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覇権国家計画  作者: 納豆
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第7話:勇者


俺がこの世界に来て、半年が経っていた。


帝国軍参謀本部の石造りの廊下を歩くと、すれ違う将校たちが僅かに足を止め、事務的な会釈を送ってくる。半年前、ボロ布を纏い、泥にまみれてこの建物に連行された時、俺を人間として見ていた奴は一人もいなかった。


「特別監察室」


参謀本部の一角に、いつの間にかそんなプレートが掲げられた部屋ができていた。

俺の部屋だ。部下が三人。主な仕事は、俺が撒いた「現代知識」の種が、帝国の各地でどう芽吹いているかの進捗管理だ。彼らという「手足」を得たことで、俺の作業効率は劇的に向上した。


机の上には、隙間なく報告書が積まれている。


農薬の効果は数字に表れていた。今年の収穫量は前年比一・三倍。ノーフォーク農法の欠陥を修正し、サイロを建設したことで、冬を越せずに死ぬ家畜が激減した結果だ。元主婦の「彼女」は、今や帝国の食糧基盤を支える現場監督として、連日泥にまみれている。


製鉄所からの報告書には、煤で汚れた指紋が付いていた。

刀マニアの「店長」による高炉の試作は完了。銑鉄の生産量は従来比で三倍。炭素量の調整はまだ不安定だが、品質のバラつきは許容範囲内に収まりつつある。


「……計算通りだな」


俺は報告書に承認印を叩きつけ、次の案件を手に取った。


半年この組織にいて理解した。帝国軍はこの大陸で、あまりに異質だ。

諸侯は領地を抱え、面子のために騎士団という名の私兵を養う。それがこの世界の「中世的な常識」だ。だが、帝国軍は違う。兵の装備から行軍速度に至るまで、すべてが「数字」で管理されている。


百年前から、先人の異世界人たちが「規格」という毒をこの国に流し込んだ結果だ。

人、物、通貨、距離。すべてを単位で縛り、管理する。


貴族はいまだに領地を主張しているが、その境界線は既に帝国の測量技術によって「座標」へと変換され、剥ぎ取られつつある。


百年後か、二百年後。貴族はただの「地方自治体の長」に成り下がるだろう。

もっとも、その頃には俺はこの世にいない。俺の快適な生活には、直接関係のない話だ。


魔法についても、ようやく自分なりの整理がついた。


結論から言えば、魔法は「物理現象」だ。

炎の魔法は、特定エネルギーによるガスの発光。魔導灯は、エネルギーを光へと変換するデバイス。仕組みの半分——その膨大なエネルギーが「どこ」から来ているのかという根本的な理屈は分からないが、使えればそれでいい。


今日の任務は、街道整備に必要な「けい石」の産出地視察だ。


水硬性コンクリート。

石灰石、粘土、けい石、酸化鉄。これらを微粉砕して焼成した粉。

これが量産できれば、街道はあの忌々しい「石畳」から解放される。職人が石を切り、並べる手間を全て省略し、ただ流し込むだけで強固な「面」が完成する。


「俺の腰と尻のために、一刻も早く実用化したい」


中尉が隣で書類をめくりながら、静かに喉を鳴らして笑った。

産出地は魔物の多い未開発地域。近くの街に民間組織である「冒険者ギルド」があるらしい。


街道を馬車で二日。石造りの城壁が見えてきた。

城塞都市というには小規模だが、交通の要衝らしく、商隊の荷馬車から放たれる獣の臭いと、埃っぽい活気に満ちていた。


ギルドの建物は街の中心にあり、掲示板には血の跡が乾いた依頼書が並んでいた。

俺は地図を広げ、受付の女に聞き込みを始める。


「けい石の産出地周辺。最近の目撃情報を、種別ごとにリストアップしてほしい」


受付の女が地図を確認し、口を開こうとしたその時——背後の扉が開いた。


外の逆光を背負って入ってきたのは、小柄な人影だった。

中学生か、高校生か。その年齢には不釣り合いな、色彩を欠いた「白髪」が肩のあたりで揺れている。装備は革鎧に短剣一本。あまりに軽装すぎる。


だが、ギルドの中の空気が、一瞬で「凪」に変わった。

荒事を生業にする冒険者たちが、誰に指示されるでもなく、無言で道を開ける。


「……依頼、終わった。巣を三つ。楽勝だったよ」


声は若く、どこか浮ついた全能感に満ちていた。

少年は受付に魔物の角を放り投げると、背後に控えていた華やかな装備の少女たち――いわゆる「ハーレムパーティ」を連れている。


その中の一人に、整った顔立ち、金髪の長い髪、とがった耳を持つ少女が居た。

人間以外の種族がいるとは聞いていたが、あれがエルフか。初めて見た。


彼は俺の隣で足を止め、仲間たちに聞こえないような芝居がかった仕草で囁いた。


「あんたも『転移者』だろ?

この世界、ステータス画面出ないから不便じゃないか?でも安心しろよ。この世界のクエストは全部俺がクリアしてやる」


感情の消え失せた瞳ではなく、ギラついた、現実味を欠いた瞳が俺を見る。

「勇者様、すごいです!」「さすが、私たちの光!」

少女たちの称賛を浴びながら、少年はヒーローのように光の中へ消えていった。


「……産出地の情報は取れましたか?」


馬車に戻ると、中尉が表情を一切動かさずに尋ねてきた。


「取れました。……ただ、あの『勇者』とかいう白髪の子。中尉は知っているんですか」


中尉は、仮面のような静止画の笑顔のまま答えた。

「今は、覇権国家計画の邪魔にはなっていません。無害です」


無害。

その言葉の裏に、計画の障害となった瞬間に「処分対象」へと切り替わる冷徹さが透けて見えた。


街道の両脇から、湿った苔と発酵した落葉の匂いが混じった濃密な緑が迫り、昼間だというのに馬車の窓には薄暗い影が落ちる。

時折、深い茂みの奥で何かが枝を折る乾いた音が響き、それが野生動物か、あるいは獲物を待つ魔物の気配なのかを判別する術を俺は持たなかった。


森に差し掛かった辺りで、鼓膜を揺らす轟音が響いた。御者が悲鳴を上げ、馬を止める。

木々をなぎ倒して現れたのは、馬の倍以上の体高を持つ、鱗に覆われた大型魔物だった。


頭では逃げるべきだと分かっているのに、足が竦んで動かない。その時、視界の端を白い閃光が駆け抜けた。


白髪の少年。


彼が手をかざした瞬間、物理法則を嘲笑うかのような光の奔流が、魔物を内側から爆発させた。

静寂。魔物の巨体が崩れ落ち、少年は一瞥もくれず歩き出す。御者が「勇者様!」と感謝の声を上げるが、彼は振り返りもしない。


チート能力。


あんな力があれば——と思いかけて、俺は即座にその思考を棄却した。


「中尉。あの子が白い部屋で何を願ったか、知っていますか」


中尉は僅かに沈黙し、淡々と答えた。

「……たとえ自分自身が死んでも、世界を救いたい。そう願ったそうです」


中尉は続けた。

「あの白髪は初めて、大型の魔物と全力で闘ったあと変わっていたそうです。彼は、覚醒とかランクアップしたとか言ってましたね」


俺は見てしまった。光を放つたびに少年の肌から艶が失われ、その呼吸が僅かに浅くなっていくのを。

彼は、自分が何を支払っているのか理解していない。帝国が彼の「命」を燃料にして、最も低コストに魔物を排除させていることに気づいていない。


「安全でいたい」と願った俺は、泥水を啜り、ケツの痛みに耐え、一歩ずつコンクリートの道を敷いている。


「死んでも世界を救いたい」と願ったあいつは、死に至る病を「覚醒」と呼び、偽りの称賛の中で寿命を使い果たしている。

白い部屋の解釈は、どちらにも等しく残酷で、そして平等だった。


「……出発しましょう。あんな光は、俺たちの計画には、必要ありません。俺が欲しいのは、消えない光じゃなく、固まって動かないコンクリートだ」


原生林を抜けた先、山の斜面を剥ぎ取ったかのように剥き出しになった岩肌が、無機質な灰白色の断層を晒していた。


草木の一本も生えないその一帯だけが、帝国の未来を固めるための「材料」を孕んだまま、死んだように静まり返っている。


予定通りの品質だ、露天掘りが可能な規模。石灰石の産地との距離も、輸送コストの計算内に収まる。


「中尉、ここで量産できます。来年中にコンクリートの試作、および街道の先行舗装を開始します」


中尉が手帳に書き込む。

「承知しました。コンクリートを運ぶために、まずはこのガタガタの道を砂利で固める必要がありますね」


「鶏と卵ですよ。だが、そのサイクルを回すのが俺の仕事です」


帰路。俺は報告書の下書きにペンを走らせた。

白髪の少年のことは、一行も書かなかった。書く必要などない。

ただ、“俺の”覇権国家計画の邪魔になった時、その時、俺は……


馬車が大きく跳ね、腰に鋭い衝撃が走る。


板バネができれば、こんな痛みともおさらばできる。

それまでは、この不快な振動に耐え続けるだけだ。


読んでくださり、ありがとうございました。

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