第6話:聖女
状況は最悪だった。
俺は、帝国軍参謀本部所属・特別監察官の肩書きをフルに利用し、這いずり回る騎士たちから情報を絞り出した。
俺の身の安全がかかっているんだ。礼儀なんて二の次だ。
「……撤退の判断が異常に早い。追撃しようにも、馬の脚が次々と止められ、見たこともない形状の弓で狙い撃たれる。数は……推定百。多くても百二十は超えません」
騎士のリーダーが、青白い顔で吐き出すように言った。
俺の目の前は暗くなった。それはもう「盗賊団」なんてレベルじゃない。完全に組織化された、少数精鋭の武装集団だ。
俺は騎士に、その「変わった弓」のスケッチを書かせた。
上がってきた絵を見て、俺は思わず毒づいた。
「……スタビライザーかよ。ふざけんな」
四十センチほどの棒が前方に突き出たロングボウ。
振動を抑え、命中精度を極限まで高める現代アーチェリーの知恵だ。
火薬銃が普及しつつある帝国に対し、相手はあえて枯れた技術である「弓」を魔改造して対抗している。
さらには、現場から回収されたという「針金の束」。
それは、俺がこの世界でまだ見ていない、棘のついた有刺鉄線だった。
「中尉、事態は深刻です。相手は他国の、あるいは他国に支援された異世界人です」
中尉の目が、冷徹な軍人のそれに変わる。
「隣国は帝国に比べれば、遥かに小国です。帝国に対する軍事的な行動はとらないでしょう。」
他国にも異世界人がいるのは確実。だが、隣国が無関係だとしても、針金の量産が可能な国が既に存在している事実は変わらない。それは俺の「快適で安全な生活」を脅かす不確定要素でしかなかった。
一刻も早く、帝国を誰も手出しできない侵略不可能な大国に仕立て上げなければならない。俺の安寧のために。
「中尉、盗賊団の目的は分かりませんが、炭田の確保は最優先です。二個中隊で確実に殲滅しましょう」
中尉は、いつもの悪魔のような薄笑いを浮かべた。
「二百名ですか。私の権限だけでは、それほどの兵を動かすのは難しい。中央への調整も必要です。……何か、軍を出すための『口実』でもあれば話は別ですが」
嫌な目だ。俺に泥を被れと言っている。
「……少し時間をください」
俺は騎士のリーダーを下がらせ、思考の歯車を回した。
二個中隊、約二百名。参謀本部の腰を上げさせるための「劇薬」が必要だ。俺の心に悪魔はいない。だが、悪魔のささやきを論理的に模倣することはできた。
翌朝、俺は中尉に告げた。
「教会から『聖女』が来るそうですね」
中尉が眉を上げた。
「……耳が早い。昨夜、伝令が来たばかりですよ」
「騎士たちが騒いでいましたよ。『悪魔の呪いを受けた』と怯え、自分たちで教会に使いを出したそうです。教会側も、騎士団に恩を売る絶好の機会だと思ったんでしょう」
聖女が到着したのは、その日の昼だった。
二十代後半。ひどく疲れた目をした女性だ。教会の白衣を纏っているが、袖は捲り上げられ、口元を布で覆い、手には消毒液を染み込ませた布。
元看護師という経歴は伊達じゃない。彼女の動きには、無駄のない衛生管理の規律があった。
彼女は到着するなり、一刻も早く患者を診ようと動いた。仕事は早い。
俺はその前に立ちふさがった。
「お疲れのところ申し訳ありません。帝国軍参謀本部所属、特別監察官です。少しよろしいですか」
聖女の目に、警戒と焦りが混じる。
「……何でしょう、お急ぎじゃなら後にしていただきたいのですが」
「騎士たちの症状は食中毒です。原因を特定するために看護師としての医療の専門知識をお借りしたい。発生源と思われる場所の確認に同行願えますか」
彼女の表情が変わった。警戒が消え、代わりに職務上の使命感が宿る。
「分かりました。ご案内ください」
簡単だった。善意のある人間は、善意で動かせる。
俺は内心でその事実だけを確認し、鉄の仮面を維持した。
現場へ向かう馬車の中。本来、聖女と一介の軍人が同乗するなどあり得ないが、俺が同郷人だと告げると、彼女は護衛の騎士を振り切り、食い入るように馬車に乗り込んできた。
聞けば、彼女も「白い部屋」を通った口だった。願ったのは「人を救う力」。
手渡されたのはデジタル体温計と血圧計。どちらも数日でバッテリーが切れ、ただのプラスチックの塊――ゴミになった。
しかも、看護師の制服のまま転移したため、即座に確保されたという。
そして、この世界のあまりの不潔さに耐えかねて、自発的に衛生管理を始めた結果、いつの間にか聖女になっていた。
俺は、教会の騎士の多さに驚いていた。
「聖女の護衛騎士二十名。凄いですね。俺なんか数人の兵に連行させたくらいですよ」
死んだような目で呟く彼女
「二十八歳で、聖女って……違法性無いんですかね」
現場は、駐屯地から馬車で二時間の距離にある、川沿いの集落跡だった。
かつては石炭の運搬拠点として栄えたのだろうが、今は崩れた石造りの廃屋が立ち並ぶだけの、風化した骸のような場所だ。
集落に近づく前に、俺は中尉に「監視がいる可能性があります」と耳打ちした。
地面には、騎士団が野営に使った焚き火の跡が、煤けた黒い焦げ跡となって無数に穿たれている。その周囲に散らばる食べ残しの残骸や、ずさんな排泄物の処理跡が、今の騎士団の規律の崩壊を物語っていた。
俺は聖女と、鉄の鎧を軋ませる護衛の騎士二十名を引き連れ、その死に絶えた街を歩いた。
湿った川風が、石の隙間に溜まった腐敗臭を運んでくる。
「井戸がありますね」
聖女が足を止めた。
広場の中心にある、蓋のない石造りの古い井戸だった。
縁を囲む石は苔生し、周囲の地面は騎士たちが水を汲む際にこぼしたのか、嫌な色をした泥濘になっている。
聖女が口元を布で覆いながら、中を覗き込んだ。
「……臭います。腐敗が相当に進んでいる。動物の死骸か、あるいは――」
その言葉が終わるより早く、俺は聖女の腕を掴み、問答無用で廃屋の壁に押し込み叫んだ。
「そこの男何をしている!出てこい。」
同時に矢が飛んだ。護衛の騎士が盾で弾く。もう一本。騎士の肩に掠った。
青ざめる彼女に低い声で伝える。
「動くな。死にたくなければな」
深く頷いた。パニックを起こさないのは、死線を見慣れた元看護師の強みか。
盗賊は想定通り少人数だ、騎士十名が盗賊五人を制圧するのに、五分もかからない。盗賊自体の練度は低い。驚いたのは、中尉が魔導銃で正確に二人を仕留めたことだ。
聖女がすぐさま、傷ついた騎士の処置に取り掛かった。手際がいい。
俺は倒れた盗賊を検分した。装備は粗末だが、腰の短刀は二本。戦闘用と逃走用。明らかに訓練された「武装集団」の端くれだ。
俺は中尉に向かって、事務的に、かつ冷酷に告げた。
「意見具申します。聖女様が盗賊に襲撃されました。
教会への明白な武力攻撃を確認。参謀本部への即時報告と、二個中隊の派遣要請を」
中尉は一瞬だけ俺を凝視した。それから、心底愉しそうに頷いた。
「……承知した、少尉」
聖女が立ち上がり、俺を見た。
「軍の方は、判断が速いんですね」
「緊急事態ですから」
表情は変えない。帝国の法では、教会への挑戦は国家への反逆と同義だ。教会は帝国にとって戦費の為の重要なスポンサー。聖女襲撃を無視できる権力者はいない。これで口実ができただろ。
五日後、二個中隊が到着。
作戦は単純極まりないものだった。炭田候補地を包囲し、退路を断って殲滅する。
俺は後方の指揮所で地図を見つめていた。
捕虜から異世界人の情報を引き出したかったが、中尉の読み通り敵の「頭」は軍の到着と同時に消えていた。
「撤退の判断が異常に早い。あいつら、俺たちの動きを読んで逃げましたね」
作戦は半日で終わった。降伏三十。残りは戦死。
異世界人らしき人間は、影も形もなかった。
帰路の馬車の中で、聖女の事を考えていた。
現代医学をもった医療経験者なら軍が必要に勧誘すると思っていたが、強制はされなかったらしい。参謀本部にも人権意識があるのか、それとも異世界人が教えたのか。
いずれにせよ、こんな世界で異世界人を、人道的に扱うのは帝国だけだろう。やはり、俺の快適で安全な生活のために帝国は必要だ。
それと、もうひとつ。
「中尉って、強かったんですね。いつも現場に同行するのは、監視だけでなく、実戦的な護衛も兼ねていたんですね。」
中尉が向かいの席から俺を見た。俺の質問には、答えることはなく。
「騎士団の野営跡、少尉は矢が飛んでくる前に聖女と供に隠れましたね。まるで攻撃のタイミングを知っているかのように」
俺は景色を見ながら答えた。
「騎士団は食中毒、なら罠を見張る監視がいると思ったんです。『誰か』が井戸を調べる。それだけで良かった。中尉だって、初めから魔導銃の安全装置を外していたじゃないですか」
中尉は、続けた。
「聖女様を現場に連れて行くことを、最初から計画していましたか」
俺は中尉の目を見て答えた。
「炭田の確保に必要な判断をしました」
中尉は少し笑い、外を見た。
「……君と組むのは、疲れますよ」
「俺も同じです」
馬車が揺れた。尻が痛い。
鋼が量産できれば板バネが作れる。
それまでの辛抱だ。
読んでくださり、ありがとうございました。




