第8話:街道
水硬性コンクリートの心臓部となる「けい石」の採掘整備は、概ねスケジュール通りに進んでいた。
現場の効率を劇的に変えたのは、一年前から補給部隊を指揮している元トラックドライバーの男だった。彼が持ち込んだ「荷台の高さの統一」と「規格化された木箱」という概念は、現場に革命を起こした。
以前のような、バラバラの大きさの袋を人力で積み上げる非効率な時間はもうない。高床式の荷捌き場を構築し、馬車を横付けしてスライドさせるだけで積載が完了する。
運用試験済みの規格が、俺の手元にも回ってくるようになった。
「彼には感謝しかないな。今度、複滑車の理論値表を渡してやろう。現場のクレーン効率がさらに二割は上がるはずだ」
全鉄製のスコップや一輪車、そして滑らかに旋回するキャスター付きの台車。欲しいものは山ほどあるが、鋼の生産ラインは未だに兵器と建築資材で手一杯だ。
平穏な拡大再生産が続くと思っていた三か月後。産地から一通の忌々しい報告書が届いた。
採掘現場周辺で、魔物の出没数が異常値を示している。
原因は明白だった。隣の山で「勇者」がドラゴンの巣を根絶やしにしたのだ。
生態系の頂点が消えたことで、抑制されていた中型魔物が激増。押し出された小型魔物の群れが、食料を求めて採掘場付近へと流れ込んできた。
「……あのガキ、何てことをしてくれた」
俺は執務室の机を叩いた。
世界を救う? 悪を倒す? 冗談じゃない。奴がやったのは、繊細な生態系のバランスを叩き壊しただけの「環境破壊」だ。
軍の魔導銃なら小型魔物など動く標的に過ぎない。だが、非武装の荷運び人や商人にとっては、一頭の魔物が致命的な納期遅延と死を招く。
「善意で最悪をバラまく厄介者。それが勇者の正体か」
被害は数字に表れていた。遭遇件数は三週間で従来比の四・八倍。死亡報告さえ上がっている。このままでは、街道そのものが死ぬ。
早急に対策を講じる必要がある。俺の安寧と、ようやく回り始めた物流網を守るために。
ドラゴンが消えて中型が増えたなら、人間が「一時的な頂点」として君臨し、中型を間引く必要がある。俺は報告書を閉じ、中尉の執務室へ向かった。
「……中尉。勇者の件です」
中尉は書類から目を離さずに応じた。
「“また”何かやらかしましたか」
「ドラゴンの巣を潰した結果、中型魔物が激増し、押し出された小型が採掘場付近に溜まっています。中型の討伐が必要です」
「軍を動かすのは難しいですよ。隣国への牽制がある」
「分かっています。……ですが、“勇者”なら動かせます」
中尉は決済印のような事務的な笑みをした。
「あの少年は、軍の命令は聞かないでしょう」
「ですが“クエスト”なら、あの少年は必ずやります。そして、彼にクエストを出せるのは――聖女だけです」
中尉の笑みが深くなった。俺は地図を広げ、街道に赤線を引いた。
「勇者が暴れている隙に、街道の左右五十メートルの草と藪をすべて伐採します。魔物の隠れ場所を消し、視界を確保する。補給部の試作武装輸送車の運用試験場として、この街道を指定してください」
七日後。
俺は帝都近郊の街の中心にそびえ立つ、教会の総本山へと足を踏み入れた。
白亜の石材で築かれた大聖堂は、天を突くような尖塔を持ち、ステンドグラスからは色とりどりの光が、埃一つない床に宗教画を描き出している。貧民街の濁った空気とは無縁の、眩いばかりの静寂と、微かに漂う白檀の香。
この欺瞞的な清潔さが、教会の権威と、外の世界の残酷さを同時に物語っていた。
面会室で待つこと数分、聖女は以前と変わらぬ、しかしどこか疲労を滲ませた微笑みを浮かべて現れた
久しぶりの再会とお互いの無事を、彼女は素直に喜ぶ。
「本当に無事でよかった。また会えて、本当に嬉しいです」
俺は積もる話もそこそこに、深刻な表情を作って切り出した。
「……軍人として、いや人として、弱い人々が命を落とすことを見逃せないのです」
俺は声を殺し、悲劇の演出家として言葉を重ねた。軍の面子で動けないという「設定」を盾に、彼女の慈愛の心をアクセルに変えてやる。
二日後、使命感に燃えた聖女は、俺が用意した「討伐依頼書」を手に勇者の元へ向かった。
勇者は満面の笑みで山へ向かったという。善意で動く女と、世界をゲームだと思っているガキ。実に使い勝手のいい「外注先」だ。
俺は補給部の運用試験に同行した。元トラックドライバーの男とも再会できた。
「……滑車の計算式か。礼には礼を、か。あんた、分かってるな」
彼は短く笑い、設計図を受け取った。恩には恩を。実に社会人らしい、血の通わない信頼関係だ。
彼は、白い部屋で「腰痛を治したい」と願った。この世界に来た時は願いどおり腰痛は消えていた。しかし補給部に配属された結果、再び彼は腰痛に悩まされることになる。
彼の高床式の荷捌き場の普及に尽力する理由が、分かった気がする。せめて願いの代償が慢性的な腰痛で済むことを祈ろう
六ヶ月後。
街道は、劇的な変貌を遂げていた。
かつては馬車の車輪を飲み込もうとしていた泥濘と、魔物が潜む鬱蒼とした森。それが今は、左右五十メートルにわたって完全に更地となり、赤土が剥き出しになった滑らかな「面」へと作り替えられている。
切り倒された巨木は武装輸送車で運び出され、根は掘り起こされ、残った草むらはコンクリートの基礎を流し込むために、徹底的に焼き払われた。
陽光を遮るものは何もない。無機質に広がるその赤土の帯は、自然に対する人間の、あるいは俺の合理主義の勝利宣言のようにも見えた。
魔物の出没率は従来比の一割以下に落ちた。隠れる場所を失った小型魔物は、武装輸送車の魔導銃の良い的でしかなかったからだ。
勇者は“俺の”覇権国家計画のために、まだ山で命(光)を放っている。
中尉が報告書を受け取り、静かに言った。
「……君は本当に、勇者よりよほど世界を救っている」
「俺が救うのは、俺の生活だけです」
馬車が揺れ、腰に鈍い振動がくる。
この試作板バネの運用試験は間もなく終わる。コンクリートの量産が始まり、街道が固まれば、この不快な揺れともおさらばだ。
俺は窓の外の、無機質に伐採された街道を見つめた。
そこには勇者の放つ刹那的な光ではなく、人間の合理が切り開いた、灰色の道が伸びていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




