第5話:製鉄
「……また、漫画の知識かよ」
報告書を放り出し、俺はこめかみを指で押さえた。
隣国との国境に近い実験農場から上がってきた報告――「ジャガイモの収穫量が年々激減し、病害が蔓延している」。
「貧しい農村がジャガイモを植えて飢えを凌ぐ。……まあ、お約束だな。だがな、同じ場所で毎年同じものを育てれば『連作障害』が起きる。特定の病原菌だけが増えて、畑が死ぬんだ」
そして、俺の“安全な生活”も遠のく。
主婦の彼女が良かれと思って広めたジャガイモ栽培は、今や農地を「死の土地」に変えつつあった。
彼女を責めるのは簡単だが、俺にはそんな時間は残されていない。俺が食いたいのは、ドロドロの芋ではなく、ふっくらとしたパンと、新鮮な肉だ。
前任の異世界人が広めた「中途半端な知識」のツケが、今になって回ってきている。
だが、俺は昨日の俺とは違う。
「曹長。……今日からは、『少尉』でしたね。実験農場から上がってきた報告は、どうですか。」
隣で資料をめくっていた中尉が、嫌味のない、しかしどこか試すような笑みを浮かべて言った。
俺の胸元には、昨日授与されたばかりの、真新しい「少尉」の階級章が鈍く光っている。
先日の農場監察において、ノーフォーク農法の欠陥を即座に見抜き、サイロ建設と畜産を組み合わせた「循環型農業」のグランドデザインを提示した。この世界で作れる。農薬と肥料の作り方も提示した。
石灰と硫黄を混ぜて煮込むだけで作れる農薬は、果樹のカイガラムシやうどんこ病を壊滅させ、屠殺場から出る骨を焼いて粉にし硫酸で処理すれば、クローバーを刻んで土に埋めるより何十倍も速く吸収され、収穫量を爆発的に増やすことができる。
それが参謀本部の、いや、あの食えない中将の目に留まったらしい。
軍部は「異世界人の専門知識」が、魔法よりも遥かに低コストで国力を底上げする劇薬であることを再確認したわけだ。結果、俺は入隊からわずか数日で下士官を卒業し、曹長から士官……「特別監察官」としての正式な身分を買い取ってしまった。
「中尉、すぐに現地へ向かいます。連作障害を回避するための輪作体系を組ませる。それと――」
俺は手帳に、ある「図形」を書き殴った。
「今の鍬じゃ、土を深く反転させるのが限界です。大規模な深耕を行うには、もっと頑丈で鋭利な『鉄製のプラウ』が必要です。それも、量産可能なレベルの品質で」
中尉が目を細めて俺の手元を覗き込む。
「連作障害の解決に、鉄製の農具……ですか。少尉、君は本当に面白いところから攻めますね」
中尉は腰の魔導銃を愛おしげになぞった。
魔導銃――かつては空気の圧力で弾を飛ばす静かな武器だったそれは、今や先人のもたらした火薬技術により、より騒がしく致命的な「銃」へと変貌しつつある。
「君が高炉を改良し、鋼の質を安定させれば、それは農具ではなく、まず新型の銃身や大砲へと回されるでしょう。……その意味は、分かっていますか?」
「……俺はただ、まともなメシが食いたいだけなんですけどね」
返すと、中尉は声を立てて笑った。
異世界人がもたらす文明は世界を加速させ、科学は魔法を超え、魔物を駆逐する。その先にあるのは、資源を奪い合う『世界大戦』だ。
帝国はそれを防ぐために動いている。
俺は自分の快適な生活のため、帝国は生存のため、お互いを利用する。
それでいい。千年後の教科書に「悪魔」と書かれようが、俺の知ったことじゃない。
馬車で二日。尻の痛みに耐え、鉱山のふもとにある製鉄所に向かっている。
鋼の量産ができれば板バネが作れる。それまでの辛抱だ。
製鉄所が近づくにつれ、空気の「味」が変わった。
喉の奥に張り付くような、湿った土と鉄錆の匂い。そして、絶えず響く重苦しい金属音。
視界が開けた先に見えたのは、山の斜面にへばりつくように建てられた、黒ずんだ木造の巨大な建物だった。
煤と熱気に包まれた製鉄所の中心部で、俺は巨大なレンガ造りの炉を指差した。
「今の魔導炉は、魔法で温度を稼いでいるせいで一度に焼ける量が少なすぎる。そんなちまちましたやり方じゃ、俺が欲しい鉄は一生揃わない」
俺は地面に、巨大な「高炉」の断面図を書き殴る。
「森を丸ごと一つ焼き尽くす勢いで、この巨大な高炉を燃やし続ける。溶けた銑鉄を川のように流し込み、そこに高圧の空気を吹き込んで炭素量を精密に調整するんだ。
そうすれば、魔法に頼らなくても、硬い『鋼』を一度に数トン単位で生産できる」
職人たちが絶句する中、中尉が顎をさすりながら呟いた。
「少尉。君が一度に数トンの鋼を作るなら、僕はそれを使って、二回り大きな重カノン砲を量産しましょう。想像するだけで、周辺諸国の城壁が紙細工に見えてきますよ」
「――何、馬鹿なことを言っているんだ」
職人たちの視線が、一斉に俺の背後へ向いた。職人たちから“あの人が来た”という空気が走る。
現れたのは、煤で汚れた作業着を着た四十代の男だった。
元刃物店の店長。この製鉄所を任されている「先人の異世界人」だ。
「何が『森を丸ごと一つ』だ。そんなことを続けたら帝国はハゲ山しか残らないぞ。……おい中尉。石炭の確保はどうなってる。コークスがなきゃ、この少尉の言う大増産なんて資源の自殺だ」
男は俺の手帳の図面を奪い取るように見つめた。この男が来てから製鉄所の事故が減ったので、職人たちが妙に信頼している。
「……空気を吹き込んで炭素を抜く、か。ベッセマー法だな。理屈は分かるが、ここの粘土(耐火レンガ)でその熱に耐えられると思ってんのか?」
日本刀マニアの元刃物店長。専門家ではないが、鉄に対する執着と知識は本物らしい。
製鉄の専門家がいなかったからといって、刀マニアを現場責任者にする参謀本部のやり方には頭が痛くなるが……。
「店長、ですよね。初めまして。少尉です。耐火レンガの組成については、移動中に計算を済ませてあります。ハゲ山の件も ……中尉、石炭の調査報告書、見せてあげてください。軍はもう、次の『炭鉱』を狙ってるんでしょう?」
中尉が、悪魔のような微笑を浮かべて書類を取り出した。その紙面には、軍の調査部が作成したであろう詳細な地図と、いくつかの領地の紋章が記されていた。
「この地域は帝国の領土ですが、隣国との緩衝地帯として機能している、いわば『放置された庭』です。森林資源が豊富で、現在は隣国から炭を輸入していますが……。実はこの数年、あの地域で商隊を襲う『盗賊団』が急増していましてね」
中尉は、地図の一点を細い指でなぞった。そこは、大規模な露天掘りが可能な炭田候補地が記されていた。
「領主からの正式な救済要請は上がっていません。ですが、軍の調査では、あの土地には質の良い石炭が、眠っていることが分かっています。……少尉、なぜ領主が軍に助けを求めないか、分かりますか?」
「……面子、ですか」
俺が吐き捨てると、中尉は我が意を得たりとばかりに頷いた。
「その通り。自領の盗賊すら自力で排除できない無能、と中央に思われたくない。貴族にとって、領民が何人犠牲になろうと、自分の地位が揺らぐことに比べれば些細な問題なのです。」
自分の快適さのために、兵器の材料となる鉄を量産しようとしている俺と、何が違う。
だが、その「プライド」のせいで俺の計画が停滞するのは、絶対に許容できなかった。石炭が手に入らなければ、高炉はただの巨大なレンガの塊だ。
「中尉、行きましょう。軍による表立っての武力介入ができないなら、帝国軍参謀本部による『特別監察』の名目で乗り込めばいい。盗賊ごときに、俺の安全で快適な生活の邪魔をさせてたまるか」
中尉は、満足げに大きく頷いた。
「いい返事だ。場所は、ここから馬車でさらに二十日ほどかかりますがね」
「……二十日。またケツが死ぬな」
製鉄所の「店長」と別れ、再び馬車に揺られること二十日。
俺の尻の感覚はとうに消え失せ、腰は悲鳴を上げることすら忘れていた。
後日聞いたが、刀マニアの彼は、「白い部屋」で『刀を守る力』を願ったらしい。手元にはポンポン(打ち粉)だけ。
笑えない冗談だ。刀そのものではなく、それを「維持する道具」だけを与えられて放り出される。この世界の「願いの解釈」は、悪意があるのか、それとも極端に融通が利かないのか。
辿り着いたのは、帝国の辺境、隣国との緩衝地帯に位置する領主の駐屯地だ。
だが、そこにあったのは軍事拠点としての緊張感ではなく、「腐敗」と「排泄物」の臭気だった。
「……何だ、この有様は」
中尉が馬車を降りた瞬間、絶句した。
そこら中に、精強であるはずの騎士たちが転がっている。
ある者は泥濘の中で腹を抱えてうずくまり、ある者は顔を土色にして嘔吐を繰り返していた。
石造りの堅牢なはずの兵舎は、今や巨大な病室、あるいは処理場と化している。
「中尉、近づかない方がいい。……症状から見て、おそらくサルモネラか、それに類する細菌性食中毒だ。井戸に動物の死骸でも投げ込まれたか、あるいは調理場の衛生管理が意図的に破壊されている」
「……毒ではないのですか?」
「毒ならもっと即効性があるし、死体も綺麗だ。これは、じわじわと戦力を削り、敵を絶望させるための『知識』による攻撃ですよ」
俺は中尉と共に調理場へと向かった。
そこは、俺が嫌悪する「中世の不潔さ」が極まったような場所だった。
ハエが飛び交い、まな板の上では得体の知れない肉が腐りかけの汁を垂らしている。
「中尉。このやり方、嫌な予感がする。……正面から武力でぶつからず、相手の『生理現象』を突いて、最も低コストで騎士団を無力化する合理性。……俺たちと同じ教育を受けた、『異世界人』の匂いがする」
中尉の眼光が、かつてないほど鋭くなった。
「……盗賊団に、あなたと同じような『知恵』を持つ者がいると?」
読んでくださり、ありがとうございました。




