかげだ。
数日後、特別監察室で河川担当の異世界人と面会した。
年齢は七十過ぎと聞いていたが、背も高くがっしりした体だ。なるほど、年は取っていても、まだまだ現役というやつか。
簡単な自己紹介のあとに話を始める。天候や季節で変化する水質・水量を監視し、必要に応じて水門を調整するのが主な仕事だと伝えると、老人は仕事の内容ではなく、別の事を聞いてきた。
「その川、何が釣れる?」
特別監察室は、今まで会ってきた異世界人特有の空気に満ちてきた。俺は手帳を開く。
「水門設置予定の場所の近くで、釣りをしている人はいましたね」
話を聞くと、この世界に来た時に得意なことを聞かれ、「川釣りが趣味なので川を見たい」と言ったら河川担当になったそうだ。
だが、趣味とはいえ毎日川を見ていれば、水量のわずかな違いをいち早く察知できる。水門や堤防の点検、治水対策において、それは非常に的確な判断を下す強力なスキルとなる。「趣味と実益を兼ねた、これ以上ない適職」というわけだ。
家庭菜園が趣味の主婦もそうだが、今の帝国には彼らのような人材が欠かせない。
この世界の水車は、軸が細くなったら水車ごと作り直すという非効率極まりない作業をしている。だが「止まらない工業ライン」でそんなことは許されない。
俺は手帳に新型水車の完成予定図を描く。まずは木製歯車と鉄の歯先、そして鉄の軸に鋼スリーブだ。摩耗部だけを交換可能にすれば、水車を使い捨てる必要はなくなる。
問題は潤滑油だ。五百キロもの鉄塊を回転させれば、摩擦熱で軸が真っ赤に焼け、軸受けが融解して「焼き付く」のがオチだからだ。帝国内で原油が見つからない以上、当面は動物脂になるが俺には“現代的なインチキ”がある。
黒鉛を粉末にして混ぜるだけでいい。黒鉛は現代でも「固体潤滑剤」として使われるほど優秀で、摩擦面に膜を作って金属同士の直接接触を防ぐ。天然黒鉛は直ぐに見つからないだろが、煤や木炭で代用は可能だ。
物理の摩擦は黒鉛で防げるが、人間の摩擦はそうもいかない。今度、刀マニアの店長には、市場に出回っていない輸入品のナイフを送っておこう、普段無茶ぶりをする取引先であってもお歳暮を送る。これが現代式の潤滑油となる。
俺が食料自給率を上げ、鋼の質を高め、規格化された馬車を走らせたことで、帝国は他国へ「平和的な交渉」という名の、圧倒的な物量による資源確保を仕掛けるだろう。
俺が積み上げた土嚢と、俺が整備した舗装路を使って。俺の事務仕事が、結果として侵略の轍になる。その予感が、鉛のような重みとなって胃に溜まった。
「少尉、何を難しい顔をしているのですか。設計に不備でも?」
中尉が、圧力計が振り切れる前の静止を思わせる瞳で、俺の手帳を覗き込んできた。俺は、潤滑剤の配合表を隠すように手帳を閉じた。
「……いえ。物理的な摩擦をどう処理するか考えていただけです」
すぐ脇には、麻の茎を浸した巨大なため池が掘られ、微生物が繊維を食い荒らす特有の酸っぱい腐敗臭が周囲に停滞している。
水門管理の老人は、老人はその池のほとりに椅子を置き、腐臭も工事の騒音をものともせず麦わら帽子をかぶり竿を出していた。
川面には工事の土砂で濁った波紋が広がっていたが、老人はそんなことは意に介さない。
時折、上流の製鉄所から排出される余熱の混じった蒸気が霧のように水面を覆い、老人の釣り竿の先だけがその白銀の幕から突き出していた。
「おい若いの、あそこの杭打ちはもっと深くしろ。底が砂地だから、水門を閉じた時に水圧で浮くぞ」
その足元には、彼が転生時に「魚を持ち帰りたい」と願って手に入れたという、白い部屋製の水汲みバケツが置いてある。
釣り好きの勘は、案の定、地質調査の結果と一致した。物理はリアルだ。だからこそ、現場の感覚という「統計外のデータ」が、計算尺の代わりになる。
まずは四メートルの水車と百キロのはずみ車。この先行試作機で青銅軸受けの交換頻度を計る。最終型の稼働まで、あと半年はかかるだろう。
その前に、機械化によって熟練労働者が職を失い、ラッダイト運動を引き起こさないよう対策を考えなくてはならない。この世界に失業保険などない。公的な再教育プログラムといった「変化のスピード」を社会が受け入れられる速さに調整する政治的な仕組みが必要だ。
すべては、俺の快適で安全な隠居生活のために。
空を見上げれば、相変わらずの青空だ。止まらない機械。それは、止まることが許されない帝国の未来そのものに見えた。
読んでくださり、ありがとうございました。




